第九話 響き合う距離(4)
「……んでさ、日菜子氏。今どういう状況なん?」
若葉がスワークルを勢いよく吸い込みながら、視線を日菜子に投げる。日菜子は俯いて、膝の上の拳を見つめた。冷房の風が、日菜子の白い腕に鳥肌を立てている。
「蒼ちゃん、私より学校の子の方が大事なんでしょって言っちゃって……。アプリ……ブロックした」
「いや、ブロックはやり過ぎじゃね?」
気まずそうに言う日菜子に、間髪入れずに若葉が突っ込む。日菜子は「うっ」と顔をしかめて、両手で顔を隠してしまった。わたしも困って、それを誤魔化すように冷めたカフェラテに口をつける。相変わらずの苦味が、じんわりと身体を満たしてくれた。
「だ、だって……! これ以上繋がっていたら、きっと、もっと蒼ちゃんを傷付けることを言っちゃうから。私、蒼ちゃんに酷いことしか言えない」
「そうは言ってもさー……蒼氏、絶対心配してるよ」
そう言いながら若葉は珍しく、その目を伏せた。いつもおちゃらけた様子の若葉が、こんな表情をするなんて。わたしは――若葉みたいに、誰かに寄り添えているのかな。今までの人間関係は浅いばかりで、自分がきちんと相談に乗れている自信がない。冷めたカフェラテを手に持つけれど、なんだか飲む気になれなかった。
「ええと……蒼さん、今日は何してるの?」
何か言わなきゃと思い、蒼の予定を聞いてみた。若葉の言うとおり、人の良い蒼はきっと日菜子を心配しているだろう。言葉を詰まらせた日菜子がピンクのスマートフォンを取り出して、アプリを開く。どうやら二人は、お互いのスケジュールを共有しているようだった。びっしりと予定の詰まったカレンダーが、一瞬だけ視界に入る。
「今日は……えっと……女子サッカー部、西高と練習試合って書いてある。なんだか人が足りないみたいで……しょっちゅう、駆り出されてるの」
スマートフォン片手に、日菜子は唇を尖らせた。元が可愛いからか、ヤキモチを妬いている姿も可愛らしい。どこかつまらなそうな顔をして、日菜子は視線を画面に落とす。そんな日菜子に、わたしは「そっか……」と言うことしかできなかった。
「……よっしゃ、じゃー今から行くか!」
若葉が突然立ち上がって、わたしたちを見下ろす。その片手には自分のスマートフォンが握られていて、丸い瞳が電灯の光でぴかぴかと輝いていた。
「えっ。若葉ちゃん。行くって……どこに……」
日菜子は若葉を見上げ、かすれた声で名前を呼ぶ。分厚いレンズの向こう側にある瞳が、動揺に揺れていた。
「当たり前じゃん、蒼氏のとこだよ。西高女子サッカー部のSNSに、今日の練習試合は十四時半から、市内のスタジアムでやるって書いてある。今から行けば、試合終了までには間に合うはず」
若葉はスマートフォンを掲げながら、日菜子に向かって早口で告げた。日菜子と画面を覗き込むと、『声援お待ちしております!』という文字と共に、スタジアムの場所が記載されている。この駅から途中で電車を乗り継いで、十五分ほどの最寄り駅だった。
「……行こう、日菜子氏。こんなとこで悩んでいても、何も変わらないっしょ」
立ったままの若葉が、日菜子に向かって手を伸ばす。日菜子は困ったような顔をして、その小さな掌を見上げていた。
「ええ……でも、会ったところで……。それに、私、今日眼鏡だし……」
「何言ってんだよ、日菜子氏は眼鏡でも可愛いっしょ!」
「でも……」と言葉を濁す日菜子を見ながら、冷えたカフェラテを一気に飲み干す。苦味が喉を通って、胸に広がった。これが、カナデの好きな味。そう思うと――この苦みも悪くない。マグカップをテーブルに置いて、わたしも立ち上がった。目をまんまるにした日菜子が、わたしを静かに見据えていた。
「わたしも……まだ、うまく言えないんだけど……でも、伝えなきゃ、伝わらないんだろうなって……思うの。だからさ、日菜子ちゃん……行こう? きっと、今だからできること、あると思うから……」
若葉の手と合わせて、わたしも日菜子に手を伸ばす。側から見たら、すごくシュールな光景なのだろう。すっかり困ってしまった日菜子が、わたしと若葉を交互に見つめた。眉をひそめ、どうしようかと考えている。きょろきょろと瞳が彷徨い、いつもより乱れた髪が揺れていた。
「……分かった」
俯いていた日菜子は、何かを呑み込むように喉を上下させる。ぐっと顔を上げ、両手でわたしと若葉の手を取った。
「行こう、蒼ちゃんのとこに」
「それでこそ日菜子氏!」
柔らかな指先をぐっと掴み、わたしたちは日菜子を引っ張り上げる。日菜子が立ち上がったのを確認すると、若葉が満足げに頷き一目散に店を出ようと駆けだした。机には、飲みかけのスワークルと鞄がぽつんと残っている。
「ちょっと……待ってよ! 鞄!」
わたしが慌てて叫ぶと、日菜子がくすりと肩を震わせる。日菜子と二人で顔を見合わせて、取り残された荷物を持って走り出した。