第九話 響き合う距離(7)
結局、試合はほとんどの場面で西高が流れを作ってしまい、東高は敗れた。それでも蒼と日菜子は、それぞれ晴れやかな表情をして佇んでいる。「ミーティングが終わったら行くから待っていて」と言った蒼を待つために、三人で客席に座っていた。
「いや~……それにしても、すっごかったねえ。そういえば日菜子氏は放送部だもんねえ。納得の声量だわ……」
若葉は椅子に身を預け、両手足をだらんと伸ばし、空を仰ぎ見ていた。その横に座る日菜子は照れたように、ふふっと小さく笑っている。正直わたしも、日菜子の行動には驚いていた。こんなに可愛い日菜子から、あんなに大きな声が出るなんて。それに、人目を気にせず、ただ真っ直ぐに蒼を応援できるなんて。きっと、わたしだったら……。
「二人がここまで引っ張ってきてくれたから、私、勇気が出せたの。本当にありがとう。……私、蒼ちゃんと話してみる。でも、今日……蒼ちゃんの頑張ってる姿見て、応援してあげたいなって思ったよ」
かすれた声を絞り出して、日菜子は笑った。目尻には拭った涙の跡が残っていて、傾きだした太陽がその横顔を照らしている。
「もうさあ、日菜子氏が蒼氏の専属マネージャーになれば良いんじゃね? 毎日見に行って応援してあげなよ」
若葉がどこか戯けたように言うと、日菜子は「それ、いいかも」なんて頷いていた。
「日菜子氏ったら、マジで? まあ、それでいいならいいけどさあ。……おっ」
空をぼんやりと眺めていた若葉の鞄の中から、バイブレーションの音が小さく響く。若葉は途端に身体を勢いよく起こし、中身をごそごそ漁り出した。スマートフォンを取り出して画面をなぞっていたかと思うと、手を止めて、ひょいとわたしに差し出してきた。
「えっ……なに?」
突拍子のない行動に眉をひそめながら、差し出された画面を見る。そこには見慣れたアイコンが並んでいて、思わず背筋がすっと冷たくなる。
『松波奏、元気ー? 突然だけど、美奈氏が松波奏に会いたいってさ。今何してるー?』
『今? タワー横の海辺にいるけど。どうしたの?』
『おっけー、ありがとねん。美奈氏に伝えるから、直接聞いて~』
画面上の吹き出しに、知らない会話が並んでいる。えっ、カナデ? ていうか、いつの間に? 固まったまま若葉を見ると、「行ってきな~」と手を振られた。
「ちょっと、やめてよ……! 別にカナデに会いたいなんて、一言も……」
「でもさあ、会いたかったっしょ?」
スマートフォンを若葉に返し、わたしは俯く。行きたい。今すぐにでも……カナデに会いたい。でも、この気持ちを自覚してしまってから、心の奥がずっとざわついている。カナデに会ったら、わたしは何を話せばいいの? 顔を見たら、もう誤魔化せないかもしれない。でも――会わなかったら、きっと、もっと後悔する。
「……っ」
自分でも気づかないうちに、手が震えている。視線を落として考え込んでいると、突然背中を軽く押された。振り向くと、両手を伸ばした日菜子と目が合った。にこりと笑った姿は、まるで……次は美奈ちゃんが勇気を出す番だよとでも言っているみたいで。わたしは唾を飲み込んで、掌をぐっと握りしめる。
「……分かったよ……行くよ! もう!」
ここまで言って、カナデを待たせて……行かないなんて、ありえない。タワーまでは電車で一駅、歩く時間も含めて三十分くらいだ。今から走れば、きっと……。
わたしは地面の楽器ケースを勢いよく掴み、くるりと踵を返す。夕陽に目を細めながら、二人に背を向けて駆け出した。鼓動が高鳴る。風が頬を撫でる。カナデに会いたい――その気持ちだけで、身体が走り出していた。