第ニ十三話:魔界貴族の流儀
大広間の喧騒を背に、俺たちは魔王ゼノンに連れられて城の深部へと進んだ。
通されたのは、防音結界が張り巡らされた密談用の応接室だ。
重厚な革張りのソファ、年代物のワイン、そして壁に飾られた歴代魔王の肖像画。
「座れ。楽にしてよいぞ」
魔王は上機嫌でソファに沈み込み、自らグラスにワインを注いだ。
俺も対面の席に座り、妻たち(ドレス姿の都市伝説)は俺の背後や足元に控える。
「……さて、陛下。込み入った話とは?」
俺は単刀直入に切り出した。
ただの称賛や褒美の話なら、この場で済むはずがない。わざわざこんな密室に呼ぶからには、それなりの理由があるはずだ。
だが、魔王はニヤニヤと笑うばかりで、なかなか本題に入ろうとしない。
「そう焦るな。ワインは嫌いか? これは百年物の『処女の生き血』ブレンドだぞ」
「いえ、いただきますが……。もしかして、誰か待っていますか?」
「ご名答」
魔王がグラスを掲げた瞬間、部屋の扉がノックされた。
「入れ」
許可を得て入ってきた人物を見て、俺は眉をひそめた。
妻たちが即座に殺気を放ち、クチサケが鋏を構える。
「……何の用ですか、公爵」
そこに立っていたのは、つい先ほど俺たちに無様に敗北し、腰を抜かしていたはずのヴァルド公爵だった。
だが、今の彼に怯えの色はない。
衣服を整え、冷徹で傲慢な「闇の貴族」としての仮面を被り直している。
「……ふん。陛下がお呼びだ。貴様ごときに会いたくて来たわけではない」
公爵は俺の隣――ではなく、少し離れた一人掛けのソファにドカッと座り、足を組んだ。
「陛下。これはどういうことですか? 負けた相手を慰めろと?」
「ククク、違う違う。ヨリシロよ、貴様は少し誤解をしておる」
魔王は楽しげに喉を鳴らした。
「ヴァルドが貴様に突っかかったのは、単なる嫉妬や感情論だけではない。……あれは『試験』だったのだよ」
「試験?」
「うむ。我が国は完全実力主義。人間だろうが魔族だろうが、力ある者は上に立つ。だが、伝統を重んじる古参貴族たちにとって、ポッと出の人間がいきなり伯爵位に就くのは納得がいかん。当然だな?」
魔王は公爵に視線を向けた。
「そこで、貴族派の筆頭であるヴァルドが、貴様の実力を測るために汚れ役を買って出たというわけだ。『人間の伯爵が、本当に我らと同席するに値する怪物なのか』をな」
俺は公爵を見た。
彼は悪びれる様子もなく、赤ワインを揺らしている。
「……そういうことだ、新入り。勘違いするなよ? あそこで貴様が怯えたり、我が眷属に無様に殺されたりするようなら、私は本当に貴様を殺して、その死体を広場に晒すつもりだった」
公爵の目は本気だった。
演技ではない。彼は本気で俺を殺そうとし、本気で軽蔑していたのだ。
だが、結果として俺が勝った。
だからこそ、彼は今、俺を「対等な交渉相手」としてここに座っている。
「……なるほど。実力がないなら死んで当然、あるなら認める。分かりやすい理屈だ」
「フン、魔界では力こそが正義だ。貴様が人間だろうが、あのような不気味な悪霊を使役していようが、強ければ文句はない」
公爵は視線を、俺の背後にいる妻たちに向けた。
さっきまでの恐怖はなく、品定めするような冷たい目だ。
「しかし、公爵。貴方は大きな損をしたんじゃありませんか?」
俺は意地悪く聞いてみた。
「貴方の自慢の『花嫁たち』。三人とも、うちの妻たちがミンチにしてしまいましたが」
あれは高位の吸血鬼だったはずだ。育成にもコストがかかっただろうし、何より公爵の愛人だったはず。
だが、公爵の返答は、俺の予想を遥かに超えてドライだった。
「ああ、あれか。……ちょうど処分しようと思っていたところだ。手間が省けた」
「……はい?」
「最近、たるんでいたのでな。美意識も欠け、私の寵愛に胡坐をかいて贅沢ばかり言う。加えて、裏で私の寝首を掻こうとする他派閥との繋がりも見え隠れしていた」
公爵はワインを一息に飲み干した。
「あのような『不良品』を連れ歩くのは、私の美学に反する。貴様の悪霊どもに始末させて、新しい側室を迎える口実ができたというものだ。……その点だけは、礼を言っておく」
俺は呆気にとられた。
そして、背筋が少し寒くなった。
こいつは、俺とは違うベクトルで「狂って」いる。
俺は愛ゆえに常識を捨てるが、こいつは自らの美学と権威のために、愛(だと思っていたもの)すら平然と切り捨てる。
「……貴方こそ、本物の怪物ですね」
「最高の褒め言葉だ、魔界伯」
公爵は初めて、口元に薄い笑みを浮かべた。
それは友愛の笑みではない。
同じ猛獣が、縄張りを共有する相手を認めた時の、獰猛な笑みだ。
「ヨリシロよ。これで貴様の実力を疑う者はいなくなった」
魔王が話をまとめる。
「ヴァルドも貴様の力を認めた。これより、貴様は名実ともに『魔王軍の幹部』として扱われる。……当然、義務も発生するがな」
「義務?」
「うむ。貴様の領地『魔都ヨリシロ』を、対人間界の最重要防衛拠点として運用すること。そして……」
魔王は公爵と顔を見合わせた。
「来るべき『勇者』との戦いにおいて、貴様のその『理不尽な家族』を戦力として提供することだ」
勇者。
その単語が出た瞬間、公爵の目が鋭く光った。
「人間界が動き出している。聖女アリスの報告により、奴らは本気で我々を潰しに来るだろう。……その時、貴様のその『話の通じない狂気』が必要になる」
公爵が俺を指差す。
「我々のような正統派の魔族は、勇者の『聖なる力』と相性が悪い。光を浴びれば即座に塵となる。だが、貴様の連れているソレらは違うと聞いている」
公爵は、背後のメリーさんたちを値踏みするように見つめた。
「聖女アリスの結界に焼かれてもなお、消滅せずに反撃したそうだな? 痛みや浄化に耐え、怨念のみで動くその『しぶとさ』。そして、聖なる加護を無視して殺しに行ける『理不尽さ』……。それこそが、勇者殺しには必要なのだ」
俺は眉をひそめた。
あの時は、俺の体が盾になったから耐えられただけだ。それに、彼女たちは相当苦しんだ。
「……随分と買い被られているようですが、聖なる力は彼女たちにとっても猛毒ですよ。火傷じゃ済まない」
「構わん。相打ちで勇者を殺せるなら安いものだ」
公爵は冷酷に言い放つ。
要するに、厄介な勇者相手に、俺たちを「特攻兵器」としてぶつけるつもりなのだ。
俺はため息をつき、空になったグラスを置いた。
面倒ごとの押し付け合いだ。
だが、ここで断れば、この国での居場所を失う。それは、妻たちとの平穏な生活を失うことと同義だ。
「……分かりました。僕たちの平穏を乱す奴らは、勇者だろうが神だろうが排除します。それが僕の『愛』ですので」
「ククク、頼もしい限りだ」
魔王が満足げに頷く。
こうして、俺はヴァルド公爵という厄介な理解者を得て、魔王軍の中枢へと組み込まれていくことになった。
部屋を出る際、公爵がすれ違いざまに囁いた。
「……次は、もっとマシな女を連れてくる。貴様のその『継ぎ接ぎだらけの人形』よりも美しいものをな」
「負けませんよ。僕の妻たちは、どんな宝石よりも美しい」
俺たちは火花を散らし、別れた。
魔界の夜は、まだ始まったばかりだ。




