第十二話 少しずつの勇気(2)
「……おお、美奈氏。やっと気づいたんだ? 必死すぎて、何言い出すのかと思ったわー。大丈夫だって、そんな死にそうな顔すんなよー」
あまりに軽い口調に、わたしは目を見開いた。思いきって告白したばかりなのに――その反応は、あまりにも拍子抜けだった。顔を上げると、若葉がにやにやと口角を上げていて、日菜子も目元を細めて柔らかく笑っていた。
「えっ。……や、やっと?」
震える声で聞き返すと、若葉はストローをくるくる回しながら、当然のように答える。
「いやいや。美奈氏のこと見てたら、好きなんだろうなーって気づくから。でも、そっかー、やっと自覚したかー」
若葉は勢いよくスワークルを吸いながら、にんまりとわたしを眺めていた。その笑い方がいつも通りすぎて、逆に怖い。
――えっ、気づかれてたの?
顔から火が出そうなのに、変に呼吸が楽になるのが悔しい。わたしは思わず、日菜子に縋るように目を向けた。すると日菜子は、ほんの少し申し訳なさそうに眉を下げて、苦笑いを浮かべる。
「あはは……美奈ちゃん、松波さんと仲良くなってから、すっごく楽しそうにしてたから。若葉ちゃんとね、これは絶対好きでしょって……たまに話してたんだ」
その笑顔は、あたたかかった。だからこそ、胸がちくりとする。わたしだけがひとりでぐるぐるして、怖がって、追い詰められていたみたいで――ちょっと恥ずかしい。でも同時に、息ができる。否定されないことが、こんなに救いになるなんて。
「……そっか」
声にすると、息が抜けた。椅子の背もたれに身体を預けると、肩の力がすとんと落ちた。泣きそうになって、勇気を振り絞って、ようやく言えたのに。ふたりはずっと前から、知っていた。――わたし、そんなにわかりやすかったのかな。
「まさか……カナデとお昼食べるように言ったり、文化祭に突然誘ったりって……」
そこまで口にしかけて、途中で言葉が詰まる。全部、このふたりの作戦だったのかも――と思った瞬間、恥ずかしさで顔が熱くなる。でも同時に、そこまでしてくれた理由も、なんとなくわかってしまった。
「まあ、うちらにはバレバレだったけど……松波奏にはバレてないと思うから、大丈夫だよ。だって松波奏は……なんか鈍そうだもんな」
こちらをちらりと見ながら、若葉がケラケラと笑っていた。その言い方に、わたしは笑うべきなのか、震えるべきなのかわからなくなる。
「ふたりとも、気づいてたんだ……」
ぽつりと言うと、日菜子がふわりと微笑んだ。
「ふふっ。美奈ちゃんのことね、若葉ちゃんと一緒に……陰ながら、応援してたの」
応援。その言葉が胸に落ちた。お節介だと思うより先に、喉元が熱くなる。わたしの知らないところで、ふたりはわたしの背中を押してくれていた。勝手に決めつけられたんじゃなくて、転びそうなときに手を差し出してくれていたんだ。
だから、このふたりは――たまにやたらと強引で、やたらと優しい。
「それでさ美奈氏、相談したいことって? 何か続きがあるんでしょ」
ぴしっと指を立てて詰め寄る若葉の勢いに、わたしは一瞬狼狽える。気持ちは伝えたはずなのに、肝心なところはまだ何も言えていない。
「あっ、うん……。ええと、カナデのことが……す、好き、なんだけど……好きっていうのが、まだちょっとわからなくて……。この好きが、本当に恋なのか、自信がなくて……」
自分でも、何を言っているのかわからなくなる。頭の中はぐるぐるしていて、言葉が定まらない。日菜子が優しく頷きながら、静かに言葉を繋いだ。
「……松波さんのことを、好きって思ってる。でも、それが恋なのか、友情なのか……わからないってことで、合ってるかな?」
その一言があまりに的確で、わたしはびくりと肩を揺らした。そう、それ。核心を言い当てられて、胸が途端に苦しくなる。わたしは、おずおずと頷いた。知らなきゃいけない。でも――知るのが怖い。日菜子の瞳は、そんなわたしをまるごと受け止めるように、柔らかく揺れていた。
「なるほどねえ~……ラブかライクかってことか。そのへん、日菜子氏の方が詳しいんじゃないの? そもそもなんで、蒼氏と付き合おうと思ったん?」
いつもの調子でストローを噛みながら、若葉が日菜子に水を向ける。いきなり話題が振られて、日菜子は「えっ?」と小さく声を上げた。
「わ、私? えーっと……そうだなあ……」
指先でふわふわの髪をくるくる巻きながら、日菜子はしばらく考えるように目線を泳がせていた。やがて、遠くを見つめるように口を開く。
「……蒼ちゃんと付き合ったのは、中三の終わりで。受験とかでバタバタしてて、毎日があっという間で。でもその中で、蒼ちゃんとの時間だけは、ずっと穏やかで……特別だったの」
静かに言葉を紡ぐ声は、どこか懐かしさを帯びていて――その瞳には、過去を見つめる優しい光が宿っていた。
「最初はね、ただの友達でいいって思ってたの。好きって、そういう気持ちだって分かってたけど……言わなくてもそばにいられたら、それでいいのかなって。関係が壊れるの、怖かったし……」
そこまで言って、日菜子はほんの少し唇を噛んだ。わずかに伏せられた視線に、当時の迷いや怖さが滲む。
「でもね、進路が決まって、もう同じ時間を過ごせなくなるんだって思った瞬間……一気に怖くなったの。離れるのも、忘れられるのも、全部嫌だって思っちゃって」
その声が、少し震えていた。だけどその奥には、確かな熱があった。
「一緒にいたいとか、傍にいてほしいとか……それだけじゃなくて、私が一番になりたいって思ったの。蒼ちゃんの中で、特別でいたいって。誰にも渡したくないって、初めて思っちゃって……」
頬を染めて、日菜子は恥ずかしそうに笑った。でも、その笑顔はどこか誇らしげでもあって、わたしの胸を打つ。
「それで、自分でも本気で恋なんだなって、気づいたんだ。好きって……その人をひとり占めしたくなる気持ちなんだなって。あくまで、私の場合はだけどね」
わたしは、息を止めてその話を聞いていた。日菜子のその言葉が、自分の中の「好き」の形とぴたりと重なる気がして――胸の奥で、何かがほどけていくのを感じた。
「ほーん。その理論で行くと、松波奏の特別になりたい美奈氏は……松波奏が恋愛的に好きっていうことになるね」
若葉がどこか楽しげに、だけど真剣に言葉を繋げてくる。腕を組み、うんうんと神妙な顔で頷いているのが、なんだかおかしい。だけどわたしは、笑えなかった。
心の中でずっと絡まっていた糸が、すっと解けていくような感覚があった。
――やっぱり、そうなのかもしれない。わたしは、カナデの特別でいたいと思っている。誰よりも近くにいたい。触れていたい。見ていてほしい。
でも、自信なんてまだない。恋愛経験なんてない。それでも、胸が苦しくなるほど誰かを想うこの気持ちが、嘘じゃないことだけはわかっている。
「うーん……じゃあさ、美奈氏。ちょっと真面目に、単刀直入に聞くけどさあ」
若葉がストローをくわえたまま、まじまじとわたしを見た。その目が、妙に真剣で――嫌な予感しかしなかった。
「……美奈氏はさ、松波奏とキスしたいって思う?」
「き……えっ……?」
その言葉で、心臓が物理的に破裂したかと思った。鼓動が耳の奥で爆音みたいに鳴って、なにか大事な思考回路がショートした。視界が白んで、呼吸が止まる。世界が急に、スローモーションになったようだった。
「ちょっと……! ええっ……! な、何言ってるの……!」
声が裏返って、自分の声じゃないみたいだった。顔に一気に血が上って、熱が暴走する。だけど若葉の目は、ふざけてなんかいなかった。本気そのものの瞳で、じっとわたしを見つめている。




