第十九話:ベスト4の不協和音
『御前武闘大会』準決勝。
闘技場の空気は、先ほどまでの熱狂とは異なり、張り詰めた緊張感に包まれていた。
一方のゲートから現れたのは、ヴァルド公爵家の筆頭武官にして、魔王軍でも指折りの猛者――竜人族の将軍、バグラ。
全身を赤い鱗に覆われ、身の丈は四メートル。口からは炎の吐息を漏らし、その威圧感だけで観客を圧倒する「生ける要塞」だ。
対するは、我らがヨリシロ伯爵家のメイド、レイレイ。
巨人の前に立つ人形のような彼女は、無表情のままスカートの端を摘み、深々とカーテシーを行った。
「……対戦相手様、オ手柔ラカニ願イマス」
「フン、小賢しい人形風情が。我が鱗に傷一つつけられぬまま、灰にしてくれるわ!」
バグラが咆哮する。
ヴァルド公爵がワインを揺らしながら、冷笑を浮かべた。
「見せしめだ、バグラ。その不浄な動く死体を、跡形もなく消し去れ。……人間の『お遊び』に引導を渡してやれ」
カラン、カラン!
開始の合図と同時に、バグラが動いた。
巨体に見合わぬ神速の突進。
「消えろォッ!!」
灼熱の炎を纏った拳が、レイレイの頭上から振り下ろされる。
直撃すれば岩盤すら溶解する一撃。
レイレイは動かない。
いや、動いた。一歩だけ前に。
ドンッ!!
彼女は両腕を交差させ、その拳を正面から受け止めた。
衝撃波が闘技場の壁を震わせる。
レイレイの足元の石畳が砕け、蜘蛛の巣状に亀裂が走る。
だが――彼女の膝は折れていなかった。
「……お客様。室温ガ高過ギマス。空調ヲ調節シテ下サイ」
「な、なにィ!?」
バグラが驚愕する。
炎熱攻撃を受けてなお、レイレイの肌は少し煤けただけ。死後硬直したその肉体は、痛みも熱も拒絶する。
「お返しシマス」
レイレイが交差させた腕を開く。
相手の懐に入り込み、至近距離からの両手突き。
ボフッ!
腹部に衝撃を受けたバグラが、数メートル後退させられる。
会場がどよめいた。
あの竜将軍が、あんな少女の一撃で押し込まれたのだ。
「おのれ……チョこまかと!」
バグラが本気になる。
爪による連撃、尻尾による薙ぎ払い、そして口からの火炎放射。
怒涛の攻撃ラッシュ。
しかし、レイレイは倒れない。
吹き飛ばされても、空中で関節をありえない方向に曲げて衝撃を逃がし、猫のように着地する。
腕を掴まれれば、自ら関節を外して脱出し、すぐに嵌め直す。
その動きは生物のそれではなかった。
徹底的に無駄を削ぎ落とした、戦闘機械の挙動。
「……シズ様ニ叱ラレル。服ガ汚レテシマッタ」
レイレイが気にするのは、ダメージではなくエプロンの煤汚れだ。
その異常性が、観客の背筋を寒くさせる。
(……なんだ、あれは?)
(死なないのか? 痛みを感じないのか?)
(まるで、壊れるまで止まらない呪いのようだ……)
歓声が消え、薄気味悪い沈黙が広がる。
貴賓席のヴァルド公爵も、焦りを隠せない様子で爪を噛んでいた。
「ええい、何を手こずっている! 全力を出せ! 最大火力で焼き尽くせ!」
主人の叱責を受け、バグラが天を仰いだ。
全身の魔力が膨れ上がり、鱗が赤熱する。
「グオオオオオオオ!! 『竜王の咆哮』!!」
それは、物理的な衝撃を伴う超高密度の熱線だった。
闘技場の半分を飲み込むほどの破壊の奔流が、レイレイに向かって一直線に放たれる。
避ける場所はない。
俺はグラスを置いた。
ここまでだ。
「レイレイ。……『防御』」
俺の小さな呟きが届いたのか、彼女はその場に立ち止まり、両手を前に突き出した。
ガランドの強化魔術が、彼女のお札に輝く。
ズドオオオオオオオオオオン!!
閃光と爆音が会場を包む。
誰もがレイレイの消滅を確信した。
やがて、土煙が晴れる。
そこには――。
闘技場の端、場外エリアの壁にめり込んだ、小さな人影があった。
レイレイだ。
服はボロボロに焼け焦げ、片足は不自然に曲がり、右腕は千切れ飛んでいる。
だが。
彼女の胴体と首は、繋がっていた。
「……判定! 場外により、勝者バグラ選手!」
審判の声が響く。
バグラは荒い息を吐きながら膝をついていた。全力を出し尽くした疲労困憊の姿だ。
対して、壁からズルリと落ちてきたレイレイは。
ギギギ……パキン。
自らの手で曲がった足を強引に元に戻し、落ちていた右腕を拾って肩に押し当てた。
グチュリ、と肉が繋がる音が、静まり返った会場に響く。
「……申シ訳アリマセン、旦那様」
彼女は無表情のまま、ボロボロの姿で俺に向かって深々と一礼した。
「任務失敗。……敗北シマシタ」
シーン……。
誰も言葉を発せなかった。
普通なら、ここでブーイングか、あるいは健闘を称える拍手が起こるはずだ。
だが、観客が感じていたのは「恐怖」だった。
あれだけの攻撃を受けて生きていて、なおも平然とメイドとしての礼儀を尽くす異常性。
そんな中、一人だけ拍手をする男がいた。
俺だ。
「ブラボー! 素晴らしいよ、レイレイ!」
俺は身を乗り出し、満面の笑みで叫んだ。
「見たかい、あの焼け焦げた肌の質感! 千切れた断面の美しさ! 負けてボロボロになった君は、新品の時より何倍も退廃的で美しい!」
俺はテラスから飛び降り(ガランドの魔法で軟着陸し)、レイレイの元へ駆け寄った。
「怪我はないかい? ……ああ、死体だから怪我という概念はないか。最高だね!」
「……旦那様。服ヲ汚シマシタ。シズ様ニ、怒ラレマス」
「構わないさ! 新しいのを百着でも買ってあげるよ! よく頑張った!」
俺は煤だらけの彼女を抱きしめ、頭を撫で回した。
その光景を、会場中の魔族たちがドン引きして見ている。
「……あいつ、本気か?」
「自分の配下が負けて、あんなボロボロなのに……喜んでるのか?」
「……関わりたくない。あの人間、根っこの部分が我々とは違う……」
侮蔑の視線は消えた。
代わりに生まれたのは、得体の知れない「異物」に対する忌避感と、底知れぬ恐怖。
貴賓席では、勝利したはずのヴァルド公爵が、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
部下は勝った。だが、精神的には完全に敗北していた。
こちらの全力攻撃を「ただ耐えきった」だけの人形と、それを愛でる狂った主。
その不気味さが、プライドの高い公爵には許せなかったのだ。
「……不愉快だ」
公爵はグラスを握り潰し、低い声で唸った。
「明日の夜会……ただでは済まさんぞ、ヨリシロ」
不穏な空気を残したまま、前夜祭は幕を閉じた。
だが俺にとっては、最高のプロモーション(宣伝)になった。
魔界の社交界に、強烈な「不協和音」を刻み込むことができたのだから。
「さあ、帰ろうかレイレイ。シズに修繕してもらわないとね。明日はもっと綺麗にしてあげるから」
俺たちは冷ややかな視線を背に受けながら、悠然と会場を後にした。




