あの世とπ
「そこにπはあるんか?」
なぜ現代に神が現れないのか。あの世が反宇宙であるとすれば、その間はどんどんねじれていく。それは、見かけの距離が広がることになる。つまり、あの世は遠ざかっている。
人間の価値観は、物理の法則と同期しているといえよう。
さて、この世界にはπがあふれている。当たり前だった。我々は球の中心にいる。距離に対し、表面の長さはπの一次式となる。距離と表面の長さを合わせようとすれば、πの比例式になる。空間を曲げていたのは我々である。
これもまた数学的なトポロジーだった。本来平面のものを、自分を中心に丸く曲げる。すると平面では同じ長さだったものが、距離によって長さが変わってしまう。見かけは同心円上に広がるので同じに見える。しかし、これを外から測ると違ってしまう。
つまり、πをつくりだしたのは、人間ということになる。
なぜ、世界はπで満ちているのか。それは相対性を誤った結果だといえる。
数学者は物理には興味がない。物理学者は数学を信じない。
これが、この世が不可解な原因となっているのだ。
数学上のπについてはまだわからないが。
おそらくeも球に関係しているのだろう
円周は中心からの距離によって変わる。すべては距離を無視して同一としてしてしまった勘違いである。
光は観測点から同心球上に出ているとすべきところを平行だと設定した誤算である。
数学の平行も同じことだろう。
非ユークリッド空間でも見方を間違っていた。中心から見るべきところを外側から観察したので、難解になっていた。
ニュートンのアップルパイというところか。
直感ではあるが、数学では、よくサイン変換する。これは変形である。なので、戻さないといけないはずなのだが、戻し忘れてπが出てきたと騒いでいる気がする。
(sinθ)^2+(cosθ)^2=1
この1は距離なのだろうか、円周なのだろうか。ということだろう。




