第154話 親心
「わしの想いはベティスを苦しめるだけじゃったんじゃろうか……」
ゼストの腕の中、すやすやと寝息を立てるベティスに向け、グロックが呟く。
孫という可愛さも相まって、グロックはベティスを安全な方へ、少しでも安全な方へと行動を取らせようとした。
だって、そうだろう? なんせ、ベティスは一度死にかけたのだ。
あの時、自分の腕の中で抱きかかえたベティスの衣服はほぼ無くなり、その意味を成さず。ベティスの可愛らしさ、愛らしさを更に強調してたとも言うべき栗色の髪は、見るも無残な状態へと変貌を遂げる。視界に映るベティスの全身からは血の気が失せ、瑞々しさを表していた唇は、もはや土気色と言っても差し支えない程、様変わりしていた。
あの時、腕の中に抱いたベティスには、間違いなく死が間近に迫っていた……。
ベティスの傍らには、既に死神が降り立ち、かの者の代名詞とも言える大きな鎌を、もう振り上げておる状態じゃったじゃろう。
もう、いつその鎌が降り下ろされても、おかしくない状況だったと言えた……。
まだ、六年だ。たった六年しか、ベティスは生きてはおらん。
それでも、神は。そして、この世界は。こんな幼気な少女の命を刈り取ろうというのか!
じゃが、ベティスの命を窮地へと追い込んだのは、わし自身じゃった。
わしの選択が、行動が、ベティスを死へと近づけていった。
それでも、ベティスは命を繋ぎとめた! あの子の生命力が起こした奇跡。わしはこの奇跡を無駄には出来んと思った。
じゃが、奇跡の代償。それもまた残酷じゃった……。
死を退ける代わりに、吸血姫として生きていく事になったベティス。
当の本人であるベティスは、新たな力を得たと喜んでおるようにも見えるが、わしとしては心配でならん。
吸血鬼、それは世間から忌避される存在じゃ。教会からも目の敵にされておる。ベティスが吸血姫である事が知られれば、その身体を拘束され、拷問に掛けられ、最後は晒し者として、世間から断罪されるじゃろう。磔にされたベティスの身体に、民衆どもが石を投げつける。そんな未来にさせてはならん! それが、わしの行動原理じゃった。
じゃが、常に安全な方へ。安全な方へ。と、導いた事でベティスの心に不満を齎していた事もまた事実。
そして、それが今日になって爆発した。
背中の羽を広げ、宙へと舞い上がったベティスの瞳は、茶色から赤へと、明転を繰り返しておった。もし、あれが完全な赤へと切り替わっておったとしたならば、取り返しの付かない事になっておったやも知れぬ……。
(わしの行動は、間違っておったんじゃろうか……)
ゼストさんには、子供と同義の年齢だ。などと言っておきながら、わし自身が迷ってばかりおる。
(わしの選択は、間違っておったんじゃろうか……)
「ふぅ~。間に合って良かった……」
自分の身体を投げ出し、間一髪でベティスを抱き留めたゼストの第一声がそれだった。
「ゼストさん、ありがとう。孫も怪我をせずに済んだようじゃ。ニッキもご苦労じゃったな。よく諦めずに何度も魔法を放ってくれた」
「何を言うんです、グロックさん。幼い命を救う為、大人が身を投げ出すのは当然でしょう? ベティスちゃんもアルスも、輝かしい未来はこれからなんですから。子供の時分は、早く大人になりたいと思う事が多々あるでしょう。今のベティスちゃんが正にそれだ。だが、大人になってみてようやく気付くんですよ。大人になっても、何かが劇的に変わるのではないという事に……。この世界では、十五歳になれば結婚出来るという事もあって、十五歳になれば大人扱いされる事も多いですよね。そして、十五歳へと至った時、それまでの生き方、そのものこそが重要でしょう。ゆえに、その生は紆余曲折であるべきだ。山あり谷ありの人生でなければ、他人の心、他人の痛みを感じ取れない人間になってしまう。大丈夫、ベティスちゃんは真っ当な生き方をしていますよ。グロックさん、貴方は何も間違ってなどいない」
それが、先ほどのグロックの呟きに対する、ゼストの回答だった。そして、大丈夫とグロックに向け笑顔を差し向ける。
その嫌味のない晴れやかな笑顔に、グロックの心が癒される。
(ああ……。既に、アルスに心底惚れていると言って差し支えないベティス。わしは、わしで、この男に骨抜きにされておったんじゃな……)
それはまるで、エマール家がゼスト一家に骨抜きにされているようだと感じ取るグロック。それに気付いた時、グロックの中で笑みが込み上げる。
「そうじゃな。くよくよしている場合ではなかったわい。ゼストさん、ありがとう。今は、やるべき事をせねばならぬ。ニッキよ、ベティスの世話を頼む。もし、目覚めたベティスがまた暴れまわるような事があれば、再度魔法を使用して貰えるか。今は、それしか打つ手がない。ただ、今後も似たような状況が起こるやもしれん。それに対し、いつまでもその場しのぎでは、根本的な解決にもならん。ゼストさん、マーレさん、ニッキ。わしは、弱い人間じゃ。迷ってばかりおる。じゃから、こんな弱いわしに手を貸しては貰えぬか。今後も皆に意見を求める事も多いじゃろう。その時は、力を貸して頂けると助かる。宜しく頼みます」
そう言うと、グロックは膝の上に手を置き、深々と頭を下げる。その行為に、ここに居る面々が、もちろんです。と、深く頷く。
グロックが弱みを口にした事で、絆が深く太いものへと刻まれていく。
普段、蹴落とし合い、化かし合いといった貴族の生き方とは、相反する行動であった。
(自分の心を曝け出す事が、こんな清々しい気持ちを抱かせるものだとはな……)
「じゃあ、俺はそろそろ兵舎へと赴く事にしよう。アルスを無事返して貰えるか気掛かりではあるが……。マーレ、頼んで大丈夫か?」
「ええ。アルスを返して貰えるよう、私も全力で取り組みます。今回は、手を挙げるような事もしませんので」
「わしもマーレさんと共に赴く事にしよう。ニッキよ、ベティスを宜しく頼む」
「承知致しました、大旦那様。ベティスお嬢様の事は、私にお任せください」
そして、その後身支度を整えた三人は家を後にする。
庭先の惨状を改めて目の当たりにし、アルスが連れ去られた事を、更に深く強く実感する三人。
そして、ゼストは兵舎へと。マーレとグロックの二人は教会へと、それぞれ歩を進めていく。
時刻は朝と昼の間のブランチの時間と言って差し支えない。
春の兆しが見え始めているとはいえ、まだ明け方はその寒さが身に染みる王都内。
ゆえに、寒さが和らぐこの時間から行き交う人が多くなる。
ある者は職場へ。ある者は市場へ。と、様々な人が行き交う通りを、マーレとグロックの二人はなるべく人に触れる事がないよう気を付けて歩みを進める。
肩から羽織った外套で判らないようにしているが、マーレは後ろ手に手錠をされていた。
鎖骨付近で、外套を結い結んではいるものの、マーレが歩く度、外套の裾はひらひらと動きを見せる。
その外套の動きに心底穏やかな心持ちを抱けないマーレ。強い風が吹けば、外套は翻りをみせるだろう。そして、マーレの手錠が白日の下に晒される。
後ろ手に手錠をされている今、その外套の動きを抑える事も出来ない。出来ないというその思いが、マーレの羞恥心を更に駆り立てる。
羞恥心は心の鼓動を早め、血液の循環を促進させる。そして、促進された血液はマーレの頬に赤みを齎す。その変化が、淑女の恥じらいとして表情へと変化を与えていた。
普段からその美貌も相まって、歩くだけで男の視線を集めてしまうマーレ。そこに更に淑女の恥じらいが加わる。その可憐さ、可愛らしさが、男性のみならず、女性の心をも虜にしていく。
正に今のマーレは、立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花……。だと言える程の説得力を誇っていた。
自分の美貌ゆえ視線を集めてしまっているという事に気付かないマーレは、後ろ手に填められた手錠の事に気付かれているのでは!? と勘違いを促す。
いつもならそれだけで視線を下に下げ、俯くように歩いてしまっていた事だろう。だが、今のマーレはアルスを救い出す為、一歩一歩教会へと歩を進めていた。その強い気持ちが、恥じらいはありながらも、マーレに前を向かせる。
そして、前を見据えていたマーレの視線がふと気付く。その気付きは疑問となって、隣に居並ぶ自分の師へと言葉を紡いだ。
「先生……。行き交う人々の中に、教会関係者が多くないですか? 私の気のせいでしょうか……」
「そうですな……。言われてみれば確かに教会の法衣を多く見かける気もしますわい」
教会の法衣はその白さゆえ人目を引く事は確かだ。ただ、普段は自分が教会関係者だという誇りもあるのであろう。その動きは権威を表すかの如く、ゆったりと歩く御仁が多い。
マーレとゼストはこれから向かう先の目的地がある。ゆえに、立ち止まって動きを観察していた訳でもないから、ハッキリとした事は言えぬが、教会の法衣を着た面々は、普段とは違い何か慌てているようにも見える。
しかも、よくよくその法衣を注視してみると、袖や裾、服の端々が汚れているようにも見える。そして、浮かべる表情として目に力は無く、疲れが表情へとありありと浮かんでいた。
(何かあったのかしら?)
疑問には思うものの、マーレの歩みを妨げるには至らない。
自分の手錠はどうでもいい。アルスを返却して貰える対価が、手錠がこのままだという事だとしてもいい。アルスが戻って来るのであれば。
そして、教会関係者を横目に見ながらも、教会へとその歩を進めていった。
マーレとグロックの二人が教会へと辿り着く。
グロックは、正面の大扉へと手を掛けると、その扉を開けていく。
そして、二人が教会へと足を踏み入れた矢先、待っていたとばかりに、枢機卿であるビネガー、修道女を担うオリーブが二人へと駆け寄る。
マーレの頭には疑問符が浮かぶ。用事があるのはこちらで、あちらには用事なんて無いはずなのだ。にも拘わらず、こちらへと駆け寄るビネガーの表情には隠し切れぬ怒気の表情がありありと浮かぶ。
ビネガーはあっという間にマーレの下まで駆け寄ると、その細肩を掴んで声を荒らげる。
「よくぞ抜け抜けと、ここに顔を出せたものだな! 女! あの小僧を一体どこに隠した! 言え! 言わぬと只では済まさぬぞ!」
と、ビネガーの口から思いもよらぬ言葉が繰り出されるのであった。




