四章 優しい彼
今日もいつものように研究をする。実験し、結果をまとめ、再度調べないといけない部分を書き出す……。
「ねぇねぇ、クインさん。何してるの?」
「……今、実験結果をまとめてるからルナに構ってて……」
……なんだけど、なぜかブランシュがボクの方を見ている。遊びに来るのはいいんだけど仕事はいいのだろうか?
「私にも出来ることある?」
「ルナにご飯をあげてほしいかな。猫じゃらしはそこにあるから」
ボクの指示にブランシュは「はーい」と猫用カリカリと猫じゃらしを持ってきた。
「いつも思うけど、ペットをここに連れてきていいの?」
「うん、ルナはいい子だから研究中は大人しいんだよ。その分、休みの日は結構甘えてくるけど」
おいで、と手招きするとルナはボクのデスクに飛び乗って手にすり寄ってきた。うーん、可愛い。
「懐いてるんだね」
「それなりに一緒にいるからね。この子もボクの生活に慣れたんだよ」
ルナは確かに身体が小さいけれど、もう子猫ではない。ルーカスが拾ってきたあの日からずっとボクと一緒にいてくれた大事な家族だ。
――それに、潜入捜査の時にネコだからって油断してくれる。
ルナは本当に物覚えがよくて、たとえボクが捕まってもあの手この手で救出できるようにしつけることが出来ている。エキナセア公爵には「ネコ使い」なんて言われているぐらいだ。否定できないのが悔しい。
そんなルナも、ブランシュにかなり懐いている。その証拠に喉を鳴らしながら彼の手にすり寄らせていた。そんなことをするのはボクとルーカスぐらいなのに。
「この子、人懐っこいね」
「んー?いや、ルナは結構警戒心強い子だよ。ブランシュが特殊なだけかな」
「そうなの?」
……まぁ、ルナも知っているもんね。彼が「何者」なのかって。
罪悪感を抱きながら、ボクもルナの頭を撫でた。
数年前の話だ。エキナセア公爵とクリムさんに頼まれネグロと一緒に半グレ達の住む屋敷に潜入したことがある。
その当時はまだ十代で、任務に慣れていなかったこともあり捕まってしまった。
「こんのクソガキ……なめやがって」
手首を鎖に繋がれ、ガタイのいい男達に囲まれた時は本当に死ぬかと思った。
(せめてネグロだけは逃がさないと……)
ボクはどうなってもいい、せめて彼だけでも……。そう覚悟をしていた時、突然一人の男が倒れ鎖も斬られた。
「大丈夫か?」
ネグロがボクを庇うように立ち、尋ねてくる。
「う、うん……」
「よかった。大丈夫、私がついている」
彼がボクの背中に触れた。それと同時に、温かい何かが身体中に駆け巡った気がした。
ボクも立ち上がり、周囲を見渡す。……探し物は金庫の中に隠されているだろう。
「ネグロ、あの金庫に禁忌書があると思う……」
「了解、恐らくボスのポケットに暗証番号か鍵がある」
「回収したら警察に突き出そうか」
「あぁ、そう言う指示だったしな」
そこからは早かった。手足さえ動けるならボクもネグロもどうにでもなる、だてにスパイとして鍛錬してきていない。
数分後には、半グレ達が地に伏せていた。……多少やりすぎた気もするけど、まぁ気にしないことにする。
鍵を奪い取り、金庫から禁断書を取り出す。中身を確認して、それが本物だと確信した後懐に入れた。
「警察には通報した?」
「あぁ、ちゃんとしたよ。その本はどうする?」
「クリムさんに渡すしかないでしょ」
「兄貴に渡すのか……まぁそうするしかないか」
彼はクリムさんに苦手意識がある。……まぁ、突然孤児院から引き取られて裏方で動くよう育てられたら嫌になるだろう。ボクはそんなものだと割り切っていたしエキナセア公爵のためになるならと受け入れているけど。
「……ネグロ、君、逃げようと思わないの?」
帰り道、不意に聞いてしまった。彼はキョトンとしていたけど、小さく笑って、
「確かに、あそこから逃げたいけどね。でもクインがいるなら……もう少し、頑張ってみようかな」
「……そう。でもつらくなったら言ってよ?君には笑っていてほしいからさ」
「ありがとう。……君がそう言ってくれるから頑張れるよ」
その時のどこか悲しげな笑顔が、いまだに忘れられない。
「クインさん?」
名前を呼ばれ、ハッと現実に戻ってくる。目の前にはエラルドさんが心配そうな顔を浮かべていた。
――そういえば、今日は二人が来る日だったな。
支援してくれたお礼として週に一回、研究所に足を運んで料理を作ってくれると約束している。ボクとしては気にしなくていいのだけど、それで二人が気負わないのならいいかと受け入れた。
今日のご飯は彼らの国の料理だった。
「これ、辛くないですよね?」
「大丈夫ですよ、クインさんが食べられるぐらいの辛さにしていますから」
「もとは辛い料理なんですね」
二人の国の料理は辛いものも多い。食べられないことはないけど、口に合わないのだ。まぁ、作ってもらった以上それでも食べるけど。
(辛くてもおいしいからね)
あの辛ささえどうにかなればおいしく食べられる。ようは郷に入れば郷に従えってやつだ。
「おいしく出来ているハズだぞ」
「そこは怪しんでないですよ。お二人の料理はおいしくていつも食べたいぐらいですから」
「フフッ、それはプロポーズですか?」
「違います」
確かに自分で言っててそう思ったけど、断じてプロポーズではない。
「私達はあなたなら伴侶にしてもいいと思いますよ」
「お世辞として受け取っておきますね」
こんな研究馬鹿で危険な仕事をしている奴と結婚したい人なんていない。彼らだってボクがここのスパイとして潜入しているのは知っているハズなんだけど。
「おやおや、振られてしまいましたか」
「まぁ、口説けばいいさ」
「それもそうですね。クインさんは自己評価が低いですから」
……なんか、背筋がゾクッとしたのは気のせいだろう。
「クイン君!」
デザイア研究所に入社したばかりの頃。ルーカスが涙を浮かべながらボクの研究室に飛び込んできた。
「どうしたの?ルーカス」
「子猫を拾ったんだ、ずっと鳴いてて……」
そう言う彼の手には白猫。彼の言う通り、大きさ的にも子猫だろう。
「もう、動物は拾って来たらダメだよ。ボクもルーカスも面倒見れないでしょ?」
彼は本当に優しい。この小さな命にすら手を差し伸べるのだから。
けれど、責任を持てないのなら拾ってきたらダメだ。かわいそうだけど、そっとしておくしかない。
「しかし……」
「しかし、じゃないよ。気持ちは分かるけど」
ボクが小さくため息をつくと、白猫が弱々しくニャー……と鳴いた。このままでは衰弱して死んでしまうだろう。
……仕方ない。
ヒョイ、とルーカスの手から子猫を持ち上げると、彼は目を丸くする。
「仕方ないから、ボクが面倒見るよ。たまには見に来てよ?」
「……!ありがとう、クイン君」
「別に、常に動き回ってるルーカスよりは普段研究室に籠ってるボクの方が面倒見やすいと思っただけだよ」
それに、弱っている声を聞いたら見捨てるわけにもいかない。
この子の名前をどうしようか悩んでいると、不意に窓の外に目がいった。
今日は綺麗な満月だ、月の光が白猫の毛並みをさらに輝かせる。
「……ルナ、なんてどうかな?」
ボクの言葉に反応するように、白猫がすりついてくる。
何か食べられそうなものはないか冷蔵庫を見ると、偶然魚が入っていた。そう言えばたまには料理でも作ろうかなって思って買ってきた気がする。
魚と水をあげてみると、ルナは恐る恐るそれを食べ始めた。
「……明日、この子用のベッドとか買ってこないとね」
「私も手伝うよ、連れてきたのは私だからな」
そんなことを言いながら、ルナの頭を撫でる。
それが、ルナとの出会いだった。
(懐かしいな……)
今じゃ、もうネグロもルーカスもここにいない。あの賑やかな日常は戻ってこない。
ルナが悲しげに鳴く。
「大丈夫だよ、ルナ。この任務を受けるって決めた時にすべてを捨てる覚悟はしていたから」
ボクがルナを抱え、呟く。そう、もともと覚悟していた。だから寂しくなんてない。
……寂しくない、のに。涙が出てくる。そんなボクを慰めるように、ルナの小さい手が頬に触れた。




