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第三十一話:呪われない元聖騎士の憂鬱



 魔都ヨリシロの地下に広がる、広大な共同墓地兼、地下水路。

 そこはガランドの死霊術の実験場でもあり、行き場のない悪霊や低級の呪いが吹き溜まる、この街で最も「淀んだ」場所である。

 普通なら、足を踏み入れただけで精神に異常をきたす悪夢の空間だ。


 しかし現在、その空間には不釣り合いな「清らかな光」が明滅し、悪霊たちの悲鳴が響き渡っていた。


「ああああっ! 眩しいッ! 目が、目がァァァッ!」

「痛い! 焼かれる! こっち来んなァァッ!!」


 暗がりから這い出てきた怨霊たちが、まるで殺虫剤を浴びた虫のように、次々と浄化されては霧散していく。


「違う! 逃げるな! 私を呪ってくれ!」


 悲痛な叫び声を上げながら怨霊を追いかけているのは、ボロボロのローブを纏った男――ガイだ。その後ろでは、同じくローブ姿の女――ルナが、地面に突っ伏して号泣している。


「どうして……どうして私たちの体は、こんなにも忌まわしい光(聖気)を放ってしまうの……ッ! これでは、貴方様の愛(呪い)を身に宿すことなどできないわ!」

「くそォォォッ!! 私とて、こんな薄汚い聖なる加護などとうの昔に捨てたというのに! 神よ、なぜ私をそっとしておいてくれないのだ!!」


 ガイは血の滲む拳で、冷たい石畳を何度も殴りつけた。


 彼らは、ヨリシロ教の教祖である少年カナタから、「まずは呪われることから始めろ」という命を受け、この地下で修行を行っていた。

 だが、結果は惨憺たるものだった。

 元・聖騎士団の精鋭であった二人の肉体と魂には、長年の信仰と鍛錬によって培われた強大な「聖気」が、骨の髄まで染み込んでいた。

 彼らがどれだけヨリシロを崇拝し、呪いを受け入れようと精神を歪ませても、肉体に備わったオートガード機能(聖気)が、勝手に悪霊を弾き、浄化してしまうのだ。


「……またやったね」


 その光景を、地下水路の入り口から見下ろしている影があった。

 俺と、カナタだ。


「これで今日だけで百体目だよ。僕のお友達(悪霊)たち、すっかりあの二人に怯えちゃって、寄り付かなくなっちゃった」


 カナタが肩に乗せた怨念を撫でながら、ため息をつく。

 その視線の先では、ガイが自らの胸ぐらを掴み、「頼む、私を呪ってくれ! ドロドロの怨念で私を汚してくれェ!」と絶叫していた。


(……傍から見ると、完全に頭のおかしい変態だな)


 俺は日傘を肩に担ぎながら、呆れ半分、感心半分で二人を観察した。

 あそこまでプライドが高かった聖騎士が、今や「呪われないこと」に絶望し、這いつくばって泣いている。カナタの洗脳……いや、説法による精神破壊の威力には恐れ入る。


「ヨリシロ様……申し訳ありません」


 俺たちの気配に気づいたガイとルナが、慌てて駆け寄り、地面に額を擦り付けた。


「我々は、貴方様の愛(呪い)を受ける資格すら無い、空っぽの欠陥品のようです……。どれだけ祈っても、この忌まわしい聖なる力が、貴方様の愛を弾いてしまうのです!」

「どうか、どうか我々を見捨てないでくださいませ……! 泥水でも啜ります、どんな非道な行いでもいたしますわ!」


 大粒の涙を流し、すがるような目で見上げてくる二人。

 教団内において、呪いを持たない彼らは「まだヨリシロ様の愛を知らない可哀想な人たち」として扱われている。かつて迫害の苦しみを知る影食い族たちが、彼らを見下したり差別したりすることは決してない。ただ、「早く呪われる(愛される)といいね」と、純粋な同情と憐れみの目を向けるだけなのだ。


「……まあ、泣かないでよ二人とも」


 俺は苦笑しながら、ガイの肩をポンと叩いた。


「君たちの信仰心(狂気)が本物なのは、よく分かっている。ただ、相性の問題だよ。君たちは言わば、抗菌作用が強すぎる『新品のまな板』みたいなものだ。普通のカビ(呪い)じゃ、定着する前に死滅してしまう」


 ガイとルナが、ビクッと肩を震わせる。


「抗菌作用……。なんと呪わしい体質か……」

「じゃあ、この人たちはずっとこのままなの? ヨリシロ様の愛を知らないままなんて、可哀想すぎるよ」


 カナタが純粋な同情を込めて言う。

 俺は顎に手を当てて考え込んだ。


 元聖騎士という強固な土台。これは捨てるには惜しい戦力だ。

 もし、この強力な「聖気」を維持したまま、あるいはその性質を反転させて、ヨリシロ教の狂気と融合させることができれば、とんでもなく厄介な手駒になるはずだ。


「カナタの言う通り、無理に外部から悪霊を憑りつかせようとするのは悪手だね。アプローチを変えよう」

「アプローチ……ですか?」

「ああ。君たちの内側にある強固な『聖気』を、どうにかしてヨリシロ教の狂気と結びつける必要がある。物理的な悪霊じゃなく、もっと概念的で呪術的なアプローチでね」


 そこまで言って、俺は首を傾げた。


「……とはいえ、僕にはそんな専門知識はないし、ガランドの死霊術は死体限定だからな。生きている人間の魂や概念を弄れるような『専門家』が必要だ」


「専門家、でございますか」

「そう。呪いの構造を理解し、儀式陣を組み立てられるような、本物の呪詛師がね」


 そんな都合のいい人材が、そう簡単に見つかるわけもないのだが。

 俺がそう思いながら地下水路から出ようとした、その時だった。


『……ヨリシロ。上、うるさい』


 胸元のクチサケが、不機嫌そうに声を上げた。

 同時に、遠くの城門の方角から、騒がしい声が響いてきた。


「なんだ? 敵襲か?」

「いえ……あれは……」


 カナタが目を凝らす。

 魔都の門前で、影食い族の門番たちが何やら言い争っているようだった。

 微かに聞こえてくるのは、甲高くて、ひどく興奮したような、ねっとりとした声。


『通してくれ! 頼む! 私は噂を聞いてやってきたのだ! この世の理から外れた、究極の呪いがここにあると!』


 ……どうやら。

 探す手間が省けたのかもしれない。

 俺は不敵な笑みを浮かべ、ガイたちを引き連れて、騒ぎの起きている城門へと向かった。

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