第二十一話 新たな願い(3)
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定演実行委員の最初の仕事は、演奏する曲の選曲だった。わたしたち三人の他に、別のパートから立候補した人たちを加えて、委員は合計六人。そこに楽団の執行役員が加わるので、全体では結構な人数になる。初心者だから目立たないつもりだったのに、団長から「最低一人一曲、やってみたい曲を持ってきてね!」なんて言われてしまった。
どうしようと思いながら、制服姿で宙を仰ぐ。朝の雑踏の中改札を抜け、目の前のコンビニに立ち寄ろうかと悩んでいると、スマートフォンを弄って立っているカナデが目に入った。
「あれっ、カナデ。今日早くない? おはよう」
わたしに気付いたカナデは耳に刺さったイヤホンを片方抜き取って、笑いかけた。いつもは大抵わたしのほうが先に着いているのに、珍しい。
「今日は一本早い快速に乗れたんだ。それに、早くミナに会いたかったからね」
「なっ……なにそれ……!」
朝から絶好調のカナデにやられてしまい、性懲りもなく頬が熱くなる。そんなわたしを笑いながら、カナデはわたしの片耳に自分のイヤホンを入れた。聞こえてきたのは、吹奏楽のメロディーだった。軽快なリズムが身体の奥をくすぐって、少しだけ気分が晴れていく。
「昨日から色々聴いてみてるんだけどさ、いざ選曲しろって言われると難しいね。まあでも……この曲とかどうかな」
カナデがスマートフォンを操作すると、途端に曲が切り替わる。軽快なリズムで音楽が始まり、ぱっと空が晴れたような明るいイントロ。心が思わず躍るような、わくわくする音の洪水のようだ。
「……なんか、元気が出るような曲だね」
「でしょ。途中でちょっと静かになったりするけど、全体的に明るくて……なんだろう。ゲームのBGMみたいで、気に入ってるんだ」
カナデは少しだけ照れたように笑って、頬を掻いた。なんだか可愛くて、その笑顔ごと抱きしめたくなる。
「……アルヴァマー序曲。この曲の名前だよ」
高らかなトランペットが、イヤホンからわたしの中に飛び込んでくる。華やかで速くて、でもどこか可憐で――何より、カナデの演奏にぴったりだと思った。
「すごくいい曲だと思う……! これ、カナデに吹いて欲しい」
「いや、ミナも一緒に吹くんだからね?」
わたしたちは笑いながら、並んでバス停に向かう。でも、心のどこかで思っていた。――わたしはやっぱり、音楽を知らなすぎる。この曲みたいに、カナデの中にはもうたくさんの音楽がある。わたしだけが、何も持っていないみたいで……。
家に帰るなりスマートフォンで動画アプリを開き、吹奏楽の動画を片っ端から再生していく。それぞれいい曲なんだろうけど、なんだかよく分からなくて、少しだけ眠くなる。音楽を流したままスマートフォンをベッドに放り投げて、そのままマットレスに倒れこんだ。もう全然分かんないし、やっぱり定演実行委員なんて無理だよ……わたしの代わりにカナデがもう一曲、選曲してくれないかなあ。
自動再生される動画の音楽に耳を傾けながら、目を閉じた。どうしよう。来週までに、何か一つ挙げなきゃいけないのに……。耳に入ってくる軽やかなリズムが、わたしの眠気をどんどんと誘っていく。ああ、せめて歌詞でもあれば、眠くならないのかな……。
なんて思いながら意識を手放そうとしたとき、耳に柔らかく入り込んできた、一筋のトランペットの旋律。それはさっきまで聴いていたどの曲よりも鮮やかで、温かくて――一瞬で、脳裏に光景が広がった。そこは、夜の草原だった。満天の星空の下、異国の風に髪をなびかせながら立つカナデ。その手には、金色のトランペット。そして、カナデが……その音を吹いている。その姿はどこまでも自由で、どこまでも眩しい。
「これ……!」
慌ててスマートフォンを手に取って、画面を見つめた。この曲だ。わたし……カナデにこの音を、吹いて欲しい。だってきっと、カナデが演奏したら――誰よりも素敵だろうから。
その想いだけで、迷いなくリンクをカナデに送る。文字すら打てなかった。言葉にならない。しばらくしてスマートフォンが震え、わたしは呼吸を整えながらトークルームを開いた。
『初めて聴いたけど、いい曲だと思う。ゲールフォース、楽しそうだね』
胸の奥がきゅっと縮まり、そしてゆっくりとほどけていく。わたし、あなたにこの曲を吹いてほしいと思った。そしてきっと、わたし自身もこの曲と、あなたと、向き合いたいと思ったんだ。