第ニ十九話:信仰は力なり、ただし本人は知らない
北壁戦線。
そこは人間界と魔王領を隔てる最激戦区であり、聖騎士団が誇る鉄壁の要塞都市『アイギス』が鎮座する場所だ。
何重にも張り巡らされた聖結界、精鋭揃いの騎士団、そして聖女の加護を受けた城壁。
魔王軍が数年かけても落とせなかった難攻不落の地。
――のはずだった。
「……あれ?」
俺は首を傾げた。
目の前には、瓦礫の山と化した城門。
そして、恐怖に顔を歪めて武器を捨て、地にひれ伏す聖騎士たちの姿があった。
「もう終わりかい? まだ準備運動も済んでいないんだけど」
俺が日傘をくるりと回すと、周囲の騎士たちが「ひぃぃぃッ!」と悲鳴を上げて後ずさる。
おかしい。弱すぎる。
事前に聞いていた情報では、ここは聖なる力が満ち溢れ、魔族にとっては呼吸するだけで肺が焼けるような過酷な戦場だったはずだ。
俺たちだって、多少のダメージ覚悟で「短期決戦」を挑むつもりだった。
なのに、どうだ。
『……ヨリシロ。この光、ぬるい』
胸元のクチサケが、退屈そうに欠伸(のような音)を漏らす。
彼女のドレスは返り血でさらに赤く染まっているが、聖なる力による火傷やダメージは皆無だ。
それどころか、肌艶が以前よりも良くなっている気さえする。
「テケテケはどうだい?」
「アハハハ! 全部、豆腐ミタイ! 足、切ル感触ガ軽過ギテツマンナイ!」
瓦礫の上を高速で滑走するテケテケも、不満げだ。
彼女の爪は、聖騎士のミスリル製の鎧を、まるで濡れた紙のように容易く引き裂いていた。以前なら少しは抵抗があったはずの聖別された金属が、今はバターのように柔らかい。
「メリーさんは?」
『……後ろに立っても、誰も気づかない。気配が薄いのかな、人間たち』
背中のメリーさんも手持ち無沙汰だ。
彼女が敵の背後に転移しても、相手は反応する間もなく首を折られ、絶命している。抵抗も悲鳴もない。あまりに一方的すぎて、恐怖を与える暇すらないようだ。
「……どうなっているんだ」
俺は眉をひそめた。
敵が弱いのか? いや、彼らの装備や練度は低くない。放たれる魔法も、確かに高位の聖属性だ。
それが、俺たちに届く前に霧散している。
まるで、俺たちの周りに見えない「神の加護」……いや、「濃厚な呪いのバリア」が展開されているかのように。
「……ま、魔神だ……」
「我々の刃が通じない……聖なる光が喰われている……」
「ああ、神よ……これは試練ですか……」
生き残った騎士たちが、俺たちを見上げて祈り始めた。
戦意喪失。
彼らの目に映っているのは、ただの強力な敵ではない。人知を超えた、抗うことすら許されない「絶対的な災厄」だ。
畏怖。崇拝に近い恐怖。
(手応えがないなぁ……)
俺はため息をついた。
もっとこう、ギリギリの死闘とか、愛の力で逆境を覆すカタルシスとかを期待していたのに。
これでは、アリの巣を散歩しているようなものだ。
「おい、そこの隊長らしき人」
俺が声をかけると、豪華な鎧を着た男がビクリと震え上がった。
「は、はいぃッ!!」
「君たち、本当にやる気あるの? 聖騎士団って、もっと骨のある連中だと思ってたんだけど」
「め、滅相もございません!! 我々は全力です! ですが、貴方様の放つ『神威』が強大すぎて、剣を持つ手すら動かないのです!」
神威?
俺が? ただの人間が?
妻たちの愛(殺気)が漏れているだけだろうか。
――実は、俺たちは知らなかった。
遠く離れた魔都ヨリシロで、カナタが立ち上げた『ヨリシロ教』が、独自の進化を遂げていることを。
信者の数は、たった三百人。移民である「影食い族」とカナタのみだ。
だが、彼らの信仰心は異常だった。
長年迫害され、呪われ、絶望していた者たちが、初めて得た「救い(ヨリシロ)」。
その感謝と依存心は、並大抵の信仰ではない。一人一人が、命を捧げても惜しくないほどの重く、粘着質な祈りを捧げているのだ。
少数精鋭の、純度100%の呪いにも似た祈り。
それが時空を超えて俺たちに流れ込み、彼女たちの「存在の格」を数段階引き上げていた。
今や彼女たちは、局地的な「土着神」に近い領域に達しつつあったのだ。
だが、当の本人はそんなこととは露知らず。
「……はぁ。期待外れだ」
俺はつまらなそうに日傘を閉じた。
「もういいよ。城門は壊したし、主要な戦力も無力化した。あとは後ろから来る魔王軍の本隊に任せよう」
俺は妻たちに撤退を告げた。
「帰ろう、みんな。こんな手応えのない相手じゃ、愛の証明にもならないや」
『……チェッ。ツマンナイ』
『お腹空いた……シズのご飯食べたい』
妻たちも賛成だ。
俺たちは敵陣のど真ん中で背を向け、悠々と歩き出した。
誰一人として、追撃しようとする者はいなかった。
ただ、去りゆく「魔王以上のナニカ」に、額を地面に擦り付けて祈りを捧げるだけだった。
「……あの方こそ、真の支配者だ」
「美しい……あのようなお方が、魔界におられたとは……」
背後でそんな声が聞こえた気がしたが、俺は振り返らなかった。
戦場での武勲などどうでもいい。
今は早く家に帰って、シズの淹れた毒入り紅茶で一息つきたい気分だった。
***
数日後。
戦場からあっさりと帰還した俺たちを迎えたのは、広場に集まった影食い族たちの熱狂的な出迎えだった。
「ただいま、魔都。……やっぱり、我が家が一番落ち着くなぁ」
俺がそう呟くよりも早く、彼らは全員、俺の顔を見るなり涙を流してひれ伏した。
「おお……! ヨリシロ様が無事にお戻りだ!」
「我らの祈りが届いたのだ!」
そして、その中心には、手作りの祭壇の上で演説をするカナタの姿があった。
「見よ! 神(ヨリシロ様)の帰還だ! さあ皆、感謝の祈りを捧げよう! もっと暗く! もっと重く!」
「……え、何あれ?」
俺がポカンとしている間に、ガランドが駆け寄ってくる。
「お帰りなさいませ、閣下! 大勝利の報せ、届いておりますぞ! いやはや、さすがは現人神!」
「……ガランド、君まで何言ってるの? というか、この異様な雰囲気は何?」
俺たちの「無自覚なレベルアップ」と、留守中に育ちすぎた「身内だけの狂信的な宗教」が、新たなトラブル(と繁栄)を招くことになるのは、もう少し先の話だ。




