第120話 ベティスお嬢様の想い人
(こちらでしょうか……?)
ニッキは、とある洋館の前で立ち止まる。
目の前に見える洋館の佇まいは、大旦那様であるグロックに伝えられた風貌と一致する。白を基調とした外壁には、暫く放置されていたのであろう。長く伸びた蔦などが生い茂っている。それと同様に、庭に当たる部分にも草木などの雑草が、太陽の恵みを受け、力強く伸び放題であった。
(これはまた何とも……)
手入れのし甲斐がありそうだ。と、ニッキの瞳に映る。今すぐにでも、あの雑草を、壁に蔓延る蔦を取り除きたい。と、両手が疼くが、慌てて首を振る。
今日の目的は庭の手入れではない。大旦那であるグロックから、ゼスト宅の家具の新調の手助けに来たのである。聞けば、洋館の中はもぬけの殻で、現時点で家具は一つもないという。それでは、今夜の寝床にすら困るだろうと、市場での売り場などに期待され、派遣されていた。
それに、目の前に見える惨状は、ニッキが一人で気張った所で、一日でどうこうなる問題ではない。もし、一日でこの状況の改善に努めるのであれば、エマール家に努めるメイドが、十人掛かりでようやくどうにか出来るレベルだと予想される。それ程までの荒れ模様であった。
「ふぅ~」
ニッキは一度大きく息を吐き出す。そして、依頼された使命を全うするべく、草が生い茂った庭を抜けると、玄関口まで辿り着く。
「ごめんください。エマール家グロックの指示で参りました。メイドのニッキです。どなたかいらっしゃいますでしょうか?」
玄関扉の前から中に向け声を掛ける。待つこと数舜。軽快に駆ける足音と共に、玄関扉が開け放たれる。
「こんにちわ。ニッキさん、お久しぶりです。わざわざご足労頂き申し訳ありません。本日は宜しくお願いします」
ニッキを出迎えたマーレは、こちらまで足を運んでくれたニッキに対し、頭を下げる。
「いえ。とんでもございません。とはいえ、私はメイドです。お礼であれば、こちらに出向くよう指示したグロックに言って頂ければと。私がこちらに派遣されたのは、グロックが現当主であるヨークに願い出て頂いたからに他ありませんので」
「そういうものなのでしょうか? とはいえ、私としては、今日実際にご尽力して頂くのはニッキさんなので、やはりニッキさんにお礼を言いたいですね。ニッキさんの日頃の仕事ぶりがあるからこそ、グロックさんも使いに寄越して下さったんだと思うんです。ですから、ニッキさん。いつもお仕事お疲れ様です。そして、本日は宜しくお願いします」
そう言うと、マーレは改めてニッキに頭を下げる。
ニッキはマーレが改めて頭を下げる行為に困惑していた。そもそも、メイドである自分が誰かの為に尽くすのは、当たり前なのだ。それこそが仕事だと言い換えてもいい。ただ、マーレの口実は絶妙だった。普段の仕事ぶりの事を持ち出されては否定する訳にもいかない。ここで否定すれば、ニッキがメイドの仕事に誇りをもっていないことにもなりかねない。
「マーレ様には参りました。では、今回は素直にお気持ちを頂だい致します」
「うふふ。私の作戦勝ちですね。それと、私の事はマーレと呼んで下さい。とても様付けされるような大層な身分でもありませんので。こちらまで足を運んで頂いたので、お茶をお出ししたい所ではあるんですが、まだ中に人を招き入れられる状態ではないんです。主人と息子を呼んで参りますので、少々こちらでお待ち頂いても良いかしら?」
「マーレ……さん。本日越して来られたばかりなので、人に見せられる状況でない事は重々承知です。それでも、一度お宅の中を拝見させて頂いても宜しいですか? 部屋の間取りや大きさが分からないと、どういった所にお連れしたら良いのかも決めかねてしまいますので……」
なるほど。確かにそういうものかもしれない。マーレは、ニッキの提案に納得すると、渋々といった感じではあったが、ニッキを邸宅内へと招き入れる。
(広い……。よく、ここまで広い物件が今まで売れ残っていたものですね……)
まだ、家具が何も置かれていないという事もあり、余計に広く感じるのかもしれぬが、準男爵が住まいとしていた家なだけあって、部屋の作りも様々な所に趣向が凝らされている。これほどまでの物件が売れ残っていたのは、単に金額の問題なのだと思われる。いかほどの金額を叩いたのかは定かではないが、良い物件を手に入れたものだと、ニッキは感心する。
「なるほど。これであれば、いかなる家具でも、その置き場所に困るという事は無いでしょう。とりあえず、優先すべきは寝具という事で宜しいでしょうか?」
「そうですね。食事は最悪、外食で済ませれば問題ないですし、寝る場所だけでも確保出来れば有難いところではありますね」
「承知しました。では、先にお勧めの寝具店へとご案内します。お連れする候補の中には、高級店も存在します。ただ、こういったお店で購入されると値が張る事は事実ですが、サービスなどが行き届いているのが特徴です。家具などに至っては、各自で運べないものがほとんどなので、配送を依頼する事になるかと思いますが、高級店の場合、特急でも対応してくれる所が多いんです。物自体の作りも良いので、長く使えるという点からも、予算の都合が合うのであれば、こういったお店で購入される事をお勧めします」
「なるほど~。勉強になります。では、どういった店で買うかは主人とも相談しておくことにしますね」
「そういえば、ゼストさんと息子さんはどちらに?」
「今は二階に居るかと思います。呼んできますね。ちょっとお待ち頂けますか?」
マーレはそう言うと、ゼストとアルスの二人を呼びに行く為、この場を離れる。
ニッキは一人になった事により、グロックから仰せつかっていた話を思い出していた。
「ニッキよ。お主にゼストさん宅の家具の未繕いの手伝いをやって貰う訳じゃが、購入する店によっては、今日中の配達が叶わぬ場合もあるじゃろう。その場合、本日の寝床にも困るやもしれぬ。その場合は、ゼストさん達が何と言おうと当家へと連れて来るがよい。よいな? 宜しく頼む」
そんな会話があった事を思い出していると、マーレがゼストとアルスを伴い戻ってきた。
(あちらの方が、ベティスお嬢様が懇意にされているというアルス様……)
ニッキは先ほどエマール家にて、ベティスが大立ち回りするほどまでに、アルスの下に来たがっていた件を思い出し、アルスへの関心が高まってしまう。それは、普段からメイドを自負するニッキにとって、誰かに注目するなど珍しい事であった。やはり、それほどまでにベティスのアルスを想う気持ちの表れなのだと窺える。
(背丈はベティスお嬢様と同じ位でしょうか。それにしても、男性だというのに、女性としても通用しそうな端整な顔立ちをしておられますね。ベティスお嬢様に限って、顔で選ばれたという事もないかとは思いますが……)
アルスは常々、父ゼストのように優しくも、強くありたいと思っている。ただ、アルスの顔立ちは母マーレに似ており、今よりもっと幼い頃は女の子と間違われる事の方が多かった。そんな事もあり、少しでも男らしく見せようと、家に居る時分は、マーレにお願いして髪を短くカットして貰っていたのだが、精霊界に赴いている三か月の間にアルスの髪も伸び、その中性感を際立たせていた。
「お姉さん、こんにちわ。僕はアルスです。初めまして」
「アルス様、初めまして。私はエマール伯爵家でメイドをやっています。名をニッキと言います。アルス様の事は、ベティスお嬢様から色々とお聞きしてるんですよ」
「ベティに?」
(まあ! ベティスお嬢様がご自分の事を略称で呼ぶことをお認めになるなんて……。今までそんな方は誰一人としていらっしゃらなかったというのに……。そういえば、ベティスお嬢様も、アルス様の事を『アルス様』と様付で呼ばれていたような……)
ニッキは、プライドの高いベティスが様付で呼んでいたり、自身の事を略称で呼ぶことを容認している事実に気付き、ゴクリと唾を飲み込む。
「え、ええ。ですので、ベティスお嬢様同様、私とも仲良くして下さいね」
やや、ぎこちない感はあったものの、いずれ三女であるベティスの殿方になるかも知れぬ相手である。粗相があってはいけないと、笑顔で応対する。
とはいえ、アルスにベティスが軟禁されたという事実を伝える訳にはいかない。ベティスの事だけを考えれば伝えるべきなのかもしれないが、ニッキはあくまでエマール家のメイドである。ベティスの現状を伝えれば、エマール家にとって不利な状況へと話が進んでしまう事もあり得る為、自分からベティスの名前を口にしたものの、これ以上追及されるのは分が悪いと、話題を変える事にする。
「それでは、皆さまお揃いになった事ですし、市場の方へとご案内したいと思いますが、マーレさんに先ほど説明した高級店の方へと案内して宜しいでしょうか?」
ニッキからの問いに、マーレがゼストに対し、高級店で購入した場合とそうでない場合の違いをかいつまんで説明する。ゼストはマーレの説明に納得すると、ニッキに対し回答を口にした。
「では、ニッキさん。申し訳ないが高級店の中で、一番のお勧めの店からお願い出来ますか? 実は前に住んでいた家の家具は、俺が全て自ら拵えた物なんです。なので、家具の相場というものを知らない。高級店へと連れて行って貰えれば、そこで一つ判断が出来ると思う。宜しく頼みます」
「分かりました。では、そのように致します。それでは、参りましょうか」
ニッキはそう言うと、自らが先頭に立ち、皆を先導する為歩き始めた。




