第五話 金色と銀色の別れ(4)
***
天台ほのかが松波奏と出会ったのは、小学校四年生の春。音楽クラブの体験会だった。二人の通う小学校には吹奏楽部のようなクラブがあり、四年生から入ることができた。ほのかは入学当初から「絶対入る!」と宣言していて、その日もやる気満々で音楽室に現れた。
上級生が楽器を持って勧誘に回るなか、ほのかはひとり、音楽室をぐるぐる歩き回りながら迷っていた。フルートはお嬢様っぽくて素敵、サックスは大人っぽくてかっこいい。腕を伸ばすラッパもいいけれど、大きいのは背が低いから無理かな……。
くるくるくるくると音楽室の中を何度も見渡し、うーんと迷う。音楽クラブに入るということだけ決めていて、何の楽器をやりたいかは考えていなかった。そうこうしているうちに他の四年生が試奏をしたり入部を決めたりしていて、ほのかは慌てる。困ったぞ、早く決めなきゃ。
「うーん……どうしよう……」
腕組みをしながら考えていたそのとき、部屋の奥から突き抜けるような高音が響いた。華やかで、真っ直ぐで、力強い――。その音に、ほのかの身体がびくんと反応する。
振り返った視線の先、部屋の後ろ側で金色のラッパを吹いている女の子がいた。名札の色が一緒だから、同じ学年の子。だけど、その音は明らかに、周囲の誰とも違っていた。それはあまりにも綺麗な音だったから、横の上級生が目を丸くして固まっている。
凛とした黒い瞳が、ほのかとばちりと視線を交わす。その瞬間、ほのかは射抜かれたような感覚に陥った。
――なにあれ! かっこいい……!
吸い寄せられるように駆け寄り、ずいっと顔を近づける。
「ねえ、すごいね! 私もやってみたい。できるかな?」
ほのかの唐突な質問に、女の子は一瞬だけ眉を寄せた。
「……やってみれば?」
女の子はそう呟き、手に持っていた上級生の楽器を軽い調子でほのかに渡す。その口調は、どこか突き放すようでもあった。けれど、拒絶ではなかった。
ほのかは初めて触るトランペットに戸惑いながらも、胸が高鳴っていた。金色の管は思ったよりも重くて、どこを持てばいいのかも分からない。落としたらどうしよう、ぶつけたら怒られるかも……と変な汗をかいていると、隣にいた上級生が笑いながら持ち方を直してくれた。
「おお、きみもトランペット志望かな? 教えてあげる」
上級生に言われるがままに構えて、音を出すまでには少し時間がかかったけれど――初めての音が鳴ったときの興奮は、今でも忘れられない。
「わあ! やったあ……!」
ほのかが思わず叫んだ声に、上級生が拍手を送り、トランペットを貸してくれたあの子も――少しだけ口元を緩めた。それが、奏との最初の笑顔だった。
「……私、四年一組の天台ほのかです! トランペットやりたいです!」
興奮のまま勢いよく手を挙げたほのかに、上級生が笑顔で名簿に名前を書き込む。
「天台さんを入れて、トランペットパート志望者は四人……残りの楽器も四台だから、これで締め切りかな!」
ぱん、と手を叩いて、上級生は名簿を先生のところへ持っていく。ほのかがほっと息を吐いたそのとき、服の裾をつんつんと引かれた。振り向くと、さっきの女の子が――あの強い音を響かせていた子が、真っ直ぐこちらを見ていた。
「私、四組の松波奏。よろしく」
それだけ言って、後ろの二人に視線を移す。
「あと、同じパートの……」
静かで、でもどこか圧のある紹介だった。その声を聞いて、ほのかは思った。この子はたぶん、誰にも負けたくない子なんだ。音を聴けば、分かる。あの一音には自信と覚悟と、どこか孤独が詰まっていた。だけど、どこまでもかっこいい。だから、この瞬間にほのかは決めた。――この子の隣に、ついていこう。
奏はすぐに、周囲の誰よりも抜きん出た存在になった。学年なんて関係なく、トランペットパートの中心どころじゃない。クラブ全体のエースになっていた。
誰よりも早く高い音を吹けるようになり、誰よりも先にファーストパートを任され、ソロも、コンクールも、次々と結果を出していった。
誰も、奏には追いつけない。奏はあまりにも、強すぎる。だから、誰も何も言えない。でも――ほのかだけは、諦めなかった。奏はライバルじゃない。私は奏を、追いかけていたい。誰よりも、その背中を近くで支えたいと思える存在。
気づけば六年生になったほのかは、奏の下で吹くポジションに自然とおさまっていた。でも、それでよかった。奏の音を、誰よりもそばで聴いていられる。それだけで、嬉しかった。




