第十話 潮風の距離(1)
電車を降りて、海辺のタワーへと続く道を走っていく。運動不足の脚が重くて、息が切れる。蒸し暑い夏の空気が肌を包み、じっとりとした汗が肌を伝う。だけど、わたしのスカートは風を切って進んでいく。地面を蹴る度に、楽器ケースが大きく揺れた。脇腹が鋭く痛み、喉元に涙とも叫びともつかないものが込み上げてくる。
『美奈ちゃん、奏のことが大好きなんだね』
先ほどのほのかの言葉が、何度も頭にちらついていた。カナデが好き……そんなの当たり前。だって、友達だもん。若葉も日菜子も、きっとほのかも、わたしは好きだ。だけど、カナデは――他の友達とはちょっと違う。他の子を見ないでほしいとか、特別でいたいとか、そんな気持ちは……カナデにしか湧かない。
視界はオレンジ色に染まり、滲んでいく。なんだか涙も出てきそうだ。乱れた呼吸をそのままに、海辺の公園を走り抜ける。以前来たタワーの横の砂浜に、カナデが立っていた。西陽がオレンジに染めた細い影が伸びて、片手にトランペット。
――ああ、カナデだ。
姿を目にした瞬間、胸が詰まって、ぐっと堪えた。名前を叫びそうになったその時、カナデが足音に振り返った。視線がぶつかる。その途端、心臓が大きく跳ね上がった。わたしはやっぱり……。
「カナデ……。突然ごめんね、待った……?」
息を切らして言うと、砂に足がもつれて前のめりになる。あっ、やばい。頭が白くなって咄嗟に地面に倒れそうになると、慌てたカナデが両手を伸ばした。
「ミナ! どうしたの、大丈夫?」
声が、すぐ耳元で聞こえた。カナデの香りに包まれて、身体が瞬時に熱くなる。全身が大きく脈を打つけれど、肝心の頭には血が上っていなくて、視界がふらつく。筋肉のない両脚の力が、へなへなと抜けていく。わたしはカナデに抱きかかえられたまま、腰が抜けたようにその場に座り込んでしまった。
「すごい汗だよ……それに、息も上がってるし……。とりあえず、これ飲んで」
わたしの身体を支えつつ、カナデは自分の鞄からペットボトルを取り出した。蓋を開けて、差し出してくれる。飲みかけの、ミネラルウォーター。飲みかけ……。朦朧とした頭で思うけど、女同士だし友達だし、マウスピースだって借りたことあるのに、今更緊張するなんて。わたしは、どうしてこんなことを思うんだろう。わたしは震える指先でペットボトルを受け取って、口の部分を見つめてしまう。カナデの飲みかけだとか、そんなこと、全然気にしてない……。意を決して口を付けると、身体の奥からじんわりと熱いものが込み上げてくるようだった。
中身をほとんど飲み干し、少しずつ頭も冷静になってくると――わたしはカナデに会いに来た目的を思い出す。若葉が勝手に連絡して、勢いに任せて飛び出してきちゃったけど……一体何をしに来たんだろう。何を、伝えたかったんだっけ。言いたいことがあったはずなのに、喉元まで出かかった言葉は、カナデの体温に溶けてしまったみたいだった。