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一章 デザイア研究所

「クイン君!なんでここに残るんだ!」

 ガシャン!と何かが割れる音とともにボクの胸倉を白い男が掴んだ。

「……申し訳ないけど、君に説明することは何もないよ、ルーカス。逃げるなら一人で逃げて」

「ここに残ったら私も君も共犯者になるだろう!?だから一緒に逃げようと言っているんだ!」

 彼の言いたいことも、分かる。ボクだって馬鹿じゃない、本当はここから逃げた方がいいって理解している。

 デザイア研究所……ここはこの国最大の研究施設であり、様々な研究をしている。

 しかし、それは表向きで実は違法な実験が日夜行われており、それには人体実験も含まれている。詳しいことはまだ分からないけど、ここにいたら彼の言う通り、共犯になってしまうだろう。

 でも、ボクはここを抜けるわけにはいかないのだ。

「……あぁそうかい!君がそんな最低な人間だとは思わなかった!」

 無口のボクにしびれを切らしたのか、ルーカスはそう吐き捨てて部屋から飛び出した。

 何も出来ずうつむいていると、足元からニャーと不安そうな鳴き声が聞こえてくる。

「ん……ルナ、大丈夫だよ」

 しゃがんで頭を撫でると、ルナはボクの肩に乗って慰めるようにすり寄ってきた。

「……ルナ、ボク、また一人になるのかな……」

 ルーカスは、ボクの唯一の親友だった。だから、彼の性格はよく分かっている。

 彼は、孤児院の出身で「正義側」の人だ。そして救える人は絶対に救い出したいと願う青年。だからこそ、ルーカスはボクをこんな場所から逃げるように告げたのだろう。

 ――でも、ボクはいわば「スパイ」のようなものだ。確かに研究者だけど、同時に内情を探るように指示されている。そしてそれは、本当に一部の人しか知らない。

「……ボクは、君を巻き込みたくないんだよ」

 親友だからこそ、そんな事情に巻き込みたくなかった。たとえ仲たがいをしてしまうことになっても、ルーカスが無事ならそれでいいんだ。



 夜、久しぶりに自分の家に帰りゆっくりしているとドアベルが鳴った。開けると、見知った男性が立っていた。

「失礼、今よかったか?」

「うん、大丈夫だよ。どうぞ」

 男性を中に入れて、紅茶を出す。

 彼はリッキーさん。探偵をしていて、ボクに情報を探るよう頼んできた人物の一人。

 ボクは資料を彼に渡す。

「……と、いうわけで「不老不死」の薬を製作するという名目でかなり残酷な人体実験がされてるね。実験は地下でされているみたいで、詳しいことはボクでも探り切れていない」

「そうか。……すまないな、あんただけに任せてしまって」

「いいんだよ。奴らも、ボク一人の方が油断するだろうし。あ、その資料はもらっていいからね」

「ありがとう」

 彼が資料をカバンに入れると、「そういや」と聞いてきた。

「何かあったのか?落ち込んでいるようだが」

「……アハハ、やっぱり分かっちゃったか。親友とちょっと、ね」

 ボクのその答えでなんとなく察しがついたのだろう。彼は申し訳なさそうな表情を浮かべる。

「それは……すまなかったな」

「仕方ないよ。あいつはあの場所にいるには眩しすぎる」

「だが、正直に話せばよかっただろう。そうすれば仲たがいすることも……」

「ボクがあいつを巻き込みたくなかったんだよ。……ただのエゴさ」

 そう、これはただのボクのエゴ。親友を巻き込みたくない、死なせたくないって言う自分勝手なわがままだ。

「無理はするなよ。嫌になったらすぐに言え、エキナセア公爵だって途中離脱を許してくれるだろ」

「……うん、ありがとう」

 エキナセア公爵はリッキーさんと一緒にボクにデザイア研究所の調査を依頼するよう指示を出した人だ。公爵、と言うようにこの国の大貴族の一人。

「明日も研究だったな、今日はゆっくり休め」

「うん、おやすみ」

 リッキーさんを見送り、ベッドの上で明日のタスクの確認をする。

「はぁ……実態を探りながらの研究って本当に大変だな……」

 研究自体は大好きだ、他人の役に立つものを作るのは本当に楽しい。

 でも、内情まで調べるのは骨が折れる。一か月家に帰れないこともざらにあるし、食事も数日抜くことだってよくあること。かなり不健康な生活を送っている自覚はある。でも、それでも……。

「……早く、両親の仇を取れたらいいな……」

 そう呟きながら、ボクは横になった。



 はぁ、と私はため息をついてしまう。

「どうしたの?ルーカス」

「ん……いや、またあの分からず屋の説得に失敗してしまってね」

「あー、デザイア研究所で働いてるって言う親友さん?」

「そうさ。彼も噂は知っているのにな」

 目の前の女性はルシール、孤児院時代、一緒に過ごしたお姉さんで同じく孤児院で過ごしたリッキーとともに探偵業をしている。

「うーん、でもそんなに言うこと聞かない人なの?」

「いや、普段はそんなことない。だからこそ少し腹が立っているんだ」

「ルーカスは本当に、その人のことが大事なんだね」

 クスクスと言われ、私は過去を思い出す。


 孤児院出身だった私は学校になじめず、いつも教室の隅にいた。

「ねぇ、一緒に遊ばない?」

 そんな私に、声をかけてくれたのがクイン君だった。

 クイン君は、同性から見てもかなりの美形で私なんかが関わっていいのかと思うほど上品な人だった。

「……近付かないでくれ。あんたもぼくをからかっているんだろ?」

 うれしいのに、素直になれずに私は吐き捨ててしまった。

 それでも、彼はもう一人の友と根気強く私に声をかけ続けてくれた。

「なんであんたはぼくに関わろうとするんだ?」

 私が尋ねると、彼はキョトンと目を丸くして、

「『ボクが』君と友達になりたいからだよ。君が嫌なら、無理強いする気はないけど……」

 そう、言い切ってくれた。その瞬間、私の心が溶けた気がした。

 それから私達はよく一緒にいるようになった。いつしかお互いを「親友」と呼べるほどに。


 そんな優しい彼だから、なんであの研究所にこだわっているのかが分からない。

「お二人とも、少し休みませんか?」

 その時、白い男性が部屋に入ってきた。

 彼はブランシュ。詳しいことは知らないが、どうやら探偵社の前で倒れていたらしく、記憶喪失を起こしているらしい。

「ありがとう、置いててくれる?」

「ブランシュ君、記憶は戻りそうかい?」

 私が尋ねると「いえ、まだ……」と困ったように笑う。

「でも、ゆっくり思い出していきますよ。……本当は忘れたくなかったものまで忘れているような気がしますから……」

 最後の言葉は寂しげだった。不安、なんだろうな……自分が何者で、なんで記憶を失ったのか分からないんだから。

 ――こういう時、クイン君ならどうするんだろうか?

 慰める?寄り添う?……きっと、出来る限りのことはするんだろうな。

「ルーカス?本当に大丈夫なの?」

「ん……あぁ、大丈夫だ」

「親友さんが気になるんですか?」

 ルシールにもブランシュ君にも迷惑をかけてしまっている……いくら最年少とは言え、少し申し訳ない……。

「そうだ!それなら私が探ってみようか?」

「え?」

「だって、その子が心配なんでしょ?名前と写真を見せてくれたら何とかしてなんであの研究所にこだわるのか聞き出すよ」

 時間はかかるけどね、とルシールが笑う。

「でも……」

 私が渋っていると、「弟なんだから姉さんに甘えなって!」と言い切ってくれた。

「……お願い、します……」

 私だって、クイン君がなぜあの研究所にとどまるのか理由が知りたい。でも、きっと私相手だと話してくれないだろう。それにお互い頑固なところがあるからまた言い合いになってしまいそうだ。

 それなら、ルシールに頼んで聞き出してくれる方がお互いのためにもいいだろう。

(何かあるなら……私にも、頼ってほしい)



 明け方近く、ルナを連れて研究室に入る。そしてタスクを再確認し、足りなくなっているものがないか確認する。

「……あ、ルナのご飯買ってこないと」

 今日は歩いて買いに行こうかな……どうぜしばらくはまた研究所で過ごすことになるからな……なんて考えながら報告書と実験結果、改良点を書き出していく。

「食事は……まぁいつものでいいか。作るの面倒だし……」

 いつもの、というのはコーヒーだけ。だって料理作る時間ないし面倒なんだもん……。

 それに、いざとなれば棚に非常食はあるから極限までおなかすいたらそれを食べたらいい。不健康?何それおいしいの?そんなこと気にしていたら研究なんてできやしない。

 報告書を書き終わらせて、時間を見るとお店が開いている時間になっていた。

「ルナ、一緒に行こうか」

 ルナに声をかけると、ニャーと鳴いて肩に乗ってくる。本当にボクの肩が大好きなんだから……。

 ボクの行きつけのお店で買い物を済ませて、研究所に戻る道中のこと。路地裏から悲鳴が聞こえてきた。

「ルナ、ここを見張ってて」

 ボクが指示を出すと、ルナが肩から降りて周囲を見張るように座り込んだ。ルナの近くに荷物を置いてすぐに悲鳴が聞こえた方に走る。

 そこには、ガタイのいい男性数人に腕を掴まれている女性がいた。

 ――助けないと。

 そう思った時には身体が動いていた。

 頬に痛みが走る。女性に当たるはずの拳がボクに当たったようで口に鉄の味が広がる。

「女性に暴力を振るおうなんて、穏やかじゃないね」

 ボクののんきな声を聞いて、殴ってきた男性の額に青筋が浮かんだ。

「あぁん?なんだ、このヒョロガリは?」

 男性達が睨んで来るけど、そんなの意に返さず女性を庇うように立つ。この後のことなんて考えてなかったから、この後どうしようか悩んでいると、

「ん?なぁ、こいつデザイア研究所の研究員じゃないか?」

 男性の一人がボクの顔をジロジロ見てそう言った。まさか、ボクのことを知っている奴がいるなんて思ってなかった。

 ……いや、普通に考えて有名なのは当たり前か。論文を発表したり実際に薬を作ったりしているんだから。

「へぇ……思ったより美人なんだな。本物はやっぱり違うぜ」

「こんなに美人なら男でもいけそうだ。なぁ?」

 ニヤリと嫌な笑みを浮かべながら、さらに別の男がボクの腕を掴む。ボクにターゲットを変更してくれるならやりやすい。

(多分、こいつらは半グレだから多少痛い目を見せても大丈夫だろう……)

 そう思いながら抵抗しないでいると、突然目の前の男性が倒れた。

「……え?」

「危なかったね」

 ――その、白い後ろ姿は大きく見えた。

 白い彼の足元にはルナがいた。きっとこの子がボクの危険を察して人を呼んだのだろう。

 その人は目の前の半グレ達を軽々と一掃した、そしてボクの方を振り返って優しく微笑む。

「大丈夫だった?この子が呼んでくれなかったら気付かなかったよ」

 ――それが、彼との「出会い」だった。



 近くのカフェで二人と話をする。

「……それで、お二人はお知り合いだったんですね」

「うん……私が一人で買い出しに出たら絡まれちゃって……」

「私も、この子がいなかったら気付かなかったよ。ルシールさんを助けてくれてありがとうね」

 どうやらこの二人は探偵事務所に所属しているらしい。まぁ、探偵業は危険と隣合わせだもんね……。

 ――それにしても。

 まさか、こんなことで再会してしまうとは思っていなかった。

(記憶は……ないみたいだね)

 それに安堵してしまう。

 もう、あの地獄に帰すわけにはいかないから。

「あの、お名前を聞いても?」

 ブランシュがボクに尋ねてくる。まぁ、ここまで来て名乗らないのもおかしいだろう。

「クインです、これでもデザイア研究所の研究員です」

 ボクが名乗ると、二人は驚いたような表情を浮かべる。どうしたのだろうと首を傾げていると「研究員さんなんだ、すごい!」とルシールさんが目を輝かせた。

「ねぇ、たまにでいいから一緒にお出かけしない?」

「え、いえ、仕事があるので……」

「たまにでいいのよ。ね?ブランシュ」

「そうだよ。たまには息抜きも必要でしょ?」

「はぁ……」

 なんでここまでグイグイ来るんだろう……?とは思うけど、これは受け入れるまで頼み続けるパターンだ。親友がそんな奴だから分かる。

 ボクは手帳を確認して、

「……今週の日曜日なら、仕事が休みの予定ですが……」

「本当!?」

「でも確定できないですよ、研究が進まなかったら休日返上しますし」

「研究所まで迎えに行くよ!」

 あ、強制なのか……そうなのか……。

 どうやって断るか悩んだけど、いい方法が思いつかない。

(……まぁ、いいか)

 どうせもともと休みなんだから仕事が終わらなくてもいいだろう。いざとなれば別の人に押し付ければいい。そう開き直ることにした。

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