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第三十五話:光の勇者の舞台演出、あるいは捏造される巨悪



 グランベルク王国の王城で『光の勇者』神宮寺ヒカルが召喚されてから、わずか数日後のこと。

 ヒカルは王国軍を率いて、長年膠着状態にあった魔王領との国境の砦へと出陣した。彼の持つ常識外れの魔力と聖剣の輝きは、初陣にして魔王軍の防衛部隊を圧倒。難攻不落と思われていた砦は、彼の手によってたった一日であっけなく陥落した。


 そして現在。

 初勝利の勢いに乗る王国軍は、砦に隣接する魔族の城下町へと進軍し、無人の門を容易く打ち破って街へとなだれ込んでいた。

 だが、軍を出迎えたのは不気味なほどの静寂だった。


「もぬけの殻……だと?」


 馬に跨った王国軍の将軍が、誰もいない広場を見回して忌々しげに舌打ちをした。

 砦が突破されたという報せを受けた魔王軍は、この街での防衛は不可能と即座に判断。住民たちに避難命令を出し、人間軍が到着する前に街を完全に放棄して撤退していたのだ。

 家財道具の大半も残されておらず、そこにあるのはただの空っぽの石造りの街並みだけだった。


「チッ、逃げ足の速い亜人どもめ……! 我が国の貴重な『資源』を取り逃がしただと?」


 将軍はギリッと歯を噛み鳴らした。

 強靭な肉体を持つ魔族は、人間に捕まれば人権のない「奴隷」として過酷な労働に従事させられる。人間軍にとって、占領地で生け捕りにする魔族の住民は、金貨にも等しい極めて重要な戦利品だった。

 それを一人残らず逃がしたとあっては、将軍の顔も丸潰れである。


「聞け、誇り高き王国兵たちよ! 老人や子供の足なら、まだそう遠くへは行けていないはずだ。騎兵隊を編成しろ! 直ちに森を捜索し、逃げた連中を一人残らず捕縛するのだ!」


 将軍が声を荒らげ、兵士たちが慌ただしく動き出そうとしたその時。


「お待ちください、将軍」


 涼やかな声と共に、将軍の肩にそっと手が置かれた。

 軍に同行していた、王都からの援軍――召喚されたばかりの光の勇者、神宮寺ヒカルだった。

 彼はその整った顔に、爽やかな笑みを浮かべて将軍を諭す。


「勇者殿? なぜ止めるのですか。奴らは貴重な労働力……」

「お気持ちはわかりますが、土地勘のない暗い森への深追いは、我が軍に無用な被害を出す恐れがあります。それに……逃げ惑う者たちの背中を泥まみれになって追い回すなど、誇り高き王国軍の戦い方とは言えません。今は追撃よりも、この街の地盤を固めるのが先決かと」

「む……勇者殿がそう仰るなら。仕方あるまい、全軍、追撃は中止だ!」


 最大の戦力であり、王国でも絶大な発言力を持つヒカルの言葉に、将軍は渋々ながらも追撃の命令を取り下げた。

 将軍たちから顔を背け、無人の街並みを見下ろしながら、ヒカルは心中で冷たく嘲笑っていた。


(泥にまみれた敗残兵や貧民を狩るなんて、ちっとも絵にならない。資源集めなどという地味な作業で、僕の『舞台』を汚したくはないからね)


 ヒカルの目的は、この戦争を「世界を救う光の勇者」としての自分の最高の英雄譚ステージにすることだ。

 そのためには、自分が颯爽と打ち倒すべき「絶対的な巨悪」が必要だった。ただの魔王などではなく、もっと得体の知れない、理不尽で強大な敵の存在が。


(――『日傘の悪魔』か。元の世界で僕の視線を奪ったあの男と同じ匂いがする、目障りな厄災)


 ヒカルは、自分のプロデュースにその未知の悪魔を利用することを思いついていた。

 ただの領土争いや奴隷狩りでは、英雄譚としては三流だ。「世界を裏から操る真の巨悪『日傘の悪魔』を討つための聖戦」。そう名目をすり替え、仕立て上げた巨悪を劇的に打ち果たしてこそ、自分の名声は神をも超える。


(近いうちに、王国の間者や闇商人を使おう。彼らを通じて、人間側の諸国や軍の内部に『日傘の悪魔こそが諸悪の根源だ』という噂を大々的に流布させるんだ。僕の最高のシナリオのためにね)


 ヒカルは、これからの情報操作に思いを馳せ、恍惚とした笑みを深めた。


 ***


 一方その頃。視点は変わり、街を捨てて逃げ惑う魔族の難民たち。

 彼らは人間軍の追撃に怯えながら、薄暗い森の中を必死に進んでいた。人間に捕まれば、家畜以下の奴隷として一生を終えることになる。その恐怖が、老若男女問わず彼らの足を無理やり動かしていた。


 しかし、国境の街の全住民という膨大な数の難民を、一つの街や領地で丸抱えすることは到底不可能だった。

 食糧の問題、住居の問題。生き延びるため、彼らは移動の過程で自然といくつかの集団に分かれ、それぞれ受け入れてくれそうな別の魔族の街を目指して、過酷な逃避行を続けることになった。


 その分断された集団の中には、元々あの国境の街の「スラム」で暮らしていた、名もなき貧困層の魔族たちのグループが存在した。

 日雇いの労働や日陰の仕事でどうにか糊口を凌いでいた彼らは、まともな蓄えもなく、着の身着のままで逃げ出してきたのだ。


「もう少しの辛抱だ……次の街に着けば、きっと領主様が情けをかけてくださる……」


 飢えと疲労で倒れそうになる子供を抱えながら、彼らは励まし合い、なんとか別の魔族の領地へと辿り着いた。

 しかし、そこで彼らを待っていたのは、あまりにも冷酷な現実だった。


「帰れ! お前たちのようなスラムの連中を受け入れる余裕など、この街にはない!」


 街の入り口で、武装した門番たちが彼らに槍を向けた。

 領主は、財産を持ってきた富裕層や、手に職のある平民の難民は受け入れたものの、何も持たないスラムのグループに対しては「汚い」「治安が悪化する」と、にべもなく門前払いをしたのである。


「そんな……! 同じ魔族同士じゃないですか! お願いです、子供だけでも……!」

「しつこいぞ! これ以上騒ぐなら実力で排除する!」


 すがりつく彼らを、門番たちは冷たく突き飛ばした。

 背後には、いつまた攻め込んでくるかも知れない恐ろしい人間軍。そして前には、同胞からの拒絶。

 頼みの綱であった同じ魔族にすら見捨てられたスラムの難民たちは、固く閉ざされた門の前でへたり込み、完全に絶望した。

 自分たちはここで、野垂れ死ぬか、人間に狩られるのを待つしかないのか。


 そんな行き場を失った彼らの耳に、ふと、他の放浪者から聞いた噂話が蘇った。


『――北の最果てに、新しい街ができているらしい』

『そこなら、どんなに汚れた者でも、呪われた者でも、拒まずに受け入れてくれるそうだ』


 それは、ただの眉唾物の噂かもしれない。行っても何もない荒野が広がっているだけかもしれない。

 だが、彼らにはもう、他にすがるものがなかった。


「……北へ行こう。その、魔都とかいう場所へ」


 誰かがポツリとこぼした言葉に、力なく頷く人々。

 背後に人間軍の脅威を感じながら、スラムの難民たちは重い足を引きずり、再び歩き出した。

 人間に追われ、同胞にも見捨てられた彼らが最後に向かう先。それは奇しくも、勇者が自らの英雄譚の「巨悪」として見定めた男――ヨリシロが統治する『魔都』への、長く険しい旅の始まりだった。

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