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第十二話 少しずつの勇気(3)

「いや……一概には言えないけどさ。恋愛的に好きなら、そういうこともしたいんじゃないかと思って。だって……恋愛的に好きじゃなかったら、できないっしょ」


 若葉の言葉が、胸の中に刺さる。


 ――カナデと、キス。想像してみる。カナデの短い黒髪が揺れて、ふいにわたしの方へ顔を寄せる。頬に触れる手が、ほんの少し冷たくて、でも温かい。瞳が、真っ直ぐにわたしだけを映していて、世界に音がなくなる。ゆっくりと近づいてくる唇と、息が混じるほどの距離。胸の奥がきゅっと締め付けられて、でも、嫌じゃない。怖くない。むしろ――。


「……うわあ!」


 両手で顔を覆い、わたしはカフェの空気を掻き消すように声を上げた。なに考えてるの、わたし……! それでも心臓は止まらなくて、頭の中がぐるぐるしている。たぶん、もう……答えは出ていた。


「……美奈氏、何か変なこと考えたでしょ……」


 若葉がじっとりとした目をしながら、わたしを見ていた。「若葉ちゃんのせいでしょ!」と慌てると、隣の日菜子も苦笑していた。わたしは涙を浮かべたまま、きっと真っ赤になった顔を隠す。


「でも、なーんか……その様子を見ると、分かったっぽいね」


 若葉が歯を見せながら、呆れたように笑った。こんなことで自分の気持ちを自覚してしまうだなんて、正直癪だけど……。わたし、カナデとなら全然、キスでも何でもできてしまう。むしろ……カナデとじゃないと、嫌だとさえ思ってしまう自分がいた。なんだかわたし、バカみたい。カナデのことになると……本当にもう、どうかしてる。友達に、こんなことを思ってしまうなんて……。いっそ死んでしまいたいと、テーブルに頭を打ちつけたくなる。


「ま、まあ……若葉ちゃんが言ったことは、とりあえず……置いといて。美奈ちゃん的には、松波さんとどうなりたいとか、あるの?」


 苦笑したままの日菜子が、話題を転換させた。わたしは気を取り直すように椅子に座り直し、視線を落としてカフェラテの入ったマグカップを見つめる。わたしはカナデと、どうなりたいんだろう。カナデのことが恋愛的に好きだと言うのなら、わたしはカナデの恋人になりたいのかな。でも……。


「どうなりたいかは、まだ……よく分かんないんだよね。今でもカナデはわたしのことを、すごく大切にしてくれているし……。それに、きっと気持ちを伝えたら……」


 俯いて言葉を失ったわたしを、日菜子が穏やかに見守っていた。分かるよと言ってくれているように、静かに頷いてくれる。わたしはそんな日菜子をそっと見上げて、小さく声を絞り出した。


「……日菜子ちゃんは、女の子に告白するの……怖くなかったの?」


 わたしの言葉を聞いて、日菜子が一瞬息を止めた。瞳が揺らいで、日菜子は静かに目を伏せた。大きく頷いて顔を上げると、またいつもの笑顔が戻ってくる。


「……もちろん。怖かったよ。蒼ちゃんのことを好きになった時も、すごく動揺した。蒼ちゃんに、もし気持ち悪いって、嫌われたらどうしようって。たくさん悩んだよ。でもね……怖かったけど、自分に嘘をつき続けるのも、苦しくて。それに……蒼ちゃんを好きな気持ちが、止められなくて」


 日菜子の言葉に、胸がじんと熱くなった。その言葉が、胸に静かに染み込んでいく。気付かないふりをして、蓋をしていた気持ち。誰かを好きになってしまったら、簡単には戻れない。それが女の子同士であっても、きっとそれは関係ない。


 この気持ちは、嘘じゃない。


「なるほどねん。日菜子氏は……関係が崩れる怖さよりも、蒼氏と前に進みたいっていう思いの方が強かったから、告白できたのかもね。卒業っていうタイミングもあると思うし……」


 若葉はテーブルの上で両手を組んで、ちらりとわたしを見た。なんだか気まずそうな表情をして、うーんと小さく唸っている。


「……しょーじき、今美奈氏が告白したら……松波奏は恋愛とか疎そうだし、意識してもらえるきっかけにはなるかもしれないけど……。今のまま仲良くし続けられるかって言われると、わかんねえな……」


 小さく呟かれたその言葉が、胸の奥に落ちていく。わたしは視線を落とし、頷いた。


「……だよね。伝えたら……今の関係が壊れちゃうかも。それなら、やっぱり……言えないよ」


 送風口から流れる冷房の風が、素肌を撫でていた。火照った身体を冷やしてくれて、頭は少しずつ冷静になる。カナデは……わたしのことを嫌ってはないと思うけど、恋愛的な感情は、きっと一切抱いていない。そんなの……見ていたら、分かる。カナデはただ素直に、真っ直ぐに――わたしのことを、友達として大切にしてくれている。そんなカナデに告白して、付き合ってくださいと言ったところで……きっと、今の関係が破綻するだけ。


「気持ちを隠したままで、美奈ちゃんは……辛くない?」


 日菜子が心配そうな顔をして、わたしの目を覗き込んだ。そんなの……そんなの分かんない。だって好きだって気付いたのだって、最近なのに。もしかしたら――好意を隠し続けることは、すごく辛いことなのかもしれない。でも、それでも……わたしはカナデと今まで通り、一緒に居続けられないほうが……きっと、もっと辛いだろう。


「……わかんないけど、わたし……カナデと一緒に、居続けたい」


 たとえ、この想いを伝えられなくても――今カナデの隣にいられることが、わたしにとって、何よりも幸せだと思うから。恋人になりたいわけじゃない――なんて、もしかしたら嘘かもしれないけど。それでも今は、壊したくない。この関係が、何より大切だから。


「ま、今無理にどうこう決めなくても大丈夫でしょ。ある日突然伝えたくなったりするかもしれないしねー。そんな気負い過ぎず、気楽に行きなよ」


 沈黙を切り裂くように若葉はあっけらかんと笑って、スワークルを飲み始める。軽い笑い声が胸に響き、わたしは小さく息を吐く。


「そうだよね、今すぐじゃなくてもいいよね……。今はとりあえず……カナデとの時間を、大切にしてみようかな」


 二人を見据えて、放置したままだったマグカップに口をつけた。すっかり冷めた苦味が舌先に染みて、でもなぜか――少しだけ、甘く感じた。この苦味も、案外慣れてきたかもしれない。カップの底は冷えていたけれど、心の奥にはまだ、小さな熱が灯っていた。


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