第155話 予期せぬ出来事
「よくぞ抜け抜けと、ここに顔を出せたものだな! 女! あの小僧を一体どこに隠した! 言え! 言わぬと只では済まさぬぞ!」
枢機卿であるビネガーから思いもよらぬ言葉を告げられるマーレとグロックの二人。
その告げられた内容が意外過ぎて、言葉の理解が追いつかない。
理解に苦しむ状況下とはいえ、マーレの細肩を掴み揺さぶるビネガーの顔には、未だ怒気の表情がありありと浮かぶ。
肩を揺さぶられる事で、マーレの脳内も同時進行の如く揺さぶられる。その行為が、マーレの頭の中の整理を妨げる。
枢機卿様の表情を見る限り、どうやら自分は責められているらしい……。
一体なぜ?
ここには、連れ去られてしまったアルスの身柄を受け取りに来た……。でも、枢機卿様は今何と言った?
『小僧を一体どこに隠した!』
小僧……。というのは、アルスの事?
「お主は一体何を申していおる!? アルスをどこに隠したかじゃと? アルスの身柄を連れ去って行ったのは、そなたではないか!」
グロックからの問い掛けに、やっとビネガーがマーレの肩から手を離す。そして、説明するのが如何にも面倒だといった風体で舌打ちをした。
「ああ、そうだ。あの小僧を連れて来たのは我自身だ。小僧の精霊師の登録に疑問を抱いたものでな。再確認をするのは当然だろう? しかも、あの光は何だ? 小僧が水晶玉へと触れた時のあの光……。あんな物は見た事がない。しかも、その光を放つ小僧が只の火の精霊師だと!? 馬鹿を申せ! これから、あの小僧を使って色々と調べようとした矢先、小僧は姿を眩ませた……。あの力が何かは知らん! だが、きっと教会にこそ必要になるであろう確信がある! 言え! そして、あの小僧は、どこに居る!?」
「お主が言う事はサッパリ分からん! 聞きたいのはこちらじゃ! アルスは今どこにおる? 今日はその返却に参ったんじゃ。早よ、ここにアルスを連れて参れ!」
「王都内で最高責任者である我を誑かすつもりか? ご老人。小僧は、そなた達の家で匿っておるのだろう? 早くここに連れて参れ!」
「じゃから、家になど匿ってはおらぬ。一体どういう事じゃ!」
グロックとビネガーは、どちらも引かぬとお互いに睨みを効かす。
ここに来るまでの道中に見た教会関係者たる司教たち。彼らはアルスの行方を捜していたのかもしれない。だからこそ、教会関係者の証である法衣の袖や裾は汚れており、顔にも疲労感が現れていたのかもしれない。
ビネガーがアルスを取り逃がしたのが事実だとして、それがいつの事かは分からない。ただ、想像するにそれはきっとこの教会にアルスが訪れてから間もなくの事なのかもしれない。その行方を追って、司教たちが探し回っているのだとしたら、彼らは夜通し探しているという事も考えられる。だからこそ、顔にも疲労感が現れていたのだとも。
ただ、一番分からないのは、アルスの身柄を探す教会が何故、真っ先に家へと捜索に来ないのか。
アルスはまだ六歳だ。そんな六歳の少年が逃げ出したのだとしたら、その選択肢はそう多くはあるまい。まず一番可能性が高い家へと捜索に来るのが普通だろう。
それが、何故か家には確認には訪れてはいない……。
それは何故か……。
アルスが行方不明になってしまった事を隠そうとした?
しかも、その事を棚に上げて、責任をこちらに転嫁しようとしている?
つまり、目の前で枢機卿が怒っているのは、自分の不手際を隠そうとしている為?
見ると、枢機卿の隣に居る修道女は、ここに来てからというものずっと顔を伏せたままであった。その様子から鑑みるに、アルスの逃がしてしまったのは彼女の不手際なのかもしれない。その罪悪感があるからこそ、一言も声を発せず、大人しくしているのかも……。
肩を揺さぶられる事が収まったマーレが次々と状況の整理を始める。そして、ある程度の推察が終わるや、冷めた目で二人へと向き合う。
「ちょっと良いかしら?」
そう問いかけるマーレの目つきが変わった事に気付くビネガー。それと共に、昨日のやり取りが瞬時に脳裏に浮かぶ。今のマーレは、その時と同じ目をしていた。
「な、なんだ女?」
「まずは、この手錠を外して頂こうかしら……。そういう約束でしたもの」
「それは出来ん! それを外すや否や、そなたはまた暴れ出すのであろう? それが分かっているのに、外せる訳もない!」
「あら。それならば、外されても暴れ回らないとお約束しましょう。私自身、夫ともそう約束をしてここに来ておりますし。約束を違える、そちら様とは違います。先生、外套を外して頂けますか」
マーレの催促に伴い、グロックがマーレの外套を外す。そして、それを自身の腕の中に収めた。
自分が纏っていた外套を外された事を確認するや、マーレはビネガーに自身の背を向ける。手錠の鍵を外しやすくする為、そうしたのであるが、マーレの背面は無防備に曝け出されている格好になる。
今のマーレは完全に無防備だ。ゆえに、ビネガーはいとも簡単にマーレに危害を加える事が可能である。それを承知でマーレはビネガーに自身の背中を向けていた。
ビネガーは盛大にため息を吐くと、ポケットから鍵を取り出し、マーレの手錠を外す。
「どうもありがとうございます。と言うのは、筋違いでしょうか。枢機卿様、私どもはアルスの身柄を隠してなどおりません。そちらが、アルスを逃がしてしまったというのであれば、こちらでもアルスの行方を捜すだけです。ただ、二度と私どもの生活を乱すような行為は看過出来ません。私どもの家に、教会関係者が訪れるような事があれば、断固たる態度で臨ませて頂きます。訪れた方は、無事教会へと戻れない事を覚悟するんですね。アルスがここに居ないというのであれば、ここにはもう用はありません。先生、行きましょう」
マーレは冷めた目でビネガーを見つめると、その身を翻す。
そして、グロックの手から外套を受け取ると、それを羽織り、教会を後にする。
アルスがどこに行方を眩ませてしまったのかは、サッパリ分からないものの、前回森で行方不明になった時とは違い、季節はまだ春先である。
この寒空の中、アルスが身を凍えさせる姿を想像してしまい、マーレの足を速める事になったのだった。




