第二十八話「終戦の時」
墜ちるときに怯えて閉じた目をもう一度開けてみる……。よし、どうやら生きている。ただ、まだ視界が全く開けてこねえ。白い靄がかかったようで、一向に晴れてくる気配がない。これは死んだのか?
全身の感覚を研ぎ澄ませてみよう。腕、足は全部そろっているけれど、ひんやりとした感触に包まれて動く気配はない。首も動かすことはできない。目を限界まで上下左右にぐるぐると廻してみても、なにも周りに映るものは無くて、一面真っ白だ。そうだ、助けを呼んだらいい。と思っても口も開けねえし、喉に力が入らない……。嗅覚を以って周りの状況を知ろうと思い、全神経を集中させてみたらようやくわかった。かすかに血の臭いと言うか、生臭い嫌な臭いがする。そうか、俺は本当に死んじまったのかもしれない。念のため周りの音も全然しないけど、確認してみるか。……、かすかに水の流れるような音がする。これはどうやら三途の川に違いない。俺はついに死んだのか……。
死を実感したことは今まで一度もないけれど分かる。もう帰って石本や播田たちと遊ぶこともできねえし、ローランドたちと一緒に戻って戦うこともできない。黒川譲次の精神というものは、このまま朽ち果て逝くジョージ・ダグラスの肉体とともに消えていくのだろうな。そりゃねえよと言いたいけど、仕方ないのだろうか。もうこのままいろいろなことを考えようという気力も徐々に失せてきている。思考した中身をアウトプットする場所も無いし、このまま「俺」の中を少しぐるぐると巡って肉体もろとも消えていくだろう。もう休みたい、せめて楽に死にたい、と思ってもう一度目を瞑る。
だが一向に意識が遠のく気配はない。むしろ感覚的には頭は冴え渡り、体に力がみなぎりつつあるように感じる。けれども、体は一向に動く気配がない。もうこのままくたばるのかと覚悟を決めた。だが脳裏を現世での思い出がよぎる。俺にはまだ死ねない理由がある。全身に力を入れて起き上がろうとする。すると、不思議と立ち上がることができた。
「うわっ、寒ッ!」
様子を見るに俺は川の近くの草むらで半分水没していたのだろうか、上着もズボンも水を吸ってひどく重たくなっている。とりあえず脱いで絞ろうと思い、服を脱いだところで気になることがある。他の三人はどうしてるんだろう?
「おい! 誰かいるか!?」
と声を掛けてみるが返事は帰ってこない。ああ、みんな死んだのか。もしくは俺だけ見つからず何処かへ逃げていったのか。まあいいや、とりあえず今はこの状況をなんとかしねえと。
しばらく草むらの周りを見回ってみたが、他の三人と思しき人影は見当たらない。あるのは動物の死骸だったり、折れた剣だったりといった嫌なものしか見当たらない。靴越しに当たる腐った馬の頭の感触は泥のようで、俺のやる気だったり生気だったりを少しずつ削っていく。鬱陶しいと思い全力で蹴り飛ばしてもサッカーボールのようにうまく飛ばず、俺の服に腐肉と腐臭を付けて間抜けな音を出しながら川の中へと落ちていった。腐肉に塗れた俺の手を水たまりに浸しても、一向に匂いは消えない。初陣の際に敵兵を汚させ、ヨハンソンを叩き斬り、多くはないが少しずつ返り血を浴びた俺の手から、一生人を斬る感触と返り血の汚れは消えることはないだろう。たとえ物理的に消えたとしても、全神経、全意識が覚えているはずだ。
もうここに居て考え事をしても埒が明かないと思った俺は、川と反対側にある斜面の上へと向かってみようと思った。もしかしたら俺以外の三人は、こんな草むらにいるよりも何か状況を打開できる、と信じて移動した考える方が自然だ。
斜面をよじ登ろうとする。しかし、さっきの靴についた腐肉と雨が降っていたのかかなり緩くなった地面のせいで、なかなか上るのが難しい。それでもこんなところに居られないと思い、全身に力を入れて斜面に張り付きながら進み、なんとか登り切った。
「こ、これは……」
さっきまでいた戦場とは異なる、見覚えのない風景だ。ただ時代は前後していないようで、ぽつぽつと見える民家はヴァルタールのものと大差ない。どこかはわからないが、俺は川に落ちてそのまま流されてここに来たということでいいのだろうな。
とりあえずどうしようか。このままヴァルタールの本陣に戻ったところで、エクステット元帥を頼れるとは限らないし……。せめて同期の将軍が死んだことは伝えたいけど、このまま戻って反逆者として処刑されるリスクもある。とりあえず民間人として再出発するべきだろうな。
「とりあえず目の前のデカい家に入ろう」
と思った。人の気配のない三階建てぐらいの建物だから、上の階の端っこ辺りに居れば、一晩中に気付かれることなく雨風をしのぐこともできるし、外敵の様子を観察しつつ隠れるのに都合がいい。よし、そうとなったら入ろうと思い塀をよじ登り中に入った。
中に入ってみたが俺の予想通りだ。人の気配は全くない、というより長らく人が中に入っていないといった感じで、各部屋や廊下はところどころ蜘蛛の巣が張っている。とりあえず三階まで階段を上り、俺は一番奥の一番ぼろそうな部屋に入った。
「やあ、黒川兄、いや譲次君だったっけ?」
ドアを閉めたところで俺は気付いた。どういうことだ? 俺の逃げ込もうとした部屋の中は以前来たことがある、ヴァルタールに送られる前に居たあの事務所みたいな部屋だった。そして目の前にはあのジジイだ。御子柴だったっけ? 奴がいた。
「人違いじゃないですか? 悪いけど帰らせてもらいます」
そう言って言って俺はドアノブに手を掛ける。しかし、どれだけガチャガチャ回しても開かない。
「クソッタレ! ナメとるんか!」
全力でドアを蹴り飛ばしてみたが鉄扉のように固く、蹴った俺の足に激痛が走る。そして俺はその場に倒れこんだ。
「馬鹿か、悪いけどここから出さねえぞ」
と、ジジイが俺の方を睨む。くっそ……。
床に倒れて悶えているとジジイの後ろの奥の方の扉が開く。出てきたのは以前の茶髪女だ。後ろに何か引き摺っている。良く見たら俺の弟、黒川志聞だった。
「あ、兄貴も連れてこられたのか……」
弟が俺に弱々しい声で問いかける。
「連れてこられたというか……。迷い込んだって感じだな」
と状況を説明してみる。
「そうか……。俺は外を歩いてたらいきなりフルボッコにされてよ」
と状況を説明し始めると、女の方が弟の顔目がけて蹴りを入れる。
「おい! 人様の弟になんてことをしてくれるんだ!」
と、俺が立ち上がって詰め寄ろうとする。先程の扉を蹴った痛みが抜けず、思わずよろけてしまうが、壁に捕まって何とか体勢を維持する。
「いきなりフルボッコにされたってのは語弊があります。一応こちらから最初に事情は説明したので……」
と、女が事情を説明し始める。
「ちょうど私たちは兄弟二人を探しておりまして……。弟君だけ単独行動していたところを見つけてこちらに来て欲しいと言ったのですが、断られたので力づくで連れていこうとしたら抵抗されたのでやむを得ずこんな形に」
さすがにそれは無いだろクソ女。見た目に合わずやり方が汚いというより力押しすぎて嫌だな。
「んで、俺らを連れてきて何をするんだよ?」
とりあえず目的を聞いてみる。それ次第で事情を考えないこともない。
「いいか坊主、お前らは元の世界に帰してやる。もうお前らは十分働いてくれたしな」
と、ジジイの方が俺ら二人に言う。俺は心の中でガッツポーズをしたくなるが、よくよく考えると用済みってことか。そう思うとちょっと気に入らねえ。まあ帰れるだけマシかと、気持ちを切り替えてみる。だが、弟の方は不満気味だ。
「帰してくれるのはいいんだけどよ。俺のノース・ヴィジャーに置いてきたものはどうしてくれるんだ? 結構俺貯め込んだんだぜ。全部パーかよ」
悪態をつき、ジジイの革靴目がけて唾を吐く。貯め込んだって? 事情は分からんけどあの世界でうまくやっていたようだ。
「ああ、あの適当に行軍した先で接収した財宝だろ。あんなもんはゲームオーバーしたお前にくれたやることはできんさ。まあ自分で持ち込んだものは返してやるが……」
と、歯切れの悪い言葉で返答する。とりあえず気になったので弟に聞いてみる。
「財宝ってなんだよ。お前あの世界で金儲けでもしてたのか?」
「ちょっとだけな。兄貴と違って俺は副総統様だからな」
と、ニヤリとして答える弟。
「私語は止めなさい。先生に失礼でしょう」
だったが、女が地べたに這いつくばる弟の顔を軽く踏む。何て奴だこのアマ、今にも女王様とお呼びと言わん態度だ。
「とりあえずやめろよクソ女。ただでさえブサイクな弟がさらにブサイクになっちまう。コイツに彼女が一生出来なかったらお前が責任とれよ」
と、軽く冗談を交えて釘を刺してみるが、冷徹な表情は一切変わらない。
「大丈夫ですよ、ここは前にも来たことがあるから分かるでしょうが、貴方たち二人は意識だけ体から抽出された状態だから傷が増えたりってことは無いわ。それに……」
と、話を続ける。
「弟君も貴方も顔で女の子が寄ってくるような見た目じゃないわ。悪いけどもう二、三発殴っても大丈夫よ」
そう言いながら弟の顔を軽く蹴る。流石に俺もここまで言われてキレない人間ではない。一発懲らしめてやろうと思い、弟にアイコンタクトで足を掴んで転ばせろと指示をしようとしたが
(おい、とりあえず足を掴んで思いっ切りブン投げろ)
(兄貴、ちょっと待て。伝えたいことがある)
何か言いたげな表情で弟がささやく。
「濃いめのピンクだ。グハッ……、やめてください。すいません。あの……、ホンマ、冗談なんで……」
弟の頭が吹き飛びそうな勢いで蹴りが入った。内容は分かるけど弟よ、今そんなことしてる場合じゃないだろ。
しばらくして『こんなことしてる場合じゃない』というジジイの言葉で俺と弟は椅子に座らされた。恐らくヴァルタールに居たときの清算とその他もろもろの話があるんだろうな。
「二人ともご苦労だった。まあ先ほども言って繰り返しになるけどちゃんと元居たところに帰してやる」
と偉そうな態度で言う。まあ、帰れて一安心ってことでいいんだけど……。
「何か聞いておきたいことはあるか二人とも?」
「とりあえず例のブツを返せ!」
聞こうとしたことが喉元まで出てきたところで、弟がものすごい剣幕でジジイに突っかかり始めた。
「黒川弟、いや志聞だったな。悪いけどさっきも言った通り、ゲームオーバーだから返せない。諦めなさい」
「バカヤロー、持って帰ったら億行くぞ多分! 返せクソジジイ」
「いい加減にしろ!」
と、弟の言葉に怒ったのか女が顔目がけて殴る。弟は椅子ごと後ろに倒れた。気絶したのかそのまま後ろに倒れたまま動かない。
「純子さん、あまり手荒なことはしないでいいです」
ジジイの方が女を窘める。正直言ってここまで平然と人に手を出す女を見たことがない。怒りのあまり俺も女につかみかかろうとしたが、わずかな理性と強い本能的な恐怖心がそれを止めた。流石に『女性に暴力を平気で振るう男』というレッテルが張られたくないし、それ以上に以前手をはじかれたときにかなり力が強いということを知った。それに、喧嘩に関していえばおそらく俺と大差ない志聞が全く手が出ないレベルの強さということなので、戦うには分が悪いと言うしかない。
「じゃあ俺からも聞きたいことがある」
まずはこの世界の云々に関してジジイから聞いておこう。最悪弟が回復したら、もしくは現世に戻ってから二人がかりで戦えば何とかできるだろう。男として情けないけど、金にもならんプライドより痛めつけてやることの方が大事だ。
「ゲームオーバーってどういうことだ? なんとなく気になったんだけど……」
と、一番今まで心の中で引っかかっていたことを聞いてみる。
「ああ、それは簡単な話でだな。そもそもお前がヴァルタールに送られた理由はわかるか?」
「いや、分からないですねえ」
正直に伝える。向こうに居たときは仲間のためにってことで必死だったけどそもそも『なんでここに送られたか』ってのは分からない。まあ薄っすらと考えてはみたけど
「ああ、わかったっす。アンタはヴァルタールが勝つように歴史を動かして欲しかったんだろ?」
とりあえず浮かんだことを告げてみる。
「そこはまああってるけど、まだ足りない。四十点だ」
と、鼻で笑いながら言い返す。まあ確かにそうだよな。人を勝手にタイムスリップ? させたり他人と中身を交換出来たりするんだしな。もっと他の理由があるはずだ。
「まあ理由は二つあってだな。まずは儂らの同志を探すためってことが一つ。重要なのは、お前とお前の弟の腐った根性を叩き直すためってことの方だな」
ジジイは真剣そうな顔で言っているが、侮辱行為以外の何物でもない。ふざけるなと思って殴りかかろうとしたが、隣のクソ女と目が合って止めた。ヤバい、このままじゃ俺も餌食になってしまう。
「腐った根性ってのはどういうことだよ」
俺には言葉の意味がイマイチ分からないので確認してみる。
「言われなければ分からんか。お前今までの人生を振り返ってみろよ。優秀な姉弟に引け目を感じて生きてきた、というより内心『とりあえず何でも器用にこなせる自分の方が上』と思いながら生きてきただろ。そのくせ『俺には才能が無い』とか言って予防線を張って……。そんな卑屈なくせにプライドの高いひん曲がった性根を叩き直そうと思って儂はお前に試練を与えたんだ。まあ、そこでも無難にやり過ごしたいって性格は変わらんかったな」
俺の痛い所を抉るように指摘してくるジジイ。まあそうだから否定はできない。そのまま、話を聞いてやるか。
「まあそうかもしれませんけど……。そういえばよ、弟はなんで連れてこられたんだよ? 俺のおまけか?」
「いや、弟も同じように問題を抱えていたじゃねーか。自己中でバカで欲深いダメな奴だ。こいつも一緒に何とかしようと思ったけど……。まこいつはうまく取り入ったり無難に仕事をしたり、なんだかんだお前より上手に生きてたな」
ここでも弟の方が高評価なのか、マジで俺って救いがないな。
「んで俺たちはこのまま返してくれるのか? もう俺たちは用無しってことか?」
色々と気に入らないので早く帰りたい、ということをアピールしてみる。
「勿論、儂らももう話すことはない。弟君が目を覚めたら一緒に帰りな。出口は儂の後ろの扉だ」
どうやら本当に帰してくれるようだ。横で倒れていた弟が弱々しく立ち上がる。
「兄貴、早く帰ろう。こんなとこに居たって何にもなりゃしねえ。あのブツは諦めるわ」
と俺を急かす。俺も早くここを出たいがまだ聞きたいことがある。
「ちょっと待ってくれ。最後に聞きたいことがある」
と言ってジジイとクソ女の方を睨む。先ほどの“同志を探す”という単語が引っかかったので確認しておきたい。
「アンタらは何の目的があって俺たちを選んだんだ? それだけ聞かせてくれ」
先生と呼ばれていたのでおそらく首領と思われるジジイより先に女の方が口を開いた。
「詳しくは説明できませんが……。世界を変えるために優秀な人材が必要ってことです」
とニヤリとしながら簡単に告げた。
「そうか、俺ら二人は無能ってことか……」
こんなクソ野郎どもとは言っても、優秀な人材に選ばれなかったってことに関しては、少し気に入らない。就職活動してたらこれが何回、何十回とあるのか……そう思うと気が滅入るが、こいつらと働くのは願い下げだし、グッと堪えるしかないか。
「じゃあ今度こそ帰らせてもらうぞ。兄貴、早くしようぜ」
と、俺は弟に手を引かれ扉の向こうへと行った。目の前は以前来た時の無限に続く階段というわけではなく、十メートルぐらいの廊下だった。その先にまた一つ扉があると言った感じだ。俺はアイツらに話を聞かれるのが嫌だったので、ドアをきっちり閉めてから先の扉の前で弟に話しかける。
「志聞、お前帰ったらどうすよ? あとよ、どうやって金貯めたんだよあっちで」
「……。わかんね。それより兄貴、スウェードバリから貰った手紙ってのはどうするんだ? まだ見てないだろ?」
自分のことは語ろうとしない。それより俺のことの方が気になると言った感じだ。
「もう見なくてもいい。死に際に言いたいことは全部言ってくれただろうし」
「そうだよな。早く帰ろう」
そういって俺と弟は同時に扉の先へと入った。この世界で俺がなしたことは何一つないという後悔の念は、一歩進むたびに少しずつ俺の脳裏から剥がれ落ちていった――――
「なあ純子さん、なんか大事なことを忘れていた気がするけど」
「先生、もしかしてあの……。スウェードバリの手紙も一緒に送っちゃったことですか?」
「いや、アレはもういいだろう。そうだ! ゲームオーバーの場合、あっちの世界での記憶は全部無くなることを言ってなかった」
「そうでしたね……。まあ仕方ないですよ。今まで他の時間軸に送り込まれて帰って来た人間って、一人も居ませんでしたし。諸々のやり方を忘れていても仕方がないですよ。」
「そうなるとあいつらも優秀な人間だったのかもしれんな」
「う~ん。優秀ではないでしょう。実質失格みたいな感じでゲームオーバーになったのですから。それに弟君が私は気に入らなかったので……。まあ、あれぐらいの扱いがちょうどいいでしょう」
「そうだな。ところで純子さん、あんたもう一つ大事なことを忘れておるぞ」
「なんですか?」
「戻す時に弟君の方、時間設定間違えたら怪我するぞ。エスカレーターから落ちる直前ぐらいにしないと……」
「ああそうでしたね。私はあの子嫌いだから少しぐらい痛い目に合わせたいですから。スカートの中を覗くし、掴みかかったときに胸触られたし……」
「ムム……。儂でもそんなことはしておらんのに、なんという助平なガキだ」
「まあそんなことはいいです。で、これでニコライの願った勝利ってのは叶ったんですか?」
「ああ、もちろん。優秀な弟君がノース・ヴィジャー軍を整備してくれたし、兄貴の方がヨハンソンを殺したからな。あとは、ヨアキム王が崩御したら、自動的にニコライが国王になってヴァルタール王国は無事統一されるさ」
「そうですか……。で、次の仕事は何ですか?」
「いや、もういい。儂ももう疲れた。祈りを一回しただけで叶う願い何てありがたみが無いだろう。暫く休ませてもらおうか。来たるべき戦いの日まで――――」




