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第三十三話:聖なる呪い(ホーリー・カース)と狂信の騎士



 魔都ヨリシロの地下深く。

 かつてガイとルナが悪霊たちに避けられ、絶望の涙を流したその場所に、今は禍々しくも幾何学的な美しさを持つ巨大な魔法陣が描かれていた。


「ヒャハハハ! 素晴らしい! この規模の反転陣を組むのは私にとっても初めての経験ですぞ!」


 自称・呪詛学の権威であるマキナが、血で描かれた魔法陣の出来栄えを確認しながら歓喜の声を上げる。

 魔法陣の中央には、二つの椅子が置かれ、そこにガイとルナが腰を下ろしていた。彼らはこれから始まる未知の儀式に緊張しつつも、その瞳には「あの方の呪いを宿せる」という狂信的な期待が満ちていた。


「準備はいいかい、マキナ」


 俺は、魔法陣の外側から声をかけた。

 俺の隣には、儀式のサポート役として呼ばれたカナタが立っている。


「ええ、完璧でございます、ヨリシロ閣下。……これより行うのは『聖なる呪い(ホーリー・カース)反転の儀式』。彼らの内にある強固な『聖気』を外へ逃がすのではなく、内に秘めた『狂信』を触媒にして、ベクトルそのものをバグらせます」


 マキナは分厚い魔導書を開き、ニタリと笑った。


「清らかなる光を、底知れぬ深淵の光へと書き換えるのです。激痛を伴うでしょう。精神が崩壊する危険もあります。……覚悟はよろしいかな、元・聖騎士殿?」

「愚問だ」


 ガイが静かに、しかし力強く答える。


「我々は、あの方の愛の重さを知らずに生きていくことの方が、何万倍も恐ろしい。肉体がどうなろうと、魂がどう歪もうと……この信仰心だけは揺るがない!」

「ええ! あの方の呪いに染まるためなら、喜んでこの身を捧げますわ!」


 ルナもまた、恍惚とした表情で同意した。

 彼らのヨリシロ教に対する信仰は、すでに本物だ。


「よろしい。では、カナタ教祖。極上の『呪いのオーラ』を陣へ注ぎ込んでくだされ!」

「わ、分かりました……。みんな、手伝ってね」


 カナタが両手を魔法陣へ向ける。

 彼の背負う数千の怨念が、黒い霧となって陣の図形をなぞるように流れ込んでいく。

 それを合図に、マキナが甲高い声で呪文の詠唱を始めた。


「――光は影を産み、影は光を喰らう! 理を捻じ曲げ、聖なる鎖を絶ち切れ! 反転せよ、狂信を糧として!」


 カッ!

 魔法陣が目も眩むような「黒い光」を放った。


「ぐああああああッ!!」

「あぁぁぁぁぁぁッ!!」


 ガイとルナの絶叫が地下空間に響き渡る。

 彼らの肉体から、本来の白く清らかな「聖気」が溢れ出ようとする。だが、魔法陣の力とカナタの呪い、そして何より彼ら自身の「ヨリシロへの異常なまでの愛」が、それを内側へと押さえ込み、どす黒く変質させていく。


 白と黒の魔力が彼らの体内で激しく衝突し、混ざり合い、スパークする。

 骨が軋み、魂の形が無理やり書き換えられていくような苦痛。

 普通の人間なら一瞬でショック死するレベルの負荷だ。

 だが、二人は歯を食いしばり、血の涙を流しながらも、決して俺から目を逸らさなかった。


(……すさまじい執念だ)


 俺は息を呑んだ。

 彼らは、ただ純粋に「俺に愛されたい(=呪われたい)」という一念だけで、魂の再構築に耐えている。

 そのひたむきな狂気に、俺の胸元のクチサケや、背中のメリーさんたちも『……合格』『……仲間』と、微かに肯定の波動を放った。


 やがて。

 光と影の衝突が限界に達し、一際大きな黒閃が弾けた。


 ドォォォォォォォォン!!!


 爆風が地下水路を吹き抜け、俺は日傘を盾にして耐えた。

 砂埃が晴れていく。


「……成功、ですかな?」


 マキナが興奮気味に身を乗り出す。

 魔法陣の中央。そこには、ゆっくりと立ち上がる二つの影があった。


「あ、ああ……!」


 ガイが己の両手を見つめ、歓喜の声を漏らす。

 彼らが纏うオーラは、もはや「清らかな聖気」ではなかった。

 漆黒でありながら、光の性質を持っているような、矛盾した輝き。触れる者の精神を侵すような、重く、粘着質で、底知れぬ圧迫感を放つ『狂信の聖気』。


 彼らの目には、もはや一切の迷いはなかった。

 底なしの闇の中で、たった一つの狂気を信じ抜く強靭な瞳。


「ヨリシロ様……!」


 ガイとルナは、俺の前に進み出ると、騎士の礼を執って深く跪いた。


「我らはついに、貴方様の愛の深淵に触れることができました。この力、この命、全ては貴方様と、我らが教団のために!」

「素晴らしいよ、二人とも」


 俺は笑顔で彼らの肩を叩いた。

 その瞬間、彼らの纏う『狂信の聖気』が、俺の中の都市伝説たちと共鳴し、心地よい波動を返してくるのを感じた。

 浄化の光ではない。彼らは完全に、こちらの側の住人になったのだ。


「マキナ。彼らの新しい力は、どういう性質のものなんだ?」

「ヒャハハ! 聞いて驚くなかれ! 彼らは今や『狂信の聖騎士ダーク・パラディン』ですぞ!」


 マキナは鼻息荒く解説を始めた。


「彼らの剣撃は、物理的なダメージを与えるだけではありません。斬りつけた相手の精神に、直接『ヨリシロ様への絶対的な恐怖と絶望』を叩き込むのです!」

「恐怖と絶望を?」

「ええ! 洗脳して操るようなチャチなものではありません。純粋なプレッシャーで敵の戦意を完全にへし折り、精神から屈服させる暴力です! 並の精神力の持ち主なら、一太刀浴びただけで発狂するか、戦うことすら放棄して土下座するでしょう!」


 なるほど。

 物理と精神の両面から相手を破壊する、極めてタチの悪い性質だ。

 俺の妻たち(都市伝説)が持つ「理不尽な死」とはまた違う、前衛として敵陣を瓦解させるのに特化した能力。


「……文句なしだ。完璧な仕事だよ、マキナ」

「もったきお言葉! 呪詛学者として、これ以上の名誉はありません!」


 マキナは深く頭を下げた。

 彼を雇って正解だった。これで、ヨリシロ教の実動部隊が完成したと言っていい。


「ガイ、ルナ。君たちの不遇の時代は終わった」


 俺は立ち上がった二人を見据えた。


「君たちを、ヨリシロ教の『異端審問官』に任命する。……いずれ必ず、人間界から『聖女アリス』率いる聖騎士団が、この魔都を潰しにやってくるだろう。その時のための、最高の戦力としてね」

「聖女アリス……! かつて我々が所属していた聖騎士団の象徴ですね」

「ああ。……どうだ? 昔の同僚や、かつて信仰していた聖女と戦うことに、躊躇いはあるかい?」


 俺の問いに、二人は同時に、そして酷薄な笑みを浮かべた。


「滅相もございません。むしろ、あのような薄っぺらい神や聖女にすがる愚か者たちに、真の愛(呪い)の重さを教えてやれると思うと……心が躍ります」

「ええ。彼らにも、私たちが得たこの圧倒的な『幸福』を叩き込んでさしあげましょう」


 元・聖騎士のエリートたちが、かつての味方を恐怖のどん底に叩き落とす気満々だ。

 愛とは、かくも人を盲目にし、そして強くする。


「頼もしいね。それじゃあ、これからが楽しみだ」


 俺は日傘を肩に担ぎ、満足げに踵を返した。

 物理最強のレイレイ、呪いの王カナタ、そして狂信の騎士ガイとルナ。

 魔王軍でも手に余る「特級の厄介者たち」を抱え、ヨリシロ教の実動部隊はここに完成した。

 魔都の狂気は、着実に、そして絶対的な力を持って深まっていく。

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