第二十九話「帰還」
――――どうやら俺は、自転車で転んで草むらに放り投げられたようだ。そういえばなんかよくわからん爺さんに声を掛けられてから猛ダッシュしてたけど、かなり時間がたったような気がする。気絶していたのか、寝ていたのか……。近くには鞄が落ちていて、状況から考えるとアレにつまずいたようだ。
「おい、兄ちゃん。大丈夫か?」
すると老人が俺の方に手を差し伸べる。
「大丈夫ですよ……」
俺は自転車と一緒に草むらから道の方へと出る。この人前に見た気がするけど……。気のせいだな。
服についた泥を払ったりチェーンが外れたのを直したりしていると、俺のケータイが鳴る。お袋からの着信だ。多分帰りが予定より遅くなったから電話を入れてきたんだろう。
「はいもしもし……」
「譲次! 志聞が救急車で運ばれたわ! 私とお父さんは今車で向かってるから!」
「え? なにがあったん?」
急なことでよくわからないが……。少なくとも弟にはいきなり倒れるような持病があるわけではないはずだし……。と、思案していたが、母親が続けるのでそれを聞く。
「事情はよくわからないんだけど……。場所は坂間病院よ! 場所分かるわよね!?」
「わ、わかった!」
俺は来た道をひき返し、急いで病院へと向かった。
病室では弟がベッドに横たわり、その前で親父とお袋が神妙な面持ちで立っていた。
「ああ、兄貴。来てくれたのか……」
と、弱々しそうな声で俺を歓迎する。
「志聞、何があったんだよ……」
「じ、実は……、ウッ」
弟は半泣きで言葉に詰まっていた。泣いているところなんて今まで一度も見たことが無いぐらいだったのに……。どういうことだろう。
「親父、何があったんだ?」
仕方がないので親父に聞いてみる。
「倒れたのは貧血だっただけで特に重病ってわけじゃないんだが……。どうやら転んだ時に右肩を脱臼して、それが結構重症なんだ。靭帯が完全に切れたわけじゃないけど……。あと、右足も骨折してるから……。年内に治るかどうかってところらしい」
と、歯切れの悪そうな感じで説明する。つまり、今までの弟の努力――――テニスで積み上げた輝かしい実績に、大きなひび割れが入ることを意味する。
「とりあえず一晩入院していけって先生が言ってたから、私たちは帰りましょ。麻理はちょっと間に合わないらしいから、家に直接戻るようにメールしといたわ」
と、お袋が言う。とりあえず、弟に色々話したいことがあるけど……。
「なあ、兄貴。ちょっと話がある。外へ一緒に行こう」
弟の方から先に声を掛けてきてくれた。ちょうど都合がいい、と思ったが……
「志聞。お前は今、絶対安静なんだぞ。悪いけど外には出せない」
「それなら親父とお袋と先生は外に出てくれ!」
「ダメだ、患者から目を話すことはできないし。万が一君が暴れたりしたら、私の立場がどうなるんですか」
そう言って親父と医者が志聞を止めにかかる。正直な話、あんまり聞かれたくないからこの話は退院してからにするか……。
結局、俺は親父とお袋と一緒に車で家に帰った。自転車は月曜の学校帰りに回収しよう……。俺は車の中でずっと考えていた。『もしかして、アイツも俺と同じように腐ってしまうのか』と……。まあこんなこと言うのもアレだけど、弟は何だかんだ俺と違って今まで築いてきた立場とか周りからの保証ってのがある。多分、また復活するのか……。自分の力の無さが情けなくなる……。
家に帰って鞄の中を見ると一通の手紙が入っていた。あれ? こんなの貰ったっけ? もしかしてラブレターか? そう思いながら開けようとしたが、封筒の裏を見たところで俺は諦めた。何語か分からん。筆記体なのか?
From Kim Svedberg to George Douglas
……………
(中略)
ジョージへ、自分の人生を生きろ。自分の定めた目標へ自分のペースで進め。
だめだ。そもそも最初の一行目からよくわからん。Kim Svedberg.キムってことは韓国人か? よくわからんけど。最後の一行だけなぜか日本語だ。ジョージ……ってのは、俺のことか、『自分の定めた目標へ自分のペースで進め』ねえ。そんなこと、姉貴と弟のせいでもう無理だよ……。無駄に期待されて、勝手に失望されて……。と思ったけど、それって今まで俺が何も考えずに『少しでも姉貴の学力に追いつこう』とか『弟みたいな好成績を次の大会で残そう』とか考えてきたせいじゃないか……。
自分の定めた目標ねえ……。結局、現状から一歩踏み出せばいいんだろうけど、なかなかいい感じの目標は浮かんでこない。そういえば前の模試の偏差値が五十五だったから、あと五ぐらいは上乗せしたい。となると六十で、そのレベルの大学……、前に松山先生が言ってた地元の国立のT大学あたりか……。まあ、まだいろいろ考えることはできるし、一旦は「T大学工学部」ってことで頑張ってみよう。
結局あの時、俺は何があったのだろうか。自転車で派手に転んで起き上がるまでの間、何年とまではいわんが、かなりの時間がたったような気がする。そうは言っても、何もその間におぼえていることは全くなく、俺の思い過ごしでしかないかもしれないが。
ぼんやりと考えつつ押入れを開けると、木刀が落ちて来た。これ、確か小学校の修学旅行の時にみんなで買ったんだっけ。懐かししいな、ちょっと触ってみよう。そう思い柄を両手で握って構えを取ってみる。居合や剣道と言ったことの知識は全くないが、こんな感じでいいだろうと思って軽く振り上げる。
すると、何があったかわからないが鼓動が高鳴り、手を熱い感覚が覆う。軽く振るように切っ先を目線の高さまで持ってきた後、敵を叩き斬るかの如く振り抜いてみる。そうしてみると、あたかも敵を一閃したかのように俺の手を鋭い反応が襲う。柔らくて熱い血肉が砕けるような、得体も知れぬ感触。俺は人を斬ったことなんてないはずだが、体がその感覚をなんとなく発信している。必死に考えてみても、心当たりは浮かばない。手元の手紙もよく分からんし、もしかしたら他のやつ宛てかもしれんと思って、石本や播田に連絡してみても心当たりはないと言う。
ああ、結局色々考えつつダラダラしているうちに、何も答えが出ないまま午前二時ぐらいになってしまった。とりあえず寝よう。そして明日から、というより今日から、俺は生まれ変わって『黒川譲次』としての人生を生きるんだ。と思って布団に入った――――
――――20××年10月▲▲日 金曜日 午後8時
繁華街の駅を出てから夜道を歩いているとき、俺はケータイの日付を見てハッとする。そういえば、俺が生まれ変わると誓いと立てた日から十年がたった。それと同時に弟が事故にあって運命が変わった日でもあるのだが。
まあ俺の近況? について一応言うと、俺は目標だった地元のT大学に入った後、特に留年もせず卒業してそのまま就職して地元を離れた。学部卒の割にまあまあいい給料を貰ってるし、長時間労働ってわけでもないから非常に満足した生活は送れている。彼女は、もう二十八でそろそろ結婚を考えろと親にそれとなく言われる年だが……。決して『彼女いない歴=年齢』ってわけじゃないから誤解しないでくれ。
志聞の方はあの後、年内は寮じゃなくて実家から学校に通っていた。部活もどうせ年明けまで本格的にできない状態だったらしいので、丁度いい休養になっと本人は言っていた。ただ残念なことに、怪我のせいなのか二ヶ月間の実家暮らしのせいかわからないが、寮の方に戻ってからは、以前の天才と呼ばれた腕は完全に息を潜めてしまった。最後の大会だった三年の夏は全国大会どころか、地区大会は勝てたけど県大会一回戦負け。後半の失速のせいか、スポーツ推薦なんて話は来なかった。しかし、そこから何を考えたか猛勉強を始め、一年浪人して俺がもともと先生から進められていたI大学に入った。んでアイツは俺の二学年下になったわけだから社会人四年目か。『元気でやってるわ。稼ぎもぼちぼちだわ』とか盆に帰省した時に言ってたな。まあ、皆様方の心配には及ばないことでしょう。
姉貴は……。四年前に結婚して、一昨年に子供が生まれた。だから俺は今、叔父さんって感じだな。就職してからは『私は仕事をバリバリにやるから、子供とかはまだかなり先だわ』とずっと言っていたが、何だかんだ年下の新入社員を捕まえて付き合ってたようだ。今は退職して専業主婦だけど、子供が小学校入ったらフルタイムで働きたいなぁとは言ってたな。まあ、俺は今のところ年下の義兄ともうまくやってるし、甥っ子にも別段嫌われたりはしてない。
「そういえば俺は誰に向かって話しているんだよ」
さっきから誰かに向かって話しているんだろう、そう思うぐらいに頭の中で兄弟の近況を語っちゃったな。まあいいや、このまま続けよう。
実を言うと、俺は今日、久しぶりに石本たちとで飲みに行こうということで、上司の誘いを断ってここに来た。一応その四人のことも思い出してみよう。
石本と播田は大学までは地元に居たから、よく遊んだな。特に播田は弟の大学の先輩にもあたるから、いろいろ話すことは多かったな。二人とも就職で関西の方に行ったから、しばらくはなかなか会えないが、二人とも実家に帰るということで午後から休みをもらってこちらに来てくれた。
的山は専門学校行くつもりだったけど、家庭の事情とかで結局止めちまったらしい。んで、地元から少し離れたところでトラックの運転手をしているそうだ。なかなか休みが合わなかったりして遊ぶ機会が無いので悲しいが、今回は上手く休みが取れて参加できるとのことだ。
鍬島は進学の時に、俺らのメンツの中で唯一地元を離れたから、しばらく合ってなかったな。ちょっと前に連絡を取ったときに、年が明けたら転勤で俺の職場の近くに来るって言ってたから、これからはもっと会う機会が増えそうだ。
随分と話しちゃったな、声に出していたわけではないけれど。聞き手が誰なのかわからないし、どんな人間かもわからないけれど、俺は言いたいこと一つある。
「自分の人生を自分のペースで歩めば、結果はついてくる」
ってな。あ、声に出しちゃったけど。
「よう、クロちゃん」
待ち合わせ場所のコンビニの前、灰皿の前で黄昏れていた男が声を掛ける。声の主は、石本だった。
「おう、久しぶり。播田は?」
と、一緒に来たはずの播田を探そうと辺りを見渡すが、見当たらない。しかし、咄嗟に振り向いたところで、背後に隠れていた彼を見つける。
「気付かれたかー。黒ちゃん。勘が良いんだな」
そう言って銜えタバコの彼が、俺右肩を勢いよく叩く。それ当時に右手に持っていた缶コーヒーが溢れ、播田の靴を濡らす。
「何やってんだよお前。俺の靴にかからんくてよかったわ」
俺が愚痴を言いつつポケットティッシュを差し出すと同時に、的山と鍬島も小走りでやって来た。それと同時に石本が音頭を取る。
「とりあえずよ。行こうや」
その声に応じて俺たち五人は居酒屋へと向う。高校卒業と同時にそれぞれの意志と運命で五本に別れた線が、久々に一点で交わった瞬間だった。




