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第七話 文化祭と胸のざわめき(5)

 そんなふうにしながら歩いていたら、あっという間に東高の校門前に着いてしまった。古めかしい造りの校舎の前は、制服姿の生徒と一般客でごった返していて、すでに祭りの熱気に包まれている。


「おー、賑わってるな~。文武両道なだけあって、文化祭も力が入ってそうだよねー」


 若葉が手を掲げて、人混みを仰ぎ見た。人が多すぎて、小さい若葉は目を離すとどこかに行ってしまいそう。人に揉まれながらパンフレットを受け取り、校舎内に足を踏み入れる。全体的に年季が入っているようで、学内は少しだけ薄暗い。しかしそんな校舎とは対照的に、若い賑やかな声がところかしこから聞こえてくる。なのに、わたしの足元だけが、どこかふわついている気がした。


 まずは、日菜子のお目当てである蒼のクラスに足を運ぶ。パンフレットを見ると、蒼のクラスは『劇 シンデレラ』と記載されていた。案内表示に従って教室へ向かうと、入口前にはキラキラの飾り付けと、青いクラスTシャツを着た生徒たちが大声で客引きをしていた。


「次の上演は十分後だって……観に行ってもいいかな?」


 日菜子が遠慮がちに提案するけれど、わたしも若葉もすぐに頷いた。教室内には即席の舞台が組まれていて、照明と暗幕、手作り感のある客席まで設置されていた。すごいなあと感心していたそのとき、暗幕のすき間からひょこっと顔を出した「王子様」。眩しい笑顔に、金色の王冠。まさに少女漫画から出てきたようなルックス。


「……日菜子! 来てくれたんだね」


 その凛々しい一声に、近くの女子たちが小さく歓声を上げる。軍服のような王子様衣装にマントが似合い、わたしも言葉を失って、その姿につい見惚れていた。王子は、日菜子の恋人の蒼だった。


「蒼ちゃん……! やだ、王子様の役だったの? すごい、似合ってる」


「やっぱり、日菜子に見られるのは恥ずかしいね。でも、来てくれて嬉しいよ」


 顔を赤く染めながら、日菜子が小さく弾んで蒼の元へと駆け寄っていく。その表情が、あまりにも幸せそうで、素直にかわいいと思った。蒼はそのまま日菜子と一緒に、わたしたちの方へ歩いてきた。


「若葉ちゃんと美奈ちゃんも来てくれたんだね。ありがとう」


 爽やかな笑顔でそう言われて、心臓がひとつ跳ねた。日菜子の恋人だって分かっているのに……その眩しさに、思わず見とれてしまうなんて。


「……ええと、初めましてだよね」


 蒼がわたしたちに視線を投げかけ、そして――カナデのところで、ぴたりと止まった。カナデは明らかに居心地が悪そうな様子で、小さな声で名乗る。すると蒼が柔らかく微笑んで「奏ちゃんか。いつも日菜子がお世話になってます」と丁寧にお辞儀をした。


「奏……ちゃん……?」


 カナデが呟く。その声には、明らかに戸惑いが滲んでいた。そして蒼は、再び日菜子へと視線を戻して笑う。蒼の興味が自分から離れたのを確認して、カナデがぽつりとささやいた。


「何、あの王子……本当に女の子? ていうか、話は聞いてたけど……轟さんの、恋人……?」


 動揺に目を瞬かすカナデの横で、わたしは苦笑する。先日会った時も顔が良いとは思ったけれど、今日は王子様服が拍車をかけ、より蒼は輝いて見えた。東高が女子校だったら、きっととんでもないことになっていただろう。


「ねえ、蒼ー! 最後、ちょっと確認したいんだけど……」


 暗幕の向こうから、聞き覚えのある声が響いた。はっとして顔を上げると、その声の主と目が合った。彼女もこちらに気づいたようで、驚いたように瞳を見開く。


「……あれっ、もしかして美奈ちゃん? って、それに……まさか奏……? 奏も来たの……!」


 幕をかき分けて飛び出してきたのは、ボロボロのドレスに三角巾姿の――まぎれもない、ほのかだった。まさか、蒼と同じクラスだったなんて。東高のどこかにはいると思っていたけど、こんなにもあっさり現れるなんて。


 ほのかの視線が、カナデを捉える。カナデも、自然とその目を見返して――そして、笑った。


「誘われたから、たまたまね」


 少しだけ照れたように笑うその顔に、わたしの心臓がずしりと沈む。カナデは動じていない。ほのかも、まるでずっとこうしていればよかったみたいに、自然に笑っている。


 ――全部、終わったこと。そんな顔をしていた。


 その並びを見ているだけで、胸の奥がちくりと痛む。


「美奈ちゃんも、奏も……来てくれて嬉しい。こないだは、本当にありがとうね……!」


 迷いのない声だった。あの日のことはもう済んだというような、穏やかなトーン。綺麗に終わった過去のふたり。


 ……じゃあ、あの時のわたしは、何だったんだろう。嫉妬して、勝手に動いて、電話を繋げて。その結果、ふたりだけで共有した過去が片付いて――そして、今。置いていかれてるのは、わたしだけじゃない?


 横を見ると、カナデがそっと頷いていた。言葉なく、でも確かに気持ちを返すように。たったそれだけの動作にすら、心がざわめいた。わたしの知らない、ふたりだけのやりとりがそこにあるようで。


 わたしたちの様子に気づいた蒼が、マントをはためかせてほのかに近づく。


「ほのか。美奈ちゃんと奏ちゃんと、知り合いなの?」


「蒼もふたりと知り合いなの? 奏は中学が同じで、美奈ちゃんとはこないだ知り合ったの。そうそう、蒼。最後のシーンなんだけど……」


 すっと切り替えるように、話題を劇の打ち合わせに戻すほのか。蒼も頷きながら、それに応じる。ふたりは仲が良いようで、お互いを呼び捨てにして呼び合っていた。軽い打ち合わせを終えたふたりは顔を見合わせて、穏やかに微笑み合う。話の内容と着ている衣装から、ほのかはシンデレラの役のようだ。すっきりとした顔立ちの美少女であるほのかに、うってつけの役。それに、こうして蒼と並んでいると……すごく絵になる。


 ふと、視界の端に日菜子の姿が映った。顔を伏せて、静かに足元を見ていた。まつ毛の先が濡れているように見えて、蛍光灯の光がきらきらと反射していた。口元はぎゅっと結ばれていて、何かを抑え込んでいるようだった。


「……あっ、もうすぐ時間だ」


 ほのかが時計をちらりと見て、わたしたちに微笑んだ。


「奏も、美奈ちゃんも、お友達も……楽しんでいってくれたら嬉しいな。蒼、行こっ」


「うん。それじゃあみんな、またあとでね」


 そう言って、ふたりは手を振って暗幕の向こうへ戻っていった。教室の照明がふっと落ちて、残された空間に静けさが落ちる。日菜子の横顔をそっと見ると、その目はやっぱり潤んでいた。今にも泣き出しそうな、そんな顔。誰にも気づかれないように、そっと息を詰めて耐えているみたいだった。

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