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第九話 響き合う距離(4)

「……んでさ、日菜子氏。今どういう状況なん?」


 笑い終えた若葉は豪快な音を立ててスワークルを吸いながら、ストロー越しに日菜子をじっと見た。軽く見えるその調子とは裏腹に、視線は真剣で、痛いところを射抜いてくる。日菜子はテーブルの上で組んだ両手を見つめたまま、小さく呟いた。


「蒼ちゃん、私より……学校の子の方が大事なんでしょって言っちゃって……。アプリ……ブロックした」


「いや、ブロックはやりすぎじゃね? かわいそうじゃん」


 気まずそうに言う日菜子に、間髪入れずに若葉が突っ込む。日菜子は「うっ」と唸り声のように呻いて、両手で顔を隠してしまった。わたしも困って、それを誤魔化すように冷めたカフェラテに口をつける。相変わらずの苦味が、じんわりと身体を満たしてくれた。


「だ、だって……! これ以上繋がっていたら、きっと、もっと蒼ちゃんを傷つけることを言っちゃうから。私、蒼ちゃんに酷いことしか言えない……」


 日菜子の声は、震えていた。自己嫌悪と、悔しさと、寂しさが全部入り混じって、喉の奥に絡んでいる。


「そうは言ってもさー……蒼氏、絶対心配してるよ」


 そう言って若葉は、いつもの笑みをふいに緩める。だけど、その目だけが遠くを見ていて――普段のからかいとは違う、優しさが滲んでいた。


 ふざけているようで、ちゃんと見ている。冗談みたいな顔をして、いつだって誰より真面目に、大事なとこだけ拾ってくる。


 そんな若葉を見ていると、自分の弱さを嫌でも思い知らされる。わたしは若葉みたいに、誰かにこんなふうに寄り添えたこと――あったかな。冷めたカフェラテを手に持つけれど、なんだか飲む気になれなかった。


「ええと……蒼さん、今日は何してるの?」


 何か言わなきゃと思って口を開くと、日菜子は「えっと……」と言いながら、スマートフォンを取り出して操作する。スケジュール共有アプリらしく、ぎっしり詰まった予定表が目に入った。


「今日は……女子サッカー部、西高と練習試合って書いてある。なんだか人が足りないみたいで……しょっちゅう、駆り出されてるの」


 ぽつりと言ったあと、日菜子が画面を見つめたまま、唇を尖らせた。そんな仕草さえ、可愛かった。ヤキモチを妬いている姿も、少し拗ねた顔も、日菜子だと不思議なくらい様になっていた。そんな日菜子に、わたしは「そっか……」と言うことしかできなかった。


「なるほどねん……。よっしゃー。じゃー、今から行くか!」


 先ほどからスマートフォンをいじっていた若葉が、そう言って突然立ち上がる。わたしたちを見下ろし、白い歯を見せてにっと笑った。


「えっ? 若葉ちゃん。行くって……どこに……」


 日菜子は若葉を見上げ、かすれた声で名前を呼んだ。分厚いレンズの向こう側にある瞳が、困惑するように揺れている。


「当たり前じゃん、蒼氏のとこだよ。西高女子サッカー部のSNSに、今日の練習試合は十四時半から、市内のスタジアムでやるって書いてある。今から行けば、試合終了までには間に合うっしょ」


 若葉はスマートフォンを見せつけながら、日菜子に向かって早口で告げた。画面を覗き込むと、『声援お待ちしております!』という文字と共に、スタジアムの場所が記載されている。この駅から途中で電車を乗り継いで、十五分ほどのところにある駅だった。


 若葉は最初から全部調べてあったみたいに、手際よく説明をする。茶化すように見えて、日菜子の背中を押すその役目を、若葉が今、迷いなく引き受けていた。


「……行こう、日菜子氏。こんなとこで悩んでいても、何も変わらないっしょ」


 若葉の声が、いつもより少しだけ真剣だった。立ったまま、日菜子に向かってぴんと伸ばした、ぶれない掌。それはまるで、道を示す旗みたいだった。日菜子は困ったような顔をして、その小さな掌を見上げていた。


「ええ……。でも、会ったところで……。それに、私、今日眼鏡だし……」


 日菜子は眉を寄せて俯き、か細い声で呟いた。だけど、そんな言い訳は、若葉の大声にかき消される。


「何言ってんだよ、日菜子氏は眼鏡でも可愛いっしょ!」


 即答する若葉に、日菜子がびくっと肩を揺らした。「でも……」と言葉を濁す日菜子の前で、わたしは冷めたカフェラテを一気に飲み干す。苦味が喉を通って、じわじわと胸に染み込んでいく。


――これが、カナデの好きな味。そう思ったら、不思議とその苦さが愛おしく思えた。マグカップをテーブルに置いて、わたしも立ち上がる。息を吸い込み、絞り出すように言葉を紡いだ。


「わたしも……まだ、うまく言えないんだけど……。でも、伝えなきゃ、伝わらないんだろうなって……思うの。だから、日菜子ちゃん……行こう? きっと、今だからできること、あると思うから……」


 わたしも若葉と同じように、手を差し出す。その手は震えていたかもしれないけれど、わたしなりの精一杯だった。


 日菜子はぽかんとした顔で、わたしと若葉を交互に見つめる。その大きな瞳がきょろきょろと揺れて、乱れた前髪がほんの少しだけ震えていた。


「ふたりとも……」


 喉を上下させて、日菜子がゆっくりと顔を上げる。そして、一度静かに頷いた後――わたしと若葉の手に、両手を伸ばした。


「……分かった。行こう、蒼ちゃんのとこに」


「それでこそ日菜子氏!」


 柔らかな指先をぐっと掴み、わたしたちは日菜子を引っ張り上げる。日菜子が立ち上がったのを確認すると、若葉が満面の笑みを向け、勢いよく店を飛び出していった。席には飲みかけのスワークルと、見事に忘れられた鞄がぽつんと残っている。


「えっ? ちょっと……待ってよ! 鞄!」


 わたしが慌てて叫ぶと、日菜子がくすくすと肩を揺らして笑っていた。ふたりで顔を見合わせて、なんだか照れくさくなって――わたしたちは残された荷物を抱えて、ばたばたとその背中を追いかけた。


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