第129話 太陽のような笑顔
エマール邸から一人抜け出し、王都に新たに購入した自宅まで辿り着いたマーレ。視界に自宅の庭園が目に入ると、嘆息気味に息を吐き出しながら独り言を呟いてしまう。
「それなりに手入れを加えましたけど、まだまだ人様に見せられるような状態ではないわね……」
かなり出費は嵩んでしまったが、一通りの家具を揃えた後、夫であるゼストにも協力して貰い、雑草などはある程度刈り取る事が出来た。ただ、あくまで行ったのは雑草の処理だけであり、殺風景な事この上ない。それに、家の外壁には未だ蔦が蔓延っている状態である。
季節的には真冬という事もあり、雑草の処理は比較的楽であったが、後一月もすれば冬も終わり、春が訪れる。そして、アルスが初等部へと入学という運びになるだろう。
出来れば、アルスの進学に合わせて、庭の風景も一新したい所ではある。それが叶えば、アルスの新たな門出、ゼストの新たな職への祝福として、正しく華を添えられる事だろう。
今は、家族としては男二人、女一人。だが、そこにもしベティスが加わる事になれば、女性が一人増える事になる。
(もし、本当にベティスちゃんが来てくれるのであれば、ベティスちゃんにも色々と意見を出して貰いましょう)
春になり、殺風景な庭に、色とりどりの花々が咲き乱れる光景を想像しながら、マーレは自宅へと入っていった。
元男爵が趣向を凝らせたのてあろう広い玄関ホールを抜け、2階へと続く螺旋階段を登るマーレ。
ゆくゆくはアルスが貴族へとなった時の事も踏まえ、この家を購入した訳であるが、家族三人だけでは広すぎる家である事は間違いない。
2階へと辿り着くと、マーレはアルスの部屋の扉をノックする。
「アルス、ただいま。ちょっと話があるんだけど、お邪魔させて貰って良いかしら?」
しばらく待つと、足音と共に、部屋の扉が開け放たれた。
「母さん、おかえりなさい。どうしたの?」
「実はね、お父さんとお母さんは、グロックさんに相談があって、ベティスちゃんの家に行っていたの。内容としては、アルス。貴方が、精霊術を使えるようになった事で、その登録をしに教会に赴かなければならないの。ただ、その相談の最中にね、ベティスちゃんの話になって……。もしかしたら、ベティスちゃんは今後はうちでお預かりする事になるかもしれないの。なので、家族の一人であるアルスの意見も聞きたくって、お母さんがアルスを迎えにきたって事なんだけど……。アルスはどう思う?」
「えと……。それって、ベティと今後一緒に暮らすって事?」
「ええ。そうよ。もし、そうなったら、アルスは嬉しい?」
「うん! 嬉しい! ベティと出逢ってから、精霊界でも、ずっと一緒だった。ただ、ミラ様の所から離れて、母さん達の元へ戻ったら、ベティとは離れ離れに暮らさなきゃならないんだろうなぁ……。って、覚悟もしてた。でも、やっぱり寂しくって……。今までは父さん、母さんと三人だけの暮らしでも平気だったのに、半年前にベティとグロックさんが来てくれて、家も賑やかだったよね! だから、余計寂しく感じちゃうのかもしれない。ただ、ベティだけでも戻って来てくれるんなら、僕は嬉しいよ! でも、本当にそうなりそうなの?」
「それをこれから話し合うの。アルスが、ベティスちゃんと一緒に暮らしたいって事であれば、ちゃんと伝えないとね。だから、これからアルスも一緒に来てくれる?」
「うん! 分かった」
「じゃあ、お母さんは下に降りてるから、準備が出来たら降りてらっしゃい。外は寒いから、あったかい格好をしてくるのよ」
マーレはアルスにそう告げると、螺旋階段を降り、玄関ホールへと向かっていくのだった。
所変わって、エマール邸内のベティスの自室。
「ベティスお嬢様。そろそろ何か召し上がって下さい……」
「いらない!」
メイドのエリンが傍まで近寄り声を掛けるものの、当のベティスは天蓋付きのキングベッドで、毛布を頭から被り、顔すら見せてくれない有様であった。
そんなやり取りの最中、ベティスの部屋の扉がノックされる。声を掛けて来たのは、メイド長であるニッキであった。
「ベティスお嬢様、ご在室でしょうか? ニッキです。お客様がお見えです。ベティスお嬢様も同席せよと、旦那様からのお達しです」
扉越しにニッキのくぐもった声が聴こえたが、部屋の深部で毛布を頭から被っているベティスの耳には届かない。身の回りのお世話係の役目を担っているエリンが、詳しい話を聞く為、ニッキを出迎える。
「メイド長、お疲れ様です」
「ベティスお嬢様をお連れせよ、と旦那様から言付かっているのだけれど……。お嬢様のご様子はどうなの?」
「それが……。食事も未だ断られてしまう有様でして……」
「え? まだ召し上がって頂けていないの? 確か、もう何日もほとんど口にされていないのではなかった?」
「ええ……。そうなんです。ですので、私もお嬢様のお身体が心配で……」
「そうなのね。でも、大丈夫になるはずよ。安心なさい」
ニッキはここで言葉を切り、エリンを従え部屋の中へと入っていくと、未だ毛布にくるまったままのベティスの傍まで赴き、声を掛ける。
「お嬢様、お客様がお見えです。お嬢様も同席せよと、旦那様からのお達しです。私と一緒に来て頂けますでしょうか」
「……お客様?」
「はい。お嬢様もよくご存じの方々です」
「!!! もしかして、アルス様!?」
言うや否や、被っている毛布を勢いよく取り払うと、そのままの勢いで出入口へと一目散に駆け出すベティス。
「お嬢様、お待ち下さい!」
ベッドから出てくれるようになったのは良かったが、ベティスの恰好は未だ寝間着姿のままだ。せめて身支度のお手伝いをさせて貰おうとエリンが声を掛けるものの、ベティスは立ち止まる事すらなく、そのまま部屋を抜け出してしまう。
「エリン、私がお嬢様を追い掛けます。貴女はここで待機していて頂だい!」
エリンに声を掛けると、ニッキがベティスを追い掛ける為、慌てて部屋を飛び出す。廊下に出て直ぐに左右を確認するニッキ。見ると、ちょうどベティスが廊下の角を曲がろうとしている所だった。その背中に慌てて声を掛ける。
「お嬢様! そちらではありません! 皆さま、食堂でお待ちです」
ニッキの声に慌てて急ブレーキをかけ、Uターンを決めると、先ほどまでの勢いそのままに再度走り始めるベティス。
「それを、早く言いなさい!」
「失礼しました」
ニッキは、ベティスが自分の前を通り過ぎるまで頭を下げる。自分の前を通りすぎた事を確認した上で頭を上げ、ベティスを追い掛けた。
邸宅内を駆けるベティスにとって、食堂までの道程がこれほど遠く感じた事はない。今まで、六年間生まれ育ってきた生家であるが、今は家の広さが恨めしい。
(アルス様! アルス様! 今、ベティスが参ります)
ようやくベティスの視界の端に、食堂へと入る扉を捕らえると、更に加速するベティス。勢いそのままに、ノックすらせず、扉を開け、食堂内へと飛び込んだ。
「アルス様!!!」
突然開け放たれるドア。
室内で歓談していた皆の視線が出入口へと集まると、入ってきたベティスの風貌にヨークが声を荒らげる。
「ベティス、お前。その恰好はなんだ! お客様の前だぞ」
ただ、父であるヨークの怒声もベティスの耳に入って来ない。慌てて室内の様子を探るベティスの瞳。
(アルス様! アルス様! どこですか!?)
視界の中に、ゼストの姿を捕らえた事で、アルスも共に来ているはず! と、何度も何度も瞳を往復させるベティス。だが、何度見ても室内には、父ヨーク、母チェルシー、祖父グロック、アルスの父ゼスト。この四人しか居ない。
「え……。そんな……。お客様って、おじ様だけですか?」
期待を膨らませ過ぎた反動もあってか、その場で項垂れてしまうベティス。そんなベティスの様子に、若干苦笑しながらゼストが声を掛けた。
「ああ、すまないベティスちゃん。この場に居るのは俺だけだ。ただ……」
「ただ?」
「ああ、もったいぶった言い方をして悪い。アルスは、今マーレが迎えに行っているんだ。じきにここに来るだろう。それで、アルスに逢えるっていうのに、ベティスちゃん。君は、そのままの恰好で良いのかい?」
と、太陽のような笑顔を指し向けるゼスト。
ゼストに告げられた事で、初めて今の自分の姿を確認するベティス。確認するや否や、茹でだこのように顔を真っ赤に染め上げる。
「おじ様、お見苦しい姿をお見せして申し訳ありません! 直ぐに着替えて参ります」
深く深くお辞儀をすると、身体を隠しながら今度は部屋を退室していくベティス。入って来たとは違い、出る際にもう一度頭を下げてから退室していった。
そんなベティスの姿に、身体を縮こませるヨーク、チェルシー、グロックの三人。チェルシーに至っては、正しく穴があったら入りたい程の心境であった。とはいえ、自分の娘がしでかした粗相である。親として、お客人にお詫びの言葉を告げる。
「あの……。ゼスト様? うちの娘がお恥ずかしい所をお見せして申し訳ありません」
「いえいえ。とんでもない! 逆に俺は嬉しかったんですよ。自分の恰好すら確認せず逢いに来ようと駆けてくるとは……。それこそ、ベティスちゃんの気持ちの表れでしょう。そこまで想って貰えるうちの息子は幸せ者ですよ」
と、食堂にいる面々に笑顔を差し向けたのだった。
(ああ! 恥ずかしい……。恥ずかしい……。わたくしったら、おじ様に何て恰好をお見せして……。でも、おじ様のあの笑顔……。アルス様はおば様似かと思ってましたのに、笑顔はおじ様譲りだったんですのね……)
恥ずかしさの表れなのか、自身の頬に両手を添え、小走りで掛けるベティス。そんなベティスの様子に、微笑みを浮かべながらメイド長のニッキが従う。
一週間ぶりのアルスとベティスの再会は、もう目前まで迫っているのであった。




