第161話 焦燥感
朝から、兵の為に用意されているゼストは、心半分でその職務をこなしていた。
弓兵へと成りたてのゼストの仕事は雑務が中心になる。
今は弓兵として席を置く正規兵が、自身の腕を向上させる為、遠射の真っ最中である。
だが、ゼストの手に弓は無い。遠射の一団に加わってもいない。今のゼストの役目は正規兵が射った矢を回収するという役目だった。
遠射ゆえ、数多くの兵が射った矢は、的に刺さる物もあれば、そうで無いものもある。ゼストの役目はその全てが回収対象であった。だが、その役目はゼスト一人の役目ではない。矢の回収、それは採用されたばかりの新人が担う役目であった。
ゼストの入団は、ちょうど季節の変わり目という事もあり、同じようなタイミングで採用された同期と言える人間がちらほら居る。
その者たちと、エリアを分ける事で回収の役目を分担していたのだった。
そして、ゼスト含む新人が今居る場所。それは、矢の到達する付近に身を置く事となり、ある意味最も危険を伴う場所と言える。
基本、どの年度に採用された新人も同じような行動を取る事がある。それは、矢が止まってから回収へと動き出すという事。
ただ、ゼストだけは違った。ゼストは自身の弓の実力もあり、放たれた矢の軌道を読み違える事は滅多にない。
それゆえ、矢が弓を離れた数舜後には、矢の行く末を察知出来る。出来るがゆえ、行動に移す。
他の新人と比べて、ほんの数秒程度の違いにはなるであろうが、気付いた者には、その行動は奇異として捉えられる。
ゆえに、一日の訓練後の兵舎塔では、個人名こそ挙がらないものの、ゼストの話題が度々挙がる事があった。
今回の新人の中に、一人だけ今までに居ない人物が紛れ込んでいると……。
入団してのち、今まで一度も弓すら手にしていないゼスト。だが、ゼストの存在は、徐々にではあるが弓兵の中に広まりつつあった。
ただ、普段はそんな機敏な行動をとるゼストであるにも関わらず、今日のゼストの動きは散漫としたものだった。
自分に任された回収エリアをふらふらふらふらしている。どう考えても、矢の軌道を目で追っていない……。その動きは、今ここにいる誰よりも危険な行動と言えた。
ゆえに、ゼストの両サイドに配置された同僚は、見ていて気が気じゃない。
その動きは、自身の身に何かが起こったという事は明白であろう。だが、今は矢が飛び交うある意味戦場とも言える場所だ。そんな場所で、飛来する矢から目を離すなど、自殺行為にも等しい。ゆえに、朝から珍しくゼストの名を呼ぶ怒声が頻繁に上がっていた。
「おい! ゼスト! 避けろ―――!!!!」
叫び声を上げた同僚の声に気付くや、身を翻し、間一髪で飛来する矢を避けるゼスト。
ただ、そんなゼストに、これ以上は見ていられないと、同僚が声を掛ける。
「おい。ゼスト、今日はどうしたんだ? 明らかに普通じゃない。何かあったんだろうが、今のままでは事故にも成りかねん。俺も、常にお前の行動を横目に見られるほど余裕がある訳でもない。何かあれば、同期の俺達も隊長からお叱りの言葉を受ける事になるやもしれん。なので、今のお前は邪魔だ。何か起きる前に帰ってくれ!」
そんな言葉を同僚が口にしたその時、弓兵の訓練場の一角で、明らかに別の部隊の兵士が弓兵に声を掛けている姿が目に入る。そして、その声を掛けられた弓兵は新人の姿を一望した後、明らかに自分の事を指さしていた。
ゼストに別の隊の兵士が駆け寄ってくる……。ゼストは飛来する矢に気を付けながらも、その兵士の目的を計りかねていた。
そして、目の前まで至った兵士が、ゼストへと声を掛ける。
「弓兵隊のゼストとはお前か。お前の妻を名乗る人物が兵舎塔へとお越しだ。今すぐ、兵舎塔へと赴くが良い」
「マーレが? 承知致しました。ご伝言ありがとうございます。自分は、兵舎塔へと参ります」
ここまで伝えに来てくれた兵士に礼を言うと、マーレが兵舎塔へと尋ねて来た目的を確認する為、兵舎塔へと駆け出すゼスト。
マーレが兵舎塔へと訪れた目的。それは、十中八九アルス絡みに違いない。ただ、わざわざここまで訪ねて来たマーレ……。ゼストの心には不安が波となって押し寄せていた。
兵舎塔の近くにマーレの姿を確認すると駆け寄り、マーレからアルスの行方が分からなくなっている状況だと聞くゼスト。
マーレは、ゼストが兵士勤めである状況を利用し、四門ある各門にアルスの外出記録があるかどうか問い合わせて貰うよう願い出る。
ゼストはカールに息子が行方不明になっているという状況を伝え、本日は早退させて頂く旨を伝える。各門の問い合わせ結果までジッとしていられない事もあり、結果はカールの気遣いで家へと報告に来て貰える事となった。
ゼストもアルスの捜索に加わる形となり、色々な人々の力を借り、大人数にて街へと繰り出す。
だが、それは教会も同じだった。
貴族街、市街地に関わらず、多くの司教の姿を見かける。
司教が未だ探しているという、その状況に、まだ教会に出し抜かれてはいないと安堵するものの、未だ誰の目にも止まらぬアルス自身の身体の心配が膨れ上がる。
そして、三日の刻が過ぎた……。
この三日間、行方が分からぬアルスの為、数多くの人が必死になってアルスの行方を捜し回ってくれていた。
この状況は、森でアルスが居なくなった時と、状況が似通っている。
だが、今回のアルスは精霊界にも居ない。
家にも帰って来ない。
エマール家、カロッツェ武具店に立ち寄った形跡もない。
他にも、考えられ得る候補地を虱潰しに探したものの、その手掛かりすら見つからない。
今は、アルスの行方が分からなくなってのち、三日目の夜。
既に夜の帳は完全に落ち、気温は時間経過と共に低下の一途を辿る。
そんな中、館のリビングで関係者一同が顔を突き合わせ、頭を抱えていた。
捜索を諦めるなどという選択肢は存在しない。
その点は、ここに居る全員が共通に抱いている感情であった。
だが、どこを探す?
もう思いつく限りの所は探しつくした。
明日は、どこに人を割り当てるか……。
そんな中、玄関の扉をノックする音が聴こえる。
ノックという動作を行っている以上、アルス自身という事は有り得ない。だが、誰かがアルスを連れて来てくれたという可能性ならあり得る!
マーレは、一縷の望みを掛け、玄関へと駆け寄る。
勢いよく開いた扉の先、そこに立っていたのは、教会の修道女の服を着た女性だった。一度名を聞いている……。確かオリーブと言っていただろうか。そんな名前だったはずだ。
先日、マーレが枢機卿であるビネガーに啖呵をきったという事もあってか、この館に再び教会関係者が訪れるという事はなかったものの、遂に痺れを切らし探しに来たという事かもしれない。
マーレは、夜分遅くに訪ねてきたオリーブに、未だアルスは見つかっていない。家に帰ってきてすらいないという状況を伝え、強引にオリーブを帰らせようとする。
そんな押し問答のやり取りの中、オリーブが口を開く。
「こちらにアルス君が居ないという事は分かっています。だって、私はアルス君がどこに居るかを知っているんですから。今日はそちらを伝えに来ました。ただし、教えるには条件があります。もし、私の話を聞くつもりがあるようでしたら、夜分にすみませんが、上がらせて頂けますか?」
アルスがどこに行ったのか……。
そして話は、アルスが教会へと連れ去られた日まで遡る。




