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狩人と銀色の花嫁  作者: 榊原シオン
第6章

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第163話 凍えるアルス

 少し離れた場所から、何かを開け閉めしたような音が聴こえたような気がした。そして、コツコツと固いブーツの音が室内に鳴り響き始める。その音は、段階的に鳴り響く音域が変わっていく。


(何か、階段的な物を降りてきている?)


 その音は、ある程度続いた後、今度はこちらに近づいてくるような感じの音にシフトする……。そう思ったのも束の間、音の発生源であるブーツを履いた人物が、牢屋の前へと姿を現す。そして、その人物は、室内の暗さゆえはっきりとはしないが、片手に何か桶的な物をぶら下げていた。


「小僧、起きていたか。では、あの水晶玉へと触れた時の光の意味を教えて貰おうか」


 修道女(シスター)からビネガーと呼ばれていた男が、アルスへとそう声掛けしてきた。


「そんな物は知らない! 何で、僕をこんな所に閉じ込めるんだ! 僕をここから出してよ!」


 アルスは未だ両手に手錠をされた状態でありながらも、鉄格子へと近づくと、その枠を掴み、精一杯ビネガーへと訴える。


 そんなアルスの訴えに、ビネガーが嘲笑(ちょうしょう)を浮かべる。


「ふっ……。出してくれと言われて、素直に出して貰えるとでも思っているのか? とんだお坊ちゃまだな。小僧、お前がここを出る時は、何もかも知っている事を洗いざらい話した時か、遺体となってここから担ぎ出される時、どちらかであろうよ。さあ、知っている事を話した方が身の為だぞ?」


「だから、僕は知らないって言ってるでしょう! 僕を、ここから出してよ! 僕を、ここから出して!」


「小僧、どうやらお前は残念ながら牢屋にぶち込まれただけでは、素直に話すつもりが無いようであるな……」


 ビネガーはそう言うと、アルスへと向き合っていた身体を反転させ、自身の背後へと振り返る。そして、壁際へと歩を進めると、一つだけ設置された蛇口を捻り、持参した桶へと水を貯めていく。


(桶に水を貯めて、何をするつもりなのだろう?)


 ある程度、桶に水を張れた事を確認すると、再度水道の蛇口を捻るビネガー。そして、桶を手に振り返ると、いきなりその桶の水をアルスへとぶちまける!


 途端に、全身に水を浴びせられるアルス。顔を中心に被った水は、時間経過と共に、アルスの服へと浸食していく。


 濡れた髪、濡れた服、濡れた皮膚が、容赦なくアルスの体温を奪いに掛かる。ただでさえ、(ろく)に日も当たらぬ牢屋の中である。元々の気温の低さに加え、頭から冷や水を浴びせられては、まともに立っていられるはずもない。アルスの身体は、震えを起こしてしまう自身の身体を少しでも体温を温めようと、自然と座り込み膝を抱える体制を取る。空気に触れる面積を減らす事で、体温を上げようとする試みだと思われる。それは、人間に備えられた生存本能だと言えた。


「どうだ? 少しは話す気になれたか?」


「僕は知らない! 僕は、火の精霊師だ!」


 ビネガーは座り込みながらも訴えるアルスの身体を一瞥(いちべつ)すると、再度自身の背後へと歩を進める。そして、先ほど同様桶へと水を張り始める。そして、桶に水が張られた事を確認するや、またしてもアルスの身体へと、その冷水をぶちまける。


 先ほど、冷水を浴びせられてしまった身体は、その冷たさゆえ、思い通りに身体を動かす事も叶わぬまま、再度頭から水を浴びてしまうアルス。


 その冷たさゆえ、身体の震えは一層大きなものへと変わっていく。


 どうせ水を浴びさせられてしまうのであれば、最初から服など着ていなかった方が、まだマシであったであろう。だが、今は初春という事もあり、寒さを(しの)ぐため、何枚もの服を着こんでいたアルス。だが今や、その厚着を重ねた服が水を含み、常に肌に水を触れさせるという行為に成り下がっていた……。


「どうだ? これでもまだ話す気にはなれぬか?」


「だから、僕は何も知らないって言ってるだろう!?」


 全身をガタガタと震えさせるアルスは、既に発する声さえも同様に震えさせていた。


 その声を聞くや、また自身の背後へと歩みを進めるビネガー。


(また、僕の身体に水を被せるつもりだ。でも、僕が六属性を扱える精霊師だと告げる訳にはいかない! それだけは何としてでも守るんだ! 僕は……。僕は……。火の精霊師だ!)


 アルスは自分自身にそう言い聞かす。そうでもしないと、寒さによる思考の低下により、問いかけられた質問に、素直に答えてしまいそうだと思えてならない。


 アルスの心の中では、相反する二つの思考が凌ぎを削っていた。


 洗いざらい知っている事をぶちまけて、一刻も早く身体を温めたいという気持ち。


 だが、その思考へと至ると、閉じた瞳の奥に浮かぶのは、生活を共にするベティス、ゼスト、マーレ、グロック、ニッキの笑顔……。


 僕が六属性を扱えると知られれば、教会が素直に家族の下へと還して貰えるとは到底思えない。何かしらの理由を付け、僕を教会へと縛り付けるだろう。そうなると、二度と家族と再会する事も叶わぬやもしれぬ。


 アルスは、家族の笑顔を閉じた(まぶた)の裏に映し出す度、決して言うものかと口を閉ざす。


 アルスが口を閉ざした事で、その口を割らせようと、水を浴びせる行為を幾度となく繰り返すビネガー。最早、アルスの唇は、元々の健康そうな赤い色は成りを(ひそ)め、紫色へと変貌を遂げていた。それと同様に、肌も青白い色へと移り変わっていく……。


 何度くらい水を浴びさせられた後だったであろうか……。


 遂に、ビネガーがアルスに問いかける内容以外の言葉を口にする。


「ふっ……。強情な小僧だ。まあいい。時間はまだまだたんまりある。どうせお前は、この牢に閉じ込められたままだ。また、明日来よう。それまで、素直に話さなかった事を後悔するのであるな」


 ビネガーはアルスにそう告げると、持参した桶を水道の近くへと置き、出入口だと思われる方へと歩みを進めていく。


 アルスは、ビネガーの行動を視界に収めるや、痛いと感じる程の寒気に(あらが)うかのように、這いつくばりながら自身の背後へと、その身体を移していく。


 牢屋の鉄格子付近で水を浴び続けたアルス。


 突然浴びせられた一度目は避ける事も叶わぬかったやも知れぬが、二度目以降は、牢屋の中とはいえ、動き回れば水を避ける事も出来ていたかもしれない。


 だが、アルスは初手で既に服の上から冷や水を浴びせさせられていた。


 そんな状態のアルスが、自身が水を浴び続ける事で、どうしても守りたかったもの……。


 アルスは這うように濡れてもいないベッドへと近づく。


 出来れば、濡れてしまっている衣服を全て脱ぎ去りたい。でないと、服が濡れている限り、アルスの体温を上げるという結果へと繋がる事にならないだろう。だが、アルスの両手には魔封石の手錠が填められていた。その手錠のせいで、精霊術を使用出来ないだけでなく、濡れた服さえ脱がさせて貰えない。


 だが、アルスの身体は寒さにより凍えていた。出来ない物をどうするかと悩むよりも、今は一刻も早く身体を温める為に行動に移す事こそが必要である。


 アルスは、濡れた服はそのままに、自身が濡れる事で守った濡れていないベッドへと横たえると、薄い毛布の間に身体を潜り込ませる。


 長年使ってもいなかったであろう毛布はカビ臭さを残すものの、アルスの身体はその幼き命を守る為、眠りへと(いざな)うのであった……。

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