↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
34/237

第七話 文化祭と胸のざわめき(5)

 そんなふうにしながら歩いていたら、あっという間に東高の校門前に着いてしまった。古めかしい造りの校舎の前は、制服姿の生徒と一般客でごった返していて、すでに祭りの熱気に包まれている。


「おー、賑わってるな~。文武両道なだけあって、文化祭も力が入ってそうだよねー」


 若葉が手を掲げて、人混みを仰ぎ見た。人が多すぎて、小さい若葉は目を離すとどこかに行ってしまいそうだった。わたしたちは人に揉まれながらパンフレットを受け取り、校舎内に足を踏み入れる。全体的に年季が入っているようで、学内は少しだけ薄暗い。しかしそんな校舎とは対照的に、若い賑やかな声が辺りから聞こえてきた。そのコントラストに目が慣れないせいか、わたしの足元だけがやけにふわついている気がした。


 まずは、日菜子のお目当てである蒼のクラスに足を運ぶ。パンフレットを見ると、蒼のクラスは『劇 シンデレラ』と記載されていた。案内表示に従って教室へ向かうと、入口前にはきらきらした飾り付けが施され、青いクラスTシャツを着た生徒たちが大声で客引きをしているところだった。


「次の上演は、十分後だって……。観に行ってもいいかな?」


 日菜子が遠慮がちに提案するけれど、わたしも若葉もすぐに頷いた。教室内には即席の舞台が組まれていて、照明と暗幕、手作り感のある客席まで設置されていた。すごいなあと感心していたそのとき、暗幕のすき間からひょこっと顔を出した、王子様。眩しい笑顔に、金色の王冠。まさに、少女漫画から出てきたようなルックスだった。


「あっ……日菜子! 来てくれたんだね」


 その凛々しい一声に、近くの女子たちが小さく歓声を上げる。軍服のような王子様衣装にマントがよく似合っていて、わたしも思わず見惚れてしまった。王子は、日菜子の恋人の蒼だった。


「蒼ちゃん……! やだ、王子様の役だったの? すごい、似合ってる」


「やっぱり、日菜子に見られるのは恥ずかしいね。でも、来てくれて嬉しいよ」


 顔を赤く染めながら、日菜子が小さく弾んで蒼の元へと駆け寄った。その表情が、あまりにも幸せそうで――素直に可愛いと思った。蒼はそのまま日菜子と一緒に、わたしたちの方へ歩いてくる。


「若葉ちゃんと美奈ちゃんも来てくれたんだね。ありがとう」


 爽やかな笑顔でそう言われて、心臓がひとつ跳ねた。日菜子の恋人だってわかっているのに……その美しさに、思わず見とれてしまうだなんて。


「……ええと、初めましてだよね」


 蒼がわたしたちに視線を投げかけ、そして――カナデのところで、ぴたりと止まった。カナデは明らかに居心地が悪そうな様子で、小さな声で名乗る。すると蒼が柔らかく微笑んで「奏ちゃんか。いつも日菜子がお世話になってます」と、丁寧にお辞儀をした。


「奏……ちゃん……?」


 カナデが呟く。その声には、明らかに戸惑いが滲んでいた。そして蒼は、再び日菜子へと視線を戻して笑う。蒼の興味が自分から離れたのを確認し、カナデがわたしの耳元で囁いた。


「何、あの王子……本当に女の子? ていうか、話は聞いてたけど……轟さんの、恋人……?」


 動揺に目を瞬かすカナデの横で、わたしは苦笑する。先日会った時も顔が良いとは思ったけれど、今日は王子様服が拍車をかけ、より蒼は輝いて見えた。東高が女子校だったら、きっととんでもないことになっていただろう。


「ねえ、蒼ー! 最後、ちょっと確認したいんだけど……」


 暗幕の向こうから、聞き覚えのある声が響いた。はっとして顔を上げると、その声の主と目が合った。彼女もこちらに気づいたようで、驚いたように目を見開く。


「……あれっ、もしかして美奈ちゃん? って、それに……まさか奏? 奏も来たの……?」


 幕をかき分けて飛び出してきたのは、ボロボロのドレスに三角巾姿の――まぎれもない、ほのかだった。まさか、蒼と同じクラスだったなんて。東高のどこかにはいると思っていたけれど、こんなにもあっさり現れるなんて。


 ほのかの視線が、カナデを捉える。カナデも、自然とその目を見返して――そして、笑った。


「誘われたから、たまたまね」


 少しだけ照れたように言うその顔に、わたしの心がずしりと沈む。カナデは何も、動じていない。ほのかも、まるでずっとこうしていれば良かったみたいに、自然に笑っている。


――全部、終わったこと。ふたりとも、そんな顔をしていた。


 その並びを見ているだけで、胸の奥が痛む。交わされる視線。自然な呼吸。たった一言のやり取りで、ふたりの距離が、わたしとは違うことがわかってしまう。


 わたしは――また、外側にいる。


「美奈ちゃんも、奏も……来てくれて嬉しい。こないだは、本当にありがとうね……!」


 迷いのない声だった。あの日のことはもう済んだというような、穏やかなトーン。綺麗に終わった、過去のふたり。


……じゃあ、あの時のわたしは、何だったんだろう。嫉妬して、勝手に動いて、電話を繋げて。その結果、ふたりだけで共有した過去が片づいて――そして、今。置いていかれているのは、わたしだけ。


 横を見ると、カナデがそっと頷いていた。言葉なく、でも確かに気持ちを返すように。たったそれだけの動作にすら、心がざわめいた。わたしの知らない、ふたりだけのやりとりがそこにあるようで。


 わたしたちの様子に気づいた蒼が、マントをはためかせてほのかに近づく。舞台の外でも、立ち位置を探るみたいに迷いがない。すっと、自然に距離を詰めてくる。


「ほのか。美奈ちゃんと奏ちゃんと、知り合いなの?」


「えっ、蒼もふたりと知り合いなの?」


 ほのかは驚いた顔を一瞬だけ作って、すぐにいつもの調子に戻った。


「奏は中学が同じで、美奈ちゃんとはこないだ知り合ったの。そうそう、蒼。最後のシーンなんだけど……」


 言い終わる前に、蒼が「うん」と短く頷く。ああ、そこね――とでも言うみたいに、蒼の目が一度だけ暗幕のほうを見た。ほのかもそれに合わせて視線を動かし、指先でドレスの裾をつまんで、立ち位置を確認するように半歩ずれる。


「ほのかは、そこで一歩だけ近づいて」


「うん、分かった。蒼は?」


 蒼は返事の代わりに、すっと片手を伸ばしてみせた。その掌に自分の手を重ねながら、ほのかが小さく笑う。


「やっぱり、ちょっと恥ずかしいんだけど……しょうがないね」


 ふたりのやり取りは早かった。言葉は少ないのに、通じている。呼び捨てが自然に混ざって、息をするみたいにテンポが合っている。確認が終わるとほのかが蒼を見上げて、蒼が目尻を下げて応えた。ほんの一瞬――舞台の照明が落ちる前の、静かな笑いの共有。


 話の内容と着ている衣装から、ほのかはシンデレラの役のようだった。すっきりとした顔立ちの美少女であるほのかに、うってつけの役。それに、こうして蒼と並んでいると……すごく、絵になる。


 ふと、視界の端に日菜子の姿が映った。顔を伏せて、静かに足元を見ていた。まつ毛の先が濡れているように見えて、蛍光灯の光がきらきらと瞳を反射していた。口元はぎゅっと結ばれていて、何かを抑え込んでいるようだった。


「……あっ、もうすぐ時間だ」


 ほのかが時計をちらりと見て、わたしたちに微笑んだ。


「奏も、美奈ちゃんも、お友達も……楽しんでいってくれたら嬉しいな。蒼、行こっ」


「うん。ほのか、転ばないでね」


 蒼が小声で言うと、ほのかが「転ばないよ」と笑って、肩を軽く小突くみたいに身を寄せる。


「日菜子、またあとでね」


 蒼はそう言って、ほのかと並んで手を振って暗幕の向こうへ戻っていった。教室の照明がふっと落ちて、残された空間に静けさが落ちる。日菜子の横顔をそっと見ると、その目はやっぱり潤んでいた。今にも泣き出しそうな、そんな顔。誰にも気づかれないように、静かに息を詰めて耐えているみたいだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。