第三十話:教祖の座を賭けた聖戦
北壁戦線での一方的な蹂躙から数日後。
『魔都ヨリシロ』の城門前に、ボロボロのローブを纏った二人の旅人が現れた。
「……ここだ。ここが、あのお方の治める聖地か」
「ああ……なんて素晴らしい。空気が澱んでいる。光が死んでいるわ」
フードを深く被った男と女。
その正体は、先日ヨリシロによって壊滅させられた聖騎士団の生き残り、ガイとルナだった。
かつては神に祈りを捧げていた彼らだが、ヨリシロたちの圧倒的な「神威(という名の呪い)」を目の当たりにし、価値観が粉々に砕け散ったのだ。
彼らは悟った。自分たちが信じていた神は偽物であり、真の神はあの「日傘の男」であると。
「行こう。あの方に仕え、あの方の足元にひれ伏すことが、我々の新たな使命だ」
二人は熱っぽい瞳で顔を見合わせ、門をくぐった。
***
街の中は、異様な熱気に包まれていた。
中央広場には、祭壇のようなステージが組まれ、多くの住民(影食い族)が集まっている。
「……見ろ、あの人だかりを。住民たちが熱心に祈りを捧げている」
「きっと、あ方が説法をなされているのよ! ああ、早くお姿を拝見したいわ!」
ガイたちは期待に胸を膨らませ、群衆をかき分けて最前列へと進んだ。
あの圧倒的なカリスマ、美しくも恐ろしい「神」がそこにいると信じて。
しかし。
そこで彼らが目にしたのは、予想外の光景だった。
祭壇の上に立っていたのは、ヨリシロではない。
痩せこけた、ひ弱そうな人間の少年――カナタだった。
「ええい、静まれ! これより『ヨリシロ教』の定例ミサを執り行う!」
カナタが声を張り上げるが、声量は小さく、体も震えている。
どう見ても、カリスマ性のかけらもない子供だ。
だが、周囲の影食い族たちは熱狂的な眼差しを向けている。
「おお……教祖様!」
「今日も我らを導いてください、教祖カナタ様!」
その呼び名を聞いた瞬間、ガイの表情が凍りついた。
「……教祖、だと?」
期待は一瞬にして失望へ、そして激しい憤りへと変わった。
「あんな貧相な子供が、我らが神の代弁者だというのか?」
「許せないわ……。あのお方の高貴さと美しさに比べて、あまりにも不釣り合いよ」
ルナも殺気立つ。
彼らにとって、ヨリシロは絶対的な強者であり、美の象徴だ。その教団のトップ(教祖)が、こんな弱そうな子供であることは、神への冒涜に等しいと感じたのだ。
「おい、そこを退け!」
ガイが我慢できずに飛び出した。それにルナも続く。
彼らは武器に手をかけ、祭壇へと駆け上がる。
「ひっ!?」
突然の乱入者に、カナタが驚いて尻餅をついた。
ガイはそれを見下ろし、広場に響く大声で叫んだ。
「聞いて呆れる! 貴様のような弱者が、あのお方の威光を語るなど片腹痛い! 今すぐその座を降りろ!」
「そ、そんな……僕はただ、ヨリシロ様の素晴らしさを皆に……」
「黙れ! 力なき者に信仰を導く資格なし! 教祖の座は、この私がもらい受ける!」
ガイが剣を抜き、ルナも短剣を構える。
元聖騎士の鋭い切っ先が、カナタに向けられた。
広場がどよめく。影食い族たちは怯え、誰も助けに入れない。
「……降りる気がないなら、力尽くで引きずり下ろすまでだ」
ガイはニヤリと笑った。
「決闘だ。私が勝ったら、私が教祖となる。貴様は二度とあの方の名を口にするな」
「け、決闘……? そんなのダメだよ、危ないよ……!」
カナタは青ざめて首を横に振った。
剣が怖い。殺気が怖い。
戦うなんてとんでもない。
「お願いします、やめてください! ここで争ったらヨリシロ様が悲しみます!」
「ハッ、逃げる気か! ルナ、いくぞ! 臆病者に神を語る資格はない!」
「ええ! 私たちが真の信仰を見せてあげる!」
ガイとルナが同時に踏み込む。
問答無用の一撃。
カナタは悲鳴を上げて両手で顔を覆った。
「ひいぃっ! やめてぇぇぇ!!」
死ぬ。
そう思った瞬間。
ギィィィン!!
見えない壁に阻まれたかのように、二人の武器が空中で停止した。
いや、違う。
無数の「青白い手」が、虚空から現れて剣身を掴んでいるのだ。
「な、なんだこれは!?」
「刃が……動かないわ!?」
「あ……ダメだよ、みんな。乱暴にしちゃ……」
カナタが涙目で呟く。
次の瞬間、彼の背後からどす黒い霧が噴き出した。
霧の中に浮かぶのは、苦悶の表情を浮かべた無数の人面。カナタの故郷の村人たち、数千の怨念だ。
『……カナタヲ、イジメルナ』
『死ネ……死ネ……』
おぞましい呪詛の声が、ガイとルナの脳内に直接響き渡る。
「ぐぁぁぁぁっ!?」
「あ、頭が……割れる……!」
二人は同時に頭を抱えて膝をついた。
物理的な攻撃ではない。精神を直接汚染する、純粋な呪いの波動。
歴戦の聖騎士ですら耐え難い、死者の重み。
「ご、ごめんなさい! 僕が怖がったせいで、お友達が怒っちゃった……!」
カナタが謝れば謝るほど、ガイとルナの体にかかる重圧が増していく。
謝罪の言葉に呼応して、怨念たちが「守らなければ」「敵を排除しなければ」と活性化しているのだ。
肩に何百人もの人間が乗っているような重さ。
呼吸ができない。心臓が早鐘を打つ。
「あ、悪魔め……卑劣な呪い使いが……!」
ガイが血を吐き捨てるように唸った。
彼はまだ、カナタを認めていない。不可解な力で押し潰されているだけで、誇り高き元聖騎士としての心は屈していなかった。
「我々は……あの方の気高く圧倒的な力に魅せられたのだ! 貴様のような、おぞましい泥水のような呪いを崇める気など毛頭ない!」
「……悪魔? おぞましい泥水……?」
カナタの表情から、すっと感情が消えた。
彼は静かに、しかし冷たい怒りを孕んだ瞳で、地べたを這う二人を見下ろした。
「……やっぱり、君たちは何も分かってないんだね」
「なに……?」
「君たちは、ヨリシロ様の圧倒的な力や、敵を蹂躙する美しいお姿だけを見て、神様だと思い込んでいるんでしょう? 光り輝く神様の代わりに、都合のいい『強い偶像』を見つけただけだ」
カナタの言葉が、元聖騎士たちの胸を鋭く抉る。
「でも、あの方はそんな薄っぺらい存在じゃない」
カナタは自分の胸に手を当てた。そこには数千の怨念が渦巻いている。
「ヨリシロ様の真の偉大さは、世界中から『悪魔』や『呪い』と忌み嫌われ、迫害されるような醜い感情を、誰よりも深く、狂おしいほどに愛してくださるところにあるんだ。……君たちが今『おぞましい泥水』と呼んだものこそが、あ方が愛し、あの方を形作っている『本質』なんだよ」
ガイとルナが息を呑む。
カナタは一歩、彼らに近づき、その本質を叩きつけるように淡々と説いた。
「ヨリシロ様の足元にひれ伏したいなら、綺麗な部分だけを見てすがっちゃダメだ。あの方が抱え込んでいるこの『呪い(愛)の重さ』から目を背けないで。……理不尽で、醜く蠢く怨念。これら全てを受け入れ、共存し、共に堕ちる覚悟がなければ、あの方を信仰する資格なんてないんだよ」
その静かな声は、広場全体に響き渡った。
「あ、ああ……」
ガイとルナの顔が絶望に歪む。
彼らは自分たちの信仰が、いかに浅はかで表面的なものだったかを突きつけられた。
強さに憧れただけ。深淵を覗き込む覚悟など、最初から持ち合わせていなかったのだ。
へし折られたプライド。そして、全身を圧迫し続ける数千の怨念の質量。
精神と肉体の両方が限界を超えた。
「ぁ……」
ルナが白目を剥いて崩れ落ち、直後にガイも糸が切れたように意識を失い、地面に突っ伏した。
完全なる敗北。気絶による沈黙だった。
「……はぁ、はぁ。よかった、死んでない……」
カナタは安堵して、霧を霧散させた。
広場は静まり返っている。
やがて、影食い族たちから割れんばかりの拍手と歓声が上がった。
「す、すごい……! さすがは教祖様!」
「ヨリシロ様の愛の深淵を説かれた!」
カナタは少し照れくさそうに笑い、そして気絶している二人を見下ろした。
「……さて、この人たち、どうしようか」
カナタが首を傾げていると、影食い族の長老が進み出て、哀れむような視線を二人に向けた。
「カナタ様。彼らは我々のように『呪い』を受けておりません。つまり、あの方の愛の重さを本質的には理解できない、空っぽで可哀想な者たちなのです」
「あ……そっか。彼らはまだ、呪われて(愛されて)ないんだね」
「はい。ですから、彼らをそのまま教団に加えるのは彼らのためになりません。まずは彼らに、あの方の愛の重さを教えてあげる必要があるかと存じます」
長老の進言に、カナタは深く納得したように頷いた。
「そうだね。ヨリシロ様の綺麗なところしか見てないなんて、不幸だ。……僕たちが、手伝ってあげなきゃ」
カナタは無表情で、気絶したガイとルナを見つめた。
彼の中の純粋な狂信が、残酷な結論を導き出す。
「分かりました。じゃあ、彼らには教団の新人として、まずは『呪われること』から始めてもらいましょう」
「呪われることから、ですか?」
「はい。ヨリシロ様を正しく信仰するためには、僕たちと同じように重い愛(呪い)を背負わないと。だから、彼らにはこの街の最も淀んだ場所で、怨念や悪霊たちと触れ合い、しっかり呪いを身に宿す修行を強制します」
それは、元・聖騎士に対してあまりにも残酷で、精神を崩壊させかねない過酷な命令。
だが、カナタは純粋な信仰心ゆえに、それが彼らのための「救済への第一歩」だと信じて疑わなかった。
「彼らが立派に呪われたら、ヨリシロ様もきっと喜んでくれるはずだからね」
意識を失ったままの二人に、逃げ場はない。
こうして、ヨリシロ教団に初の「戦闘部隊(呪い見習いの生贄候補)」が加わった。
魔都の狂気は、ヨリシロの知らぬ間に着々と、そして取り返しのつかない形で深まっていくのだった。




