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第十二話 少しずつの勇気(1)

 昼下がり、わたしはカフェで性懲りもなくカフェラテを注文して、一人座っていた。


 ――カナデが好き。


 その気持ちに、気づいてしまった。だけど気づいたからって、どうしたらいいのかなんてわからない。ただ、胸の奥がざわざわして、何もしていなくても勝手に頭が動き出してしまう。


 カナデのことを思い出すだけで、息が止まりそうになる。名前を聞くだけで、心臓が跳ねる。声を聞きたい、触れたい、もっと近づきたい――だけどその気持ちに、どうしようもない戸惑いがつきまとう。好きになっちゃいけない相手なんて、本当はいないはずなのに。


 カナデも、わたしも、女の子。恋愛は男女間のものというイメージがあったけれど、そうじゃないことも知っている。世間的にダメと言われるようなことじゃないと、頭ではわかっている。むしろ、理解しているつもりだった。だけど。


 わたしが? わたしが、女の子を好きになってる? カナデを……恋愛対象として見てるってこと? わたしって、女の子を好きになるタイプだったの?


 そんな自分が、信じられない。怖い。おかしいって思われたら、どうしよう。一度考え始めたら、止まらなかった。わたしの中の「普通」とぶつかって、頭の中がぐちゃぐちゃにこんがらがっていく。


 ――当たり前に進学して、当たり前に就職して、当たり前に素敵な男の人と出会って、当たり前に結婚して、子供を持って……。


 教科書やテレビの中にある、まるで「正解」みたいな人生。別に、それに憧れていたわけじゃない。でも、そこから外れていく自分を想像すると、背中がひやっとする。道を踏み外してしまうみたいで、足がすくむ。


 わたし、本当にこれでいいの? わたしの「好き」って、どこか間違ってるの?


 誰にも、聞けなかった。カナデには……絶対に、言えなかった。


 俯いてテーブルの端を見つめていると、そんなわたしの頭上に、ふわりと声が降ってきた。


「あれ、美奈ちゃん。またカフェラテ飲んでる。コーヒー飲めるの羨ましいなあ」


 不意にかけられた日菜子の声に、わたしはびくりと肩を揺らした。顔を上げると、制服姿の彼女がふんわりと微笑んでいて――その優しさが、どうしようもなく胸に刺さった。その後ろには、スワークルを片手にした若葉がいて、にやりと笑っている。


「でも美奈氏ってさあ、苦いの苦手じゃなかったっけー? 頑張ってるんだねー」


 わざとらしく首をかしげて椅子に腰掛けた若葉の視線に、わたしはなんとなく視線を泳がせてしまう。含み笑いが、全部お見通しみたいで。恥ずかしさと居心地の悪さに、曖昧な笑みを浮かべるしかなかった。


「ふたりとも、忙しいのに呼び出しちゃって……ごめん」


 席についたふたりの顔を見て、わたしは小さく頭を下げた。だけど、背筋を伸ばしたその瞬間――心臓が、どくんと跳ねる。緊張で、呼吸が浅くなる。胸が、痛いほど脈打っていた。


「ぜーんぜん。今日はうちも日菜子氏も部活の日だったから、ちょうど良かったよねー」


「うん。それに、美奈ちゃんがこうやって私たちを頼ってくれるの、すごく嬉しいから」


「分かるー! 美奈氏、最初は全然心開いてくれなかったから……相談してくれるのは嬉しいよね」


 ふたりは顔を見合わせて、朗らかに笑う。その笑顔があたたかすぎて、逆に涙が出そうだった。だけど――それでも怖さが、胸を締めつける。わたしは無意識に、唇を噛んだ。


「ありがとう……」


 震えた声が喉からこぼれた瞬間、わたしは自分の手をぐっと握りしめた。


 今日ここにふたりを呼んだのは、わたしだった。若葉はおちゃらけているけれど、誰よりも人を見ているし、なんだかんだで助言は的確。日菜子は何より……女の子の蒼と付き合っている。恋愛に関することには、きっと詳しいだろう。


「あ、あのね、わたし……」


 声を出した瞬間、喉がぎゅっと締まる。あまりにも緊張しすぎて、視界の端が白く滲んでいく。身体の芯から冷えていくような感覚と、顔に集まる血の熱さが同時に襲ってきて――自分の身体なのに、全然コントロールできなかった。


 カナデの後ろ姿に、見惚れた日。音に、名前に、声に、触れられるたびに、胸の奥が震えていた。撫でられた手の感触が、まだ残っている。心を奪われて、どうしようもなくなって、それでも――ずっと、気づかないふりをしていた。


 言わなきゃ。わかってる。だって、わたしがこのふたりを呼んだのは、話を聞いてもらいたかったから。でも……でも、今ここで言葉にしたら――もう、戻れない。怖い。逃げたい。……だけど。


「あ……あの」


 唇が勝手に動いた。それなのに声が続かない。カフェの喧騒が遠ざかって、自分の心臓の音だけが耳の奥で鳴っていた。頭が真っ白で、怖い。怖くて、吐きそうだった。


「うん」


 そのとき――日菜子の柔らかくて、包み込むような声が聞こえた。顔を上げると、日菜子の瞳が穏やかにわたしを見つめている。


 ――美奈ちゃん、大丈夫だよ。


 その無言のメッセージが、わたしの背中を押してくれた。唇が震える。やっぱり怖い。でも、ここで言わなきゃ、わたしはずっと……。


「わ、わたし……か、カナデのことが、す……好き……みたいなの」


 ――言ってしまった。


 その瞬間、頭の奥で何かが弾ける音がした気がした。目の奥が熱い。顔が燃える。全身の力が抜けて、手が震える。わたしは両手で顔を隠して、うずくまるように身を縮めた。


 こんな自分、どう思われるんだろう。笑われる? 引かれる? 気持ち悪がられる?


 わたしの「好き」って、変なんじゃないかって、ずっと怖かった。それでも今――わたしは初めて「好き」を口にした。


 怖いのに、言いたかった。どうしても、この気持ちを、誰かに知ってほしかった。


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