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第三十六話:魔都への逃避行と、広がる信仰の裾野



 国境の街のスラムから逃げ出した貧困層の魔族たちは、絶望に背中を押されるようにして北へ、北へと歩き続けていた。

 彼らが目指すのは、どんな者でも受け入れてくれるという噂の『魔都ヨリシロ』。

 だが、その道のりは想像を絶するほど過酷だった。


 まともな食糧も装備も持たずに飛び出した彼らを待っていたのは、容赦のない飢えと乾き、そして荒野を徘徊する魔物たちの襲撃である。

 日に日に体力を削られ、一人、また一人と倒れていく。

 子供を庇って魔物の犠牲になる親。疲労で足が動かなくなり、泣く泣くその場に置いていかれた老人。

「あと少しだ」「生き延びるんだ」と互いに励まし合っていた仲間たちが、次々と無残に命を散らしていく。

 人間の奴隷になる恐怖と、同胞にすら見捨てられた悲しみ。それに加えて、過酷な自然と魔物の脅威が彼らを容赦なく打ちのめした。


 国境の街を出た時には数十人いたスラムの集団は、数週間におよぶ地獄の逃避行の末、北の最果てにたどり着いた頃には、わずか十名足らずにまで激減していた。

 生き残った者たちも皆、泥にまみれ、骨と皮だけのような痛ましい姿になっていた。


「あれが……魔都……」


 荒野の果て、異様な結界に包まれた巨大な街の姿が霞む視界に入った時、彼らは安堵のあまりその場に泣き崩れた。

 這うようにして魔都の巨大な門にたどり着いた彼らは、門番を務める骸骨の兵士スケルトンに向かって、枯れた声で必死に助けを求めたのである。


 ***


「……困りましたね。ただの難民じゃないですか」


 門番からの報告を受け、街の入り口までやってきたヨリシロは、ボロ布を纏って地面に倒れ伏す魔族たちを見下ろして、深くため息をついた。

 ヨリシロの横には、護衛の悪魔が控えている。


「あ、あの……どうか、お助けを……私たちにはもう、行く当てが……」


 すがりつく難民たちを見ても、ヨリシロの表情は渋いままだった。

 ヨリシロは、決して慈善事業でこの街を作ったわけではない。彼が好んで受け入れているのは、魔王領でも忌み嫌われる『呪われた存在』や『異形の者』たちだ。彼らを保護し、自給自足の労働力とすることで、結果的に街が発展しているに過ぎない。

 だが、目の前にいる者たちはどう見ても「呪われていない」、ただの普通の魔族の貧民だった。


「可哀想だとは思いますけど、うちの街は『行き場のない呪われた者たちのシェルター』というコンセプトでやってるんです。呪いも特殊な事情もない一般の難民をホイホイ受け入れていたら、キリがないし、食糧事情も悪化します。悪いですが、他を当たって……」


 ヨリシロが冷淡に受け入れを拒否しようとした、その時だった。


「お待ちくだせえ、ヨリシロ様!!」


 街の奥から、揃いの黒い衣服を身につけた小柄な魔族たちが慌てて駆け寄ってきた。

 彼らは、かつて別の街で「作物が枯れる」という理不尽な理由で迫害され、この魔都に救いを求めてやってきた『影食い族』の住人たちだった。今ではヨリシロの庇護のもと、安定した生活を送っている。

 影食い族の長老は、地面にへたり込む難民たちの痛ましい姿を見ると、ヨリシロの足元にバッと平伏した。


「ヨリシロ様! どうか、どうか彼らを街に入れてやってくだせえ! あいつらの姿……他に行く当てもなく、同胞からも石を投げられて死に物狂いで逃げてきたかつてのあっしらと、まるで同じじゃねえですか……!」

「長老……」


 影食い族たちは、難民たちの姿に過去の自分たちを重ね合わせ、ボロボロと涙をこぼしていた。


「あっしらはヨリシロ様の大いなる慈悲に救われました! どうか、その広き御心を、この哀れな者たちにも分けてはいただけねえでしょうか! あっしらの食べる分を減らしてでも、彼らの面倒は見ますから!」

「お願いします、ヨリシロ様!」


 地面に額をこすりつけ、必死に懇願する影食い族たち。

 ヨリシロは頭を掻き、やれやれと再びため息をついた。


 ヨリシロは基本的には面倒くさがりで合理主義者だが、自分の領地の「身内」にはとことん甘いという側面を持っていた。自分が愛着を持って保護し、真面目に街のために働いてくれている住人たちから、ここまで涙ながらに頼まれてしまっては、無下に断ることはできない。


「……まったく。あなたたちがそこまで言うなら、仕方ありませんね。今回だけ特別です。ちゃんと面倒を見るんですよ?」

「ヨリシロ様……! ああ、ありがとうございます! ありがとうございます!」


 影食い族たちは歓喜の声を上げ、ヨリシロを拝み倒した。

 難民たちも、自分たちが救われたのだと理解し、枯れ果てていたはずの涙をぼろぼろと流して地面に突っ伏した。

 こうして、例外的に「呪われていない魔族」である彼らは、魔都の住人として迎え入れられることになったのである。


 ***


 魔都の内部は、難民たちにとってまさに天国だった。

 清潔な衣服を与えられ、温かく滋養のあるスープを腹いっぱい食べさせてもらえる。雨風をしのげる安全な家があり、魔物の怯えから解放されて眠ることができる。

 地獄のような逃避行を越えてきた彼らにとって、それは夢のような光景だった。


「さあ、もっと食べな。ヨリシロ様が作らせた特製のスープだ」

「ありがとう……本当に、ありがとう……」


 難民たちの一人が、ふと不思議そうな顔をした。


「あの……あなた方は『影食い族』ですよね? どうして、私たちが近くにいても平気なんですか?」


 影食い族は、無意識に周囲の生気を吸い取ってしまうため、他種族と一緒に暮らすことができないはずの種族だ。近づけばたちまち衰弱してしまうはずなのに、難民たちの体調はむしろ回復している。


 その問いに、影食い族の長老は深く頷き、熱を帯びた声で語り始めた。


「この街はね、偉大なるヨリシロ様の『愛』……世間では『呪い』と蔑まれるもので満たされているんでさぁ。ヨリシロ様は教えてくだすった。呪いとは、誰かを強く想うあまりに歪んでしまった、純粋で、深く、重たい『愛』そのものなのだと」

「呪いが……愛?」

「ええ。その濃密な呪い(愛)が、あっしらの『飢え』を常に満たしてくれている。だから、もう誰かの生気を吸い取る必要はねえんです。世間が忌み嫌い、迫害する呪いは、ここでは心地よい毛布のようなものなんでさぁ」

「そんな……私たちが忌み嫌ってきたものが、あなた方を救っているというのですか?」

「あっしらに感謝なんていらねえ。感謝するなら、すべてはヨリシロ様になさい。あのお方こそが、世界中から疎まれる『醜い呪い』を誰よりも深く愛し、あっしらのような見捨てられた者たちを丸ごと救い上げてくださる、本当の神様なんでさぁ」


 長老の言葉には、確固たる狂信が宿っていた。


「さあ、あんたたちも『呪い』を恐れるのをやめるんだ。それは他者を縛り付ける執念であり、永遠の愛の形だ。……その重さを受け入れ、ヨリシロ様の大いなる御心に祈るんだ。そうすれば、その重みはあんたたちを永遠に守る安らぎに変わる」


 極限状態まで追い詰められ、そこから奇跡的な救済を受けた難民たちの心は、真っ白なスポンジのようにその異端の教えを吸収した。

 本来なら呪いであるはずの力が、他者を傷つける体質を中和し、平和をもたらしている。その紛れもない「愛の奇跡」を目の当たりにし、同胞に見捨てられた彼らにとって、ヨリシロはまさに絶対的な救済者であり、神そのものだった。


「おお……ヨリシロ様……我らが神よ……!」


 難民たちは涙を流しながら手を組み、ヨリシロが住む館の方向へ向かって深く祈りを捧げ始めた。

 こうして、影食い族たちによる熱心な布教活動により、魔都にまた新たな狂信者(ヨリシロ教徒)が誕生したのである。


 この出来事は、魔都ヨリシロにとってひとつの大きな転換点となった。

 これまで、ヨリシロ教の信者は影食い族や異形の魔物など、「呪われた忌み子」と呼ばれる特殊なマイノリティ層ばかりだった。

 しかし今回、難民という「呪われていない一般的な魔族」が熱烈な信者として加わったことで、ヨリシロ教はただの異端の集まりから脱却し、より一般的な宗教としての裾野を広げ始めたのである。


 ヨリシロ本人は「難民が増えて食費がかさむなあ」と呑気に帳簿を眺めているだけであったが、彼の与り知らぬところで、彼を崇拝する狂信的な教えは、着実に深く、広く根を張り始めていた。

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