第七話 文化祭と胸のざわめき(2)
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一時間目に間に合う時間に、ぎりぎりバスが到着した。朝礼を終えた担任に会わないよう祈りつつ、そっと席に滑り込む。辺りを見回すと姿がなくて、ほっと胸を撫でおろした。後で会ったらきっと小言を言われるだろうけど……まあそれは仕方ない。
「お、美奈氏! 遅刻久々じゃん。松波奏とのデートが楽しすぎて浮かれたのん?」
隅で喋っていた若葉と日菜子がわたしに気づいて寄ってきて、若葉が肩を叩いてきた。遅刻の原因がカナデにあることは間違いではないけれど、決して浮かれているわけではない。気持ちを悟られないように、表情筋を少しだけ固くする。
「それはない、普通に寝坊しただけ……。二人のおかげでなんとか無事に遊びに行けたよ、ありがとうね」
「そっかあ、よかったあ。若葉ちゃんとね、ちょっと心配してたの。変な提案してなかったかなって」
日菜子が頬に手を添えて、穏やかに微笑む。変な提案って何だろう。そんなにおかしなルートだったっけ? カナデは楽しんでくれていたみたいだし、きっと大丈夫だろう。曖昧に笑っていると、若葉が背後から肩を組んできた。ぐっと力が込められて、若葉はわたしを覗き込んでにやりと笑う。
「……でさ、美奈氏。土曜ヒマ? 今度は私たちと遊ぼうよ」
突然の提案に、つい目を瞬かせる。ちらりと日菜子に視線を向けると、若葉の横でふんわりと微笑んだ。
「えっと、今週の土曜……? 別に、大丈夫だけど……」
「よっしゃ! じゃあ十時に駅前集合ね」
「はあ」と煮え切らない返事をしつつ、わたしは頷く。二人から遊びに誘われることは、入学以来初めてだ。この二人との関係はクラスの中だけで完結していて、休日を共に過ごすような深い仲ではないと思っていたから……正直意外だった。
「……あのね、今週の土曜日、東高の文化祭なの。良かったら、一緒に行ってもらえないかなあと思って」
ふわふわの髪を弄りながら、日菜子が照れ臭そうに言う。東高。その言葉を聞いて、咄嗟にほのかのことが思い浮かんだ。その瞬間、心臓が一度だけきゅっと締め付けられる。だけど何も知らない日菜子は、穏やかにわたしを見つめていた。東高と日菜子……以前デートを尾行した際に出会った、日菜子の恋人、蒼を思い出す。なるほど、そういうことか。
話を聞くと蒼はクラスで行う劇のキャストに抜擢されていて、日菜子はそれを観に行きたいらしい。若葉は「なにか創作のネタがあるかも!」なんて言ってノリノリだし、わたしも特に予定は無かったので、断る理由がない。
――それに、東高にはほのかが居る。カナデと、深い関わりのあった女の子。もう過去のことだと分かっていても、どこかで引っかかっている自分がいる。ほのかのことを、知りたいと思っていた。ほのかのことを知れば……私の知らないカナデが、そこにいるかもしれない。
「それでね、美奈氏。ついでだから、松波奏も一緒にどうかなーと思っていて……」
「えっ。ええ? カナデ……?」
若葉からカナデの名前が出て、声が裏返る。その名前を聞いた途端、胸がざわついて、喉が熱くなった。えっ、一緒に東高行くの? カナデと? うそでしょ? ほのかとカナデはもう仲直りしたけど、それでもやっぱり、二人が再会する場面を想像すると……。それに、カナデは当初、東高を志望していたみたいだし……。わたしが動揺しているのをよそに、若葉は何も気にせず言った。
「……さっき、クラスを覗いたらちょうどいたから、美奈氏の予定聞く前だったけど、誘っといたよ~。来てくれるって言ってた!」
はっはっはと笑う若葉のコミュニケーション能力に、ただただ驚愕する。若葉が以前カナデと仲良くなりたいと言っていたのは、社交辞令ではなくて本心だったのか。別のクラスに行ってほぼ初対面のカナデを、突如遊びに誘うだなんて……。別にわたしが仲介しなくても、勝手に仲良くなれるのでは? なんて思ってしまう。
それにしても、カナデも一緒に、東高って……。スマートフォンを確認すると、カナデからメッセージが届いていた。内容を見ると、『美奈の友達の汐見さんと轟さんから、東高の文化祭に誘われたよ。美奈も行くんだよね?』と書いてある。
カナデはわたしに気を遣って了承したのか、それとも本心から行きたいと思ったのかは分からない。とりあえず、わたしも行く旨とお礼を書いて送っておく。すぐに既読の文字が付き、『大丈夫』という言葉に並んで『放課後練習するけど来る?』とメッセージが届いた。
わたしはこれから、カナデにどう接していけばいいんだろう。友達に対して、あんなことを思うなんて……どうしたらいいか分からないから、正直気が進まない。だけど、若葉の件もあるし、きちんと会ってお礼を言うべきなんだろう。楽器も持ってきたし……。震える指先で『行く』と返して、画面を閉じた。