第九話 響き合う距離(5)
若葉を追って電車に乗り込み、主要駅で別の路線に乗り換える。車内での日菜子は口数少なく、緊張したような面持ちで、窓からの景色を眺めていた。
「はーん。西高の女子サッカー部って強そうだねえ。昔からあるっぽいし」
窓際に並んで立っていると、若葉がスマートフォンをスクロールしながら呟いた。その画面には、先ほど見た西高のSNSが映っている。わたしは若葉の画面を覗き込みつつ、相槌を打つ。
「そうなんだ……。そもそも、女子サッカーって珍しいよね。海浜にはないし……東と西にあるのも、知らなかった」
そんな何気ない会話の裏で、わたしは頭の中でずっと、カナデのことを考えていた。
――そういえば、カナデって運動どうなんだろう。カナデのクラスとは体育も被らないし、そもそもカナデは滅多に授業に出ていない。ジャージ姿のカナデは見たことがないけれど、きっと似合っているんだろう。運動音痴なわたしの姿は、あまりカナデに見せたくない。
「東高の女子サッカー部は、最近できたんだって。でも、部員の数が足りてなくて……。部長の人が蒼ちゃんの知り合いみたいだから、しょっちゅう呼ばれてるの」
流れる景色を眺めながら、日菜子が口を開いた。車窓の向こう側では見慣れない街並みが、一瞬で通り過ぎていく。日菜子はそれを見つめたまま、静かに息を吐いていた。
「……蒼ちゃんったら、誰にでも優しすぎるよ」
その言葉に、日菜子の声がわずかに震えていた。その優しさに惹かれて、でも同時に苦しくなる。きっと、それはわたしにとってのカナデも、同じなのかもしれない。
――わたしに向けられた優しさも、いつか、他の誰かにも向けられるものだったら?
ふと、そんな不安が胸をかすめる。わたしはカナデにとって、特別なんだろうか――それとも。
だけど、わたしが今ここで立ち止まったら、日菜子の手が止まってしまう。わたしの不安は、あとでいい。今はただ、日菜子の背中を一緒に押したい。
電車に揺られてたどり着いた駅前には、人の気配もまばらで、どこか取り残されたような静けさが漂っていた。ロータリーの中央には地元サッカーチームのマスコット像が、夏の空の下でじっと黙っている。そんなマスコットを横目に、三人で並んでスタジアムを目指す。炎天下のアスファルトが、じりじりと靴底越しに熱を伝えてくる。ほんの数分なのに、汗が髪の生え際を伝って、首元に落ちていった。
駅から十分ほど歩くと、大きな運動公園が見えてきた。木々の影が揺れ、その奥に灰色の巨大なスタジアムが、ずっしりと無言で構えている。何もかもを呑み込んでしまいそうな、圧倒的な存在感だった。
身体を滴る汗を感じながら、持ったままの楽器ケースをちらりと見る。駅に預ければ良かったかな。重さに引っ張られるケースを握りしめて、少しだけ後悔した。
「ねえ、若葉ちゃん……。本当に行くの?」
「おい、ここまで来て何言ってんだよ日菜子氏!」
「だって……」
わたしの横で気まずそうに目を伏せる日菜子の腕を、若葉がぐいぐいと引っ張っている。若葉のその手には、迷いが一切ない。辺りは閑散としていて、わたしももし日菜子の立場だったら、きっと気後れしてしまうだろう。だけど、わたしも若葉と一緒に手を伸ばした。
「……きっと大丈夫だよ! 日菜子ちゃん、行こう……!」
自分で言いながら、胸の奥が少し震える。だけど、今のわたしは日菜子と一緒に、前を向きたかった。だから、日菜子のその腕をしっかりと握る。
日菜子を引っ張りながらスタジアムの入り口を抜けて、コンクリートの階段を登っていく。無人の会場にわたしたちの足音だけが響き、空気がぴんと張りつめていた。
階段を上りきると、視界が一気に開けた。眼下に広がるのは、鮮やかな緑のフィールド。太陽に照らされた芝生が眩しくて、一瞬、息を呑む。
「すごい……」
あまりの広さに、その一言だけが漏れた。中央のサッカーコートを囲うように、客席がびっしりと配置されている。辺りは人気がなくがらんとしていて、遠くの選手の声だけが反響していた。
「……ちょうど、後半戦が始まったとこじゃん?」
若葉の声に、わたしたちは揃って電光掲示板を見る。無機質な文字で表示された、3対0のスコア。その数字が、空気の重たさを際立たせていた。緊張の中で階段を下り、最前列まで進んでいく。そのとき――。
「あ……蒼ちゃん」
柵に手をかけた日菜子の声が、震えていた。その視線の先、ひときわ背の高い選手が走っている。蒼だった。炎天下のフィールドをひとり駆け抜けるその姿は、まるで光を纏った王子様のようだった。敵に囲まれながらも怯まず、果敢に前に出る。相手とぶつかりそうになりながらも、バランスを崩さず、足を止めない。
その長い脚にスパイクがかかった瞬間、わたしは反射的に身体をすくめた。でも――蒼は倒れなかった。かえって加速するみたいに、再びボールを追っていた。




