↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
18/240

第五話 金色と銀色の別れ(2)

「やっぱり……奏だ。ねえ……」


 彼女が手を伸ばしかけた、その瞬間だった。カナデの肩が、ぴくりと揺れる。無意識に、とても自然に――ほんの半歩、わたしを庇うみたいに位置をずらした。その仕草に、悪意はなかった。たぶん、守るための反射だった。


 でも――あまりにも直感的で、拒絶のようにも見えた。


 彼女の伸ばした手が、空を彷徨ったまま止まる。何かに触れようとして、ぎりぎりのところで止まってしまったように。


 空気が、軋むような音を立てて張りつめた。カナデの表情が、わずかに翳る。わたしが声をかけようとするより早く、その声が降ってきた。


「……ミナ、ごめん。今日は先に帰るね、また連絡するから」


 その声はわたしに向けたものというより、自分自身への言い訳みたいだった。カナデは早口でそう言い残すと、振り返ることなく改札へと駆け出す。


「カナデ……!」


 思わず名前を呼んだけれど、声にならなかった。唇だけが、空気を噛んだ。


「……待って、奏!」


 代わりにもうひとつの声が、鋭く空を裂いた。高く澄んでいるはずの声が、今にも割れそうなほど震えていた。改札へ駆け出したその背中を追いかけるように風が吹き抜けて、ハーフアップにした長い髪がふわりと揺れる。


 彼女が改札に定期ケースを突き出したその瞬間、「ピンポーン!」と警告音が鳴り響いた。その音が鳴った瞬間、彼女の動きが止まった。改札バーが勢いよく下りて、行く手を塞ぐ。


 一瞬、時間が止まったようだった。彼女の目の前で、カナデの背中が人の波に紛れていく。手を伸ばしても、もう届かない。声を出しても、もう間に合わない。彼女は、ただそこに立ち尽くしていた。


 彼女の鞄から伸びたぬいぐるみの定期ケースが逆さまになっていて、つぶれた顔がこちらを見ていた。まるで、期待が裏返ったみたいに。


 彼女の白い頬がひくついた。まばたきもできないような顔で、目だけが――ただ、カナデを追っていた。そんな彼女を見つめながら、わたしの方が、先に我に返った。


「あ、あのっ……大丈夫ですか……?」


 そう声をかけながら近づくと、彼女はようやく視線を落とした。ぬいぐるみの定期ケースを見つめて、小さく笑う。


「あはは……ありがとうございます。タッチするとこ、逆でしたね……」


 彼女は笑った。でも、その笑いは音にはならなかった。指先がかすかに震えていて、柔らかな笑顔は、まるで貼りつけたシールみたいに浮いていた。


 この子――たぶん、今。泣いてないのに、泣いている。そんなふうに見えてしまった。


 彼女は改札を抜けるのを諦めたようで、ゆっくりとわたしの方に向き直った。東高の制服をきちんと着こなしていて、見た目はどこまでも清楚で整っている。それなのに――その瞳だけが、張り詰めたままだった。


 一瞬だけ、彼女の視線がわたしの持つトランペットケースに移った。その瞬間、わたしは無意識にそれを持つ手に力を込めていた。彼女も、同じように自分のケースをぎゅっと握りしめていた。


「……あのっ、奏のお友達……ですか?」


 それは、柔らかい声だった。だけど、その裏にあるものを、わたしは勝手に感じ取ってしまった。


――この子はカナデを、探していた。必死に探していた人をやっと見つけて、でもその人は、逃げていった。その焦燥が、彼女の全身から滲んでいた。


「奏のことで、ちょっと……聞きたいことがあって……。少しだけ、お時間いただけませんか」


 言葉だけなら穏やかなお願いのはずなのに、なぜか圧を感じてしまう。わたしは思わず半歩、引きそうになる。でも、それ以上に――わたしの胸の奥が、ぎゅっと締め付けられた。


 この子は――カナデのことを、知っている。わたしが知らない、過去のカナデを。その瞬間、カラオケ店の店長が話していた「中学の友達」のことを思い出した。


――ほのか。たぶん、この子が、そうだ。


 カナデの表情があんなふうに変わったのは、きっとそのせいだ。わたしは、ただカナデの隣にいただけのはずなのに――気づけば、誰かの過去の真ん中に立たされていた。でも、それでも。逃げるように背を向けたカナデを、わたしは放っておけなかった。


「……わかりました」


 震える声でそう告げると、彼女の張りつめた気配が、ほんの少しだけ緩んだ気がした。


「……ありがとうございます。じゃあ、どこか入りましょうか。もちろん、ご馳走させていただきます」


 その微笑みはとても綺麗で、まるで花が咲いたみたいに柔らかい。でも――その笑顔は、どこか痛々しかった。


 彼女が背を向けて歩き出すのを、わたしは小さく息を呑んで見送る。そして、ひと呼吸置いてから、その背中を追いかけた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。