第二十一話 新たな願い(2)
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年が明けて、最初の市民楽団の練習日。わたしとカナデは団長に引き連れられて、コミュニティセンターの音楽室の壇上に並んでいた。
「……という訳で、松波さんと春日さんが正式に入団してくれました。拍手!」
ぱちぱちと響く拍手と一緒に、四十人近い団員の視線が一斉に向けられる。その圧に、つい肩が跳ねた。空気の重さに押し潰されそうで、思わずぺこぺこと頭を下げる。
横を見ると、カナデは――いつも通りだった。静かに微笑んで、堂々と前を向いていて。何も怖くないみたいな顔で、わたしの隣に立っている。
……すごい。やっぱり、すごいな。同じ入団のはずなのに、わたしとカナデはまるで違う。わたしはまだ、まともに吹けるかも怪しいのに。
「……じゃあ、何か心意気はある? 春日さん」
「えっ! えっと、あ、あの……ええと……! ご迷惑をおかけするかと思うんですが……よろしくお願いします……!」
突然名指しされて喉が詰まり、声がうわずる。団長が「迷惑なんてとんでもない」と笑ってくれたけれど、視線の熱はなかなか冷めなかった。
「じゃあ次、松波さん」
「そうですね。自分にできることを精一杯、頑張ってみたいと思っています。よろしくお願いします」
カナデは、落ち着いた声でそう言った。その凛とした横顔に思わず拍手をしてしまうと、カナデがちらりとこちらを見て、少しだけはにかむ。わたしだけに向けられたその笑顔が柔らかくて、身体がほんのり温かくなった。拍手の中、わたしたちは壇上を降りて自分の席へ戻った。
「……はい。では、クリスマスコンサートも終わったところなので、今後は半年先の定期演奏会に向けて準備を始めます。まずは定演の実行委員を決めたいのですが……やりたい人!」
団長のはつらつとした声が響くと同時に、近くで誰かが手を上げる気配がした。視線をやると、二つ隣に座ったほのかがしゃんと背筋を伸ばして、手を挙げていた。
さすがだな。真面目で、しっかり者で――わたしとは全然違うと思っていたら、ほのかがすっともう片方の手を伸ばし、何も言わずに隣のカナデの手首を掴んだ。そのまま、ぐいっとカナデの腕が上に引っ張られていく。
「ちょっと……ほのか。本気?」
「当たり前でしょ。本気だよ」
ひそひそとやり合うふたりのやり取りをどこか他人事で眺めていたら、ふたりの視線が飛んできた。えっ。そのままカナデの片手が伸びてきて、わたしの手首を掴む。
「えっ? ……ええっ! ちょっと、カナデ! やっ、やめ……!」
無情にも、わたしの手が天高く掲げられる。わたしの意志は、完全無視だ。顔を上げた瞬間、にこりと微笑んだ団長と目が合って、背筋が凍った。
「……はい、じゃあそこのトランペット三人娘ね。仲が良くてよろしいこと。他、あと何人か、やりたい人いますかー?」
団長のひと声とともに、ほのかがカナデの手を離す。つられて、カナデもわたしの手首を解放する。ようやく自由を取り戻した腕を抱えて、三人で顔を見合わせた。みんな、なぜか微妙に困惑した顔をしている。だけど、わたしが一番狼狽えているに違いない。
だって、わたしが定演実行委員って。わたし、吹奏楽のことなんて……まだ何もわからないのに……!
口の中が乾いていく。入団だって勇気を振り絞ったはずなのに、今度は運営側になるなんて――夢にも思わなかった展開に、ついていくことができなかった。
「……今年の実行委員は、うちのパートから三人かー! これはマジ、期待できるね。選曲楽しみだわー」
ミーティングが終わってすぐ、柚希が明るい声でわたしたちに声をかけてきた。ほのかの隣に座っている高洲さんも、優しく微笑みながらこちらを見ている。
「ええと……ほのかちゃん、そもそも、定期演奏会って……」
「毎年夏に、市民会館で開催してるの。演奏する曲は、大体十曲くらいかな? 曲はリクエストも受けつつ、実行委員が中心となって決めるんだ」
「そーそー。だから、うちのパートから出てくれると、目立つ曲が入れやすいんだよねー。定演はこないだと違って、結構ガチな吹奏楽の曲も入って来るから……。次は、奏っちにはファーストの譜面をやってもらいたいと思ってるし、美奈ちーはサードをメインにしつつ、セカンドも一曲でいいから挑戦してもらいたいなー?」
柚希の言葉に、カナデは淡々と「分かりました」と頷いていた。わたしも頭では「はい」と返さなきゃと思っているのに、喉の奥がぎゅっと詰まって、声が出なかった。
クリスマスのステージで、やっとの思いで吹き切ったばかりなのに。カナデが隣にいてくれたから、なんとか立っていられたのに。今度は、そのカナデがファースト。わたしの隣で、吹いてくれない。カナデの音に寄りかかっていた自分が、急にむき出しになる気がした。
「……おーい、美奈ちーったら。大丈夫ー? そんな寂しそうな顔するなってば〜!」
柚希が茶化すように笑って、わたしの目の前で手を振った。
「奏っちが隣にいなくても、みんなちゃんとサポートするし、美奈ちーなら絶対できるでしょー? てかさ、なんか……奏っちと美奈ちーの師弟関係……ペットと飼い主みたいでかわいいねー?」
ぱらりと髪を掻き上げて笑うその言葉に、思わず視線を落とした。
――ペット。本当に、その通りだった。わたしは、カナデがいなきゃ不安で仕方がない。ひとりで決められなくて、ひとりで吹けなくて、構ってもらえると嬉しくなって、すぐにしっぽを振ってしまう。
情けない。自分でも、情けないとわかっている。だから、否定できなかった。だって、全部当たってるんだから。
……こんなわたしが、実行委員だなんて。責任あるポジションなんて、向いてるわけない。でも、わたしはいつまで、カナデに頼ってばかりなんだろう――そう思った直後に、やっぱり隣にいてくれたら嬉しいなんて、そんなことを考える。
やっぱりわたしは、カナデがいないとだめ。無理。怖い。心細い。だけど、ここで踏み出さなきゃ、わたしはずっとそのままだ。ここで逃げたら、何も変われない。自分で決めたんだ。友達のままでも、もう少しだけ近づきたいって。カナデの隣に、ふさわしい人になりたいって。
そんなとき、隣から声がした。
「ミナがペットか……確かに、ちょっと犬っぽいかもしれないね」
カナデが静かに笑う。冗談めかした口調だったけれど、すぐにその表情が、ふっと変わった。
「だけど……結構、私を引っ張ってくれることもあるんですよ。いつも助けられてます」
その言葉が、静かに胸に降りてきた。からかいみたいな一言と、真っ直ぐすぎるほどに誠実なまなざし。
「だから、今回も……ミナならできるよ。大丈夫」
――ずるいな、カナデは。そんな顔で、そんな声で、わたしを信じないでよ。
まぶたが熱くなって、咄嗟に俯きたくなる。だけど、おそるおそる顔を上げて、控えめに頷いた。
大丈夫じゃなくても、怖くても、できる気がしなくても。カナデがそう言ってくれるなら――信じてみたい。わたしだって、変われるって。
そっと息を吸い込んで、拳をぎゅっと握りしめる。その様子を見ていた柚希が、面白そうに目を細めた。「美奈ちーったら、ちょろ~……」と、まるで、何もかもお見通しみたいな顔をしていた。




