第三話 友達の色と潮風(5)
涼しい風が、わたしの頬を撫でている。友達。胸の中でその言葉を噛みしめていると、横から茶化すような声が聞こえてきた。
「……その感じだと、ミナは私のことも友達だと思ってなさそうだね」
「えっ……!」
思わず声が、裏返った。隣を見ると、カナデはいたずらっぽく覗き込んできて、まるでわたしの反応を楽しんでいるようだった。顔が熱くなる。わたしが顔を引きつらせると、カナデは息を吐くように笑って、少しだけ真剣な顔になる。
「ははっ、やっぱりか」
パンの最後の一口を頬張って、飲み込んだあと。真っ直ぐ、わたしを見ながら言った。
「私は、ミナのことを……友達だと思ってるよ」
その言葉はすっと簡単に、わたしの中に入ってきた。なにも難しいことじゃない。でも、あまりにも嬉しくて。息が止まりそうだった。
「だからさ……ミナも。私のことを、友達だと思ってくれると……嬉しいんだけど」
少しだけ照れたように、でも真っ直ぐに言うその表情に――わたしの心が、またひとつほどけていく。
「だから、昨日も言ったけど、変に気を遣わなくていいんだよ。ミナはさ、いろんなこと気にしすぎだって」
カナデは、気の抜けたような笑顔を浮かべて笑った。その笑顔が、あまりにも優しくて。わたしの中のなにかが、ふわりと溶けていく。
――わたしは、どこまでカナデに近づいていいの?
喉元まで言葉が出かかって、息を吸い込んだその瞬間――チャイムがタイミングよく鳴り響いた。わたしはそっと、その言葉を呑み込む。そして、代わりに小さく頷いた。
「……あ、予鈴か」
チャイムが鳴り終わる音と同時に、カナデが立ち上がった。わたしの方を見て、静かに眉を寄せる。
「ミナ、お弁当全然食べられてないじゃん……。探させちゃって、ごめん」
わたしは「大丈夫」と笑い、弁当箱の蓋を閉める。確かに、お腹は空いたままだった。だけど――不思議と、何ひとつ嫌な気持ちは残っていなかった。
カナデが身体をぐっと伸ばす。ブレザーの裾が少し浮いて、風にひらりと揺れた。
「晴れてる日は大抵ここにいるから。また気が向いたら、おいでよ。私が学校に来れた日限定だけどね」
ははっと軽く笑って言ったあと、カナデは少しだけ言葉を置いて、続ける。
「今日さ……放課後、海辺で吹こうと思ってるんだけど。ミナも来ない?」
「えっ……。 楽器、持ってきてるけど……。行っても、いいの?」
「ミナったら、誘ってるのは私なんだけど。良いに決まってんじゃん」
ふっと笑ったカナデの顔に、つられてわたしもつい笑ってしまう。カナデは楽しそうに、何か思い出したように言った。
「じゃあ、今日はドからミまで教えるよ。そしたらチャルメラ吹けるから」
「えっ。チャルメラ……?」
突然の選曲に思わず吹き出すと、カナデはメロディを口ずさみはじめる。あまりにも綺麗なチャルメラで、わたしは笑いながら、カナデの顔を見る。その目が合った瞬間、カナデも少し照れたように笑い返してきた。
――楽しい。カナデといると、ほんとうにそう思える。この気持ちが、きっと、友達なんだ。
そう思った瞬間、胸の奥にふわっと温かいものが広がっていった。潮風が吹き抜ける。その風に乗って、灰色だった日々の景色に、少しずつ色が差していく。
わたしたちは何も言わず、並んで歩き出した。自然な足取りで、教室へと戻っていく。途中で、ブレザーのポケットが小さく震えた。スマートフォンを取り出すと、若葉からのメッセージが届いていた。
『美奈氏、授業始まるぞ~!』
そんな吹き出しに続けて、知らないアニメのキャラクターのスタンプが送られてくる。日菜子からは、可愛い動物のスタンプが送られてきた。
「……じゃあ、また放課後」
カナデが立ち止まり、少し照れたように手を振った。
「ミナと吹くの、楽しみにしてるよ。また後でね」
その笑顔に頷いて、わたしも笑って応えた。そして、弁当を胸に抱えて、わたしはふたりの友達が待つ教室へと走り出した。




