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第三話 友達の色と潮風(2)

 ブレザーに包まれた小さな背中を眺めながら、ふと思い出す。C組……カナデのクラスだ。カナデのことを思い出した瞬間、心臓が一度だけ大きく跳ね上がる。もしかして、カナデもいるんじゃないかな。そう思いながら教室の前までたどり着くと、若葉は他のクラスだというのに物怖じせず、どんどんと中に侵入していく。わたしと日菜子は少し恐縮しながら、その背中を追いかけた。


 お目当ての生徒まで辿り着いたらしい若葉は、ばっと両手を広げて背中に勢いよく抱きついた。机で文庫本を読んでいた女子生徒の身体はその反動で、バランスを崩し前のめりになる。


「柊氏~! おはよう! 体操服貸して!」


「ちょっ、若葉! 教室でその名前は呼ぶな! ていうか、抱きつくな! 体操服は貸すけど!」


 柊、と呼ばれた女子生徒は勢いよく若葉の口を塞ぎ、慌てて周囲を見回した。だけど周りで特段気に留めた生徒はいなかったようで、彼女は安心したように息を吐き出す。


「柊、はペンネームだから! 部活以外禁止!」


「えっ、でも柊氏……本名何だっけ?」


「桜木冬子だ!」


 体操服を片手に大声でやり取りをする二人を横目に、教室の様子を確認する。視界の隅に、窓際で机に突っ伏して寝ているカナデを見つけた。耳にイヤホンが刺さっていて、こちらには気づいていない。開けられた窓から入り込む爽やかな風が、カナデの短髪を揺らしている。眠っているし、「カナデ」なんて呼びかけたら、迷惑かな……。伸ばしたかった掌を胸元で握りしめ、わたしは俯く。心臓が鳴っていて、それを誤魔化すように小さく息を吐き出した。


 若葉と冬子はいつの間にか昨晩放映されたアニメの話できゃいきゃいと盛り上がっていて、その横では日菜子が聖母のように微笑んで様子を眺めていた。わたしは話の内容が何一つわからなくて、自分の立ち位置を見失う。居心地が悪く視線を彷徨わせると、いつの間にか起きあがっていたカナデと目が合った。


 カナデはイヤホンを刺したままふっと微笑み、机に立てた右手をひらひらとさせた。頬が少しだけ熱くなって、わたしも手を振り返す。わたしたちは近付くでも言葉を交わすでもなく、ただ見つめ合ってお互い手を振るだけだった。そんなことをしていると、突然背中に衝撃が走る。重みを感じたのがあまりにも唐突で、喉から変な音が出てしまう。


「美奈氏、日菜子氏! ヤバい! そろそろチャイムが鳴るし撤退するぞ~! 柊氏も体操服ありがとねー、後で返すから~」


「……だから、その名前はやめろって言ってるだろ!」


 両腕でわたしと日菜子に覆いかぶさるように抱きついていた若葉は、ぽいっと身体を離してそそくさとその場を去る。解放されたわたしと日菜子は咳き込みながら、顔を見合わせた。日菜子は困ったように笑い、その優しげな目を細める。


「美奈ちゃん、私たちも行こうか」


 C組を去る前にもう一度カナデの姿を見ると、一部始終を見ていたようで同情しているのか困惑しているのか、何とも言えない表情で再度片手をひらひらさせた。わたしも困った顔をして、カナデに手を振って教室を出る。


 廊下では、若葉が遅いぞ~と言って仁王立ちをしていた。ごめんごめんと謝罪をすると、横で日菜子が口を開く。彼女が首を傾げた拍子に、ふわふわな髪の毛が重力に揺れた。


「……美奈ちゃん、松波奏さんと友達なの?」


 聞き覚えのある名前に、ついびくりと身体が反応する。驚いて日菜子のことを見ると、彼女はきょとんと不思議そうな顔をしていた。どうして日菜子が、カナデの名前を? 日菜子の言葉を受けて、歩き出した若葉が振り返る。


「あー、松波奏ね。”不良の松波”でしょ? そういえば、さっき珍しく教室にいたねー」


 何気なく吐かれたその言葉に、心臓が止まるようだった。若葉までカナデを知っているの? ていうか、“不良の松波”? 何それ? 言葉を失っていると、若葉が歩きながら話続ける。


「松波奏、頭めっちゃ良いって噂だよねー。入試もぶっちぎりの首席で、こないだのテストも一位だったんでしょ? 超サボり魔なのに成績良いから、先生も何も言えないんだってねー。いいなー」


「あと、楽器がすっごく上手いって聞いたよ。吹奏楽部の部長が教室まで入部を直談判しに来たけど断ったとか……クールで格好いいよねえ」


 若葉と日菜子の話を聞きながら、わたしは息を詰まらせた。そんなの、知らなかった。わたしが知っているカナデは、「松波奏」という女の子の、ほんの一部分に過ぎなかったんだ。こんなに有名な子の存在すら気づいてなかったなんて――わたしはカナデのことを、何も知らない。そう思うと、掌がじわりと汗ばんでいた。


「で、そんなヤツと美奈氏は友達になってたなんて……なるほどねん。おいおい、いつの間にそんな面白いことになってたのさ?」


 若葉が興味津々といった感じで、こちらに詰め寄る。日菜子もじっとわたしを見つめていて、その瞳が少しだけ輝いているように見えた。


「松波さん、すごいかっこいいよね……あのすらりとした姿も、凛とした顔立ちも、ほんとに素敵……」


 日菜子がどこかうっとりとしながら、視線を宙に向ける。頬が微かに染まっているような気がするのは……気のせいかな。わたしはそんな日菜子に驚きつつ、何も言うことができなかった。


「そうかー? まあ、日菜子氏はイケメン系の女子に弱いからねー。ああいうのが好きなのか……」


 日菜子を見て、若葉が呆れたように声を上げる。日菜子のイケメン女子好きも初耳だった。雑談の中で知る機会があったのかもしれないけれど、きっとその時もわたしは上の空で、何も聞いてなかったんだろう。日菜子の“かっこいい”という言葉が、なぜかわたしの心臓に突き刺さっていた。


「だって、松波さんかっこいいんだもの! ……でも美奈ちゃん、私には本命がいるから安心して。松波さんのことは見る専だから」


 日菜子は頬に手を当てて、恥ずかしそうに微笑んだ。“本命”と“見る専”? その言葉を、口の中で繰り返してみる。日菜子は一体、どういう意味で言っているんだろう。見る専は憧れ枠、本命は恋愛対象ってこと? ていうか、日菜子って誰か好きな人がいるの? 呆然としながらも頭を回転させていると、頭上で始業のチャイムが鳴った。


 やべっ、と言いながら、若葉が廊下を駆け抜ける。日菜子は微笑んだまま、くるりと背中を向けて優雅に若葉を追っていった。わたしだけがその場に取り残され、少し遅れて二人の背中を追いかけた。


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