第七話 文化祭と胸のざわめき(4)
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土曜日、待ち合わせ十分前に駅に着くと、改札の目の前に若葉がいた。
「お、美奈氏が二番手か。おはよ~」
わたしのことを見つけるなり、若葉はにんまりと笑ってとことことやってくる。身長が小さくて童顔の若葉は、一挙一動が小動物みたいで可愛らしい。なんだか、ハムスターに似ている気がする。若葉の私服を見るのは初めてだけど、Tシャツにショートパンツという装いで……下手したら、小学生でも通ってしまうのではないだろうか。
そんな若葉と適当に雑談をしていたら、「お~い」と日菜子の声が聞こえてくる。顔を向けると、可愛い服に身を包んだ日菜子が小走りでわたしたちの元にやって来ていた。その姿はいつもの二つ結びがゆるい三つ編みになっていて、花付きの麦わら帽子が目立つ。フリルが沢山付いた甘いマリンテイストのワンピースから伸びた脚元は、リボンのサンダルで決めている。
「うおっ……」
日菜子の姿を見た途端、若葉がぎゅっと目を瞑る。天使のような微笑みで手を振ってくる日菜子は、あまりにも眩しかった。可愛すぎる。日菜子を見た後、わたしは自分が着ている花柄のワンピースを改めて見下ろした。この服も可愛いと思って買ったけど、日菜子の服の可愛さを前に霞んだようだった。
「美奈氏……これが、恋する乙女のパワーか……」
「ほんとにね……」
若葉とこそこそと言葉を交わしていると、並んだ日菜子はきょとんと首を傾げていた。そんな仕草まで愛らしい。恋をすると、人はこんなにも可愛くなれるのだろうか。つい言葉を失っていると、日菜子がふんわりと微笑んだ。
「若葉ちゃんも、美奈ちゃんも。今日は付き合ってくれてありがとう!」
日菜子の微笑みは、いつもの三倍ましで眩しく見える。よく見ると瞼の辺りがきらきらと光の反射で輝いていて、軽く化粧もしているようだった。それに、なんだか甘い香りもするような……。 日菜子のオーラに惚けてぼんやりとしていると、改札から見慣れたカナデが出てくるのが見えた。いつも通りシンプルな格好で、安心した瞬間、心臓が高鳴る。わたしたちに気付いたカナデは、片手を上げて爽やかにこちらにやって来た。
「やっぱり、松波さんってかっこいいよね……。美奈ちゃんと、お似合いだと思うよ」
カナデを見ながら、日菜子がこそこそと耳打ちをする。もしかして、若葉も日菜子も……こないだから、わたしとカナデの関係を楽しんでない? 見せもんじゃないぞと思いつつ、少しばかり呆れてしまう。わたしなんかの友人関係に、わざわざ足を突っ込んでくるなんて……二人はとんだお人よしだ。
駅から十分程度歩いた閑静な住宅街の中に、東高は立地している。わたしは偏差値が届かなくて全く眼中になかったから、今まで訪れたことはない。日菜子は何度か行ったことがあるようで、先頭を若葉と日菜子、その後ろにカナデとわたしが続く形で歩き出す。隣を歩いているカナデも、元々は東高を志望していたみたいだから……訪れたことがあるのかもしれない。
「……でもさ、松波奏って頭良いんだから、東高余裕だったでしょ?」
前を歩く若葉が、会話の中で軽く言う。事情を知らなくてもズバズバ聞けるのは、若葉らしいといえば若葉らしい。だけど……事情を軽く知っているわたしはどきどきしながら、横を歩くカナデの表情を伺っていた。
「ああ……最初は志望してたんだけど、出席日数が引っかかりそうで。それで海浜を受験したんだよね」
「東は確かに欠席多いと調査対象になるって聞いたことあるわー、流石エリート校だよね~。ていうか、松波奏って中学からサボり魔だったんだね!」
何も知らない若葉は、あっけらかんと笑う。カナデは気を悪くした様子も見せず、合わせて笑顔を見せていた。
「まあ、松波奏が海浜を受けてくれたおかげで、今こうして一緒に居られる訳だしね! 悪くなかったっしょ?」
振り向いたまま、若葉は白い歯を見せて笑っている。その笑顔は、心から嬉しさを滲ませているような――とても気持ちの良いものだった。笑顔を受けたカナデも、そうだねと言って微笑んでいる。その様子を見ていると、若葉の素直さが羨ましいと思ってしまった。
「……海浜に来たおかげで、ミナとも出会えたしね」
カナデがそっと近づいて、耳元でぽそりと呟かれた。カナデの吐息が髪を揺らし、一瞬で身体が熱を持つ。たじろいでカナデの方を振り向くと、お腹を抱えて小さく笑っていた。
「ちょっと! 何するの! もう、カナデはすぐそうやって人をからかって……!」
「いやー、こないだ遊びに行った時、ミナって照れ屋なんだなあと実感して……。はは……照れすぎでしょ」
カナデは笑いながら、目元に涙を溜めていた。そんなに? と、わたしはカナデを軽く睨む。からかわれるのはしゃくだけど、こんなに楽しそうなカナデの姿を見てしまうと……こちらも怒るに怒れない。
「ははっ……ごめんって。でも本当に、海浜に来て……ミナと仲良くなれて、良かったって思ってるよ」
涙を拭いながらカナデが言ったその言葉が、心臓を貫いた。わたしは息を呑んで、何も言うことができなくなる。まるで、わたしの時間だけが止まってしまったみたいに意識が遠のいた。だけど……指先をぴくりと動かして、わたしはそっと息を吐く。
「わたしも……カナデに会えて、良かったって、思ってるから……」
俯きながらぼそぼそと呟くと、気付いたカナデが目を細める。恥ずかしさに頬が熱を持ち、わたしは両手で顔を隠す。照り付ける太陽の暑さも相まって、なんだか沸騰してしまいそうだった。
「おっ、美奈氏、真っ赤。松波奏と一緒だと、そういう反応するんだー。……やっぱ今日、松波奏を誘って正解だわ」
振り向いた若葉が、わたしの姿を見てにたにたと意地の悪い笑みを浮かべている。日菜子も両手で口元を隠しながら、優しい笑顔を向けていた。この二人、やっぱり楽しんでいる。リアクションに困るから、本当にやめてほしい。やめてよと言って、わたしはカナデの身体を叩いた。