第六話 夕暮れと二人の絆(6)
「……美奈ちゃん、ありがとうね」
わたしが手に持っていたスマートフォンのスピーカー越しに、ほのかの声が静かに響いた。カナデが驚いたように息を呑んで、わたしを見る。一瞬、沈黙が訪れた。見せつけるようにスマートフォンを掲げると、画面にはほのかのアイコンが浮かんでいる。
「奏、私、迷惑なんて全然思ってないよ。あの時、奏を守れなくて……ごめん。ごめんね、奏……!」
スピーカーに設定したままのスマートフォンから、ほのかの声が聞こえてくる。女の子らしい優しげな印象の中に、どこか不思議と芯の強さを感じさせる声。それはまるで、ほのかの人柄を体現しているようだった。この子が、カナデの……。わたしは震える指先で画面を操作し、スピーカーを停止する。そのままカナデに差し出して、「後は二人で話して」とその身体に押し付けた。
この提案をしたのは、わたしだった。昨日、連絡先を交換していたほのかに、メッセージを送っていた。“上手くいくか分からないけど、わたしがカナデに、ほのかの気持ちを伝えてみる”……と。ほのかは、その提案に乗ってくれた。
少し離れたところで会話をしているカナデを見ながら、自分の身体が重くなっていくのを感じていた。気が付けば、太陽は水平線の向こうに沈んでいて、空は宇宙の色をした紺色のグラデーションで満ちていた。何の星かは分からないけれど、一番星が宝石みたいに空に埋められている。
わたしの身体は、まるで夜に呑まれてしまったかのように……動くことができない。
どうしてわたしは、こんなことをしてしまったんだろう。二人が仲違いしたままでも、何の影響も無かったのに。仲良くしているカナデが辛そうで、何とかしてあげたかったから? そう思っていた。そう――思いたかった。だけど、本当は……。
……きっとわたしが、二人の関係に割って入りたかったからなんだろう。わたしの知らない、カナデとほのかの関係に。
因縁が残れば、カナデはほのかをずっとどこかで引きずる。それなら、いっそ綺麗に仲直りさせてしまった方が良い。それも、二人で解決するのではなくて、わたしを介入させて解決したほうが……カナデはわたしを見てくれる。
要は、カナデがわたし以外と繋がるのが嫌だった。ほのかが先にカナデを知っていて、特別な縁があるのは分かっている。だけど、胸がざわついて仕方ない。だからせめて、これからの関係にだけは、わたしの存在をどうにか刻みつけておきたかった。
だからこれは、善意に見せかけた、わたしの我がまま。
人にあまり執着することがなかったわたしが、こんなことを思うなんて。いや、違う。私はそんなに、執着するような人間じゃない。なのに、どうしてこんなに……カナデのことが気になるんだろう。
カナデは、何も無かったわたしにトランペットを与えてくれた。それだけじゃなくて、わたしのことを認めてくれたり、色々なことに気付かせてくれたり。いつの間にか、自分の中でカナデの存在がすっかり大きくなってしまっていた。わたし以外、他の人を見て欲しくないと思ってしまうほどに。
――こんなに誰かに執着してしまう自分なんて、知らなかったし、知りたくもなかった。
身体は鉛のように固まって動かない。ただ、眼球だけが静かにカナデの姿を追っている。カナデは通話を終えたようで、「ミナ、ありがとうね」なんて言いながら帰って来た。汚い気持ちに気付かれないよう、わたしはいつも通りの笑顔を貼りつける。夕暮れの中で、二人で見た景色――その一瞬だけは、きっと“絆”と呼んでもよかったんだろう。だけどその裏で芽生えたものは、もっと醜くて、わたしだけのものだった。……わたしは、もう後戻りはできないと気づいていた。