第八話 君を追いかける夏(4)
ほのかが連れてきたのは、駅前のファミレスだった。ボックス席でメニューを開きながら、ほのかがにこにこと笑っている。その笑顔に少しの罪悪感を感じつつ、タブレットでいくつか料理を注文した。ドリンクバーで水を汲み、ほのかは改めてわたしに向き直った。
「美奈ちゃん、こないだの奏のことや文化祭、ほんとにありがとうね。お陰で仲直りできたから、お礼どうしようって思ってて……」
ほのかが頭を下げそうになって、慌てて「そんな……!」と止める。わたしのエゴで動いただけなのに、お礼なんてされると困ってしまう。
「……全然、わたしは何もしてないよ。カナデと仲直りできたみたいで、良かった。……連絡は結構、取っているの?」
笑顔を貼り付けて、世間話風に尋ねる。ほのかは何も気付かないまま、そうだなあと首を傾げた。
「うーん……奏って、あんまりマメに連絡返さないでしょ? だから、そんなでもないかな」
ほのかに気付かれないよう、そっと胸を撫でおろす。これで毎日連絡してるって言われたら、心臓が止まっていたかもしれない。ほのかの言う通り、カナデは元々あまり頻繁に連絡をしてくる方じゃない。それでも、ここ最近はよく返事をしてくれるから、それはきっとカナデの優しさによるものだろう。わたしもあまり連絡するほうじゃなかったけど……すっかり変わってしまったな。
「それよりさ、美奈ちゃんは奏にトランペットを教えてもらってるって言ってたよね。どうしてやり始めたの?」
ほのかの視線が、わたしの横に置かれたトランペットケースに移る。顔を動かした反動で、ほのかのさらさらとした長い髪が涼しげに動いていた。冷房の風が冷たくて、わたしは片手で自分の腕をぎゅっと掴んだ。
「ええと……たまたまカナデが一人で吹いてるところを見て……すごくかっこいいなって思って……それで、誘われて、なんとなく……かな」
目線を上の方で彷徨わせ、当時のことを思い出す。これで、ほのかの質問に答えられているのだろうか。わたしの言葉を受けたほのかは目を輝かせて、テーブルに身を乗り出した。ぐっと顔が近付いて、わたしは一瞬息を止める。
「そうなんだ! 奏の演奏、かっこいいよね! 分かるよ。あの音、パァーンって張りがあって……響きが全然違うんだもん」
「……ほのかさんも、そう思うの?」
「中学まで隣で吹いてたからね、嫌でも耳に入ってくるから……。私……あの音に、ずっと憧れていて、追いつきたかった。でも結局……。ほんと、奏ってすごいよね」
あはは、とほのかは自虐的に笑い、顔を離してソファに背中を預ける。その様子を見て、わたしの胸が静かに締め付けられるようだった。確かにカナデの演奏は魅力的だけど、ほのかの演奏には――カナデには無い、別の魅力がある。どちらも甲乙つけ難いと思うけれど、ほのかはずっとカナデの背中を追い続けていたなんて。
「……じゃあ、美奈ちゃんは奏の一番弟子だ」
ほのかがわたしと目を合わせ、優しく微笑んだ。こんなに素敵な笑顔なのに……嫉妬で胸が疼くようで、わたしはテーブルの下で掌を握りしめる。
「そんな……弟子ってほどじゃないよ。それに……わたし、カナデが教えてくれているのに……最近全然吹けなくて。さっきも練習してたけど、だめで……」
先ほどまでの時間を思い出して、わたしは俯く。自然と声が小さく途切れ、喉がきゅっと詰まるようだった。
「わたし、カナデに……見捨てられちゃうかも……」
こんなこと、ほのかに言うつもりはなかったのに――。つい言葉が溢れると、ほのかが目を丸くした。ほのかはテーブルの向こうから、震えるわたしの両肩にそっと触れる。
「えっ……美奈ちゃんったら、それはないよ。だって……美奈ちゃんも、奏がそんな子じゃないって……分かってるでしょ?」
ほのかは優しく身体を撫でながら、わたしを諭すように語りかけた。ほのかのあたたかな体温が、掌を通して身体に沁み込んでいく。ほのかの言う通り、わたしだって分かっている。カナデは優しいから、わたしを見捨てることはない。わたしは俯いたまま頷いて、言葉を絞り出す。
「……そうなんだけど。でも、やっぱり……吹けるようになりたいよ。カナデの期待を……裏切りたくない……」
声がかすれて、わたしは咄嗟に目を閉じた。脳裏には、カナデの笑顔が焼き付いている。あの笑顔に応えたい。カナデやほのかと肩を並べるレベルには、到底なれないと分かっている。それでも、せめて。カナデがわたしに伝えてくれたことを――叶えられる自分でありたかった。
ほのかはわたしの身体に触れたまましばらく考え込み、突然「そうだ」と声を上げた。
「それならさ、夏休みの間……私と一緒に練習しない? 上手くなって、奏をびっくりさせちゃおうよ」
「……えっ?」
「私も部活が午後からの日は、午前中自主練しようと思ってたんだ。どうかな?」
ほのかが勢いよく、ぐいと顔を近づけた。大きな瞳の中に、泣きそうなわたしの顔が反射している。わたしはその澄んだ深さに見惚れながら、瞬きを繰り返した。
「いや、でも、迷惑じゃ……」
「全然! むしろ、これを機に、美奈ちゃんと仲良くなりたいし! それに、いろんなことのお礼も兼ねて。ね、やろうよ!」
きらきらと目を輝かすほのかの勢いに押されて、わたしは言葉を失っていた。初対面では大人しくて上品な子だと思っていたけれど……こんなふうにぐいぐい距離を縮めてくるなんて、想像していなかった。ほのかって――すごく真面目で、真っ直ぐな子なんだ。わたしはつい笑ってしまって、身体の力をふっと抜いた。
「……じゃあお願いしようかな、ほのかちゃん」
わたしの言葉を受けたほのかが頬を赤くして、「やったあ!」と嬉しそうに笑う。一緒に練習するメリットなんてないのに、純粋な瞳でわたしと仲良くなりたいと言ってくれる――そんなほのかに嫉妬していた自分が、なんだか馬鹿みたいに思えてしまった。