4-11 楽園へと至る道
庭園とは神の庭。また楽園への道しるべ。
神に呪われた女が神のごとき力で創る庭園で魔女は囁く。
至らせよう。神を不要とした美しい世界へと。
何を犠牲にしても。誰に憎まれようとも。
あなたがいればそれでいい。
白き花がどこまでも咲き乱れる庭園。白い竜が創りたかった暖かな庭を模した偽物の世界。
吹く風は柔らかく穏やかなのにどこかよそよそしい。土の匂いも陽の香りも、泥臭い地上とは違う。
魔女にはこれが『正しい』姿に見えている。美しくてひと欠片の歪みもない庭。それこそが歪みだというのに。
※
少女は目覚めた。魔女の庭園は、彼女の居場所でもある。全てを見通す目でここから世界を視る。
全ての時を見守り、集約させ、彼女はここで待つ。
目覚めたばかりの少女は誰もいない白い庭を見回し駆け出す。
庭園のもうひとつの役目を思い出した。
探さなければ。
そんなこと考えもしなかった。
そういうふうに記録されていたせいだ。
舞い上がる花びらの中を夢中で駆ける。
もしかしたらウーアには辿り着けないかもしれない。魔女が隠してしまったかもしれない。ウーアは主を裏切った。
愛を理解してしまった。
でも、だからこそ走らずにはいられなかった。
白い衣と銀の髪を靡かせて、いつもは立ち尽くすだけだった少女は庭園を駆け抜けた。
「ライゼ! どこにいるの!」
何度も呼んだ。彼も試練の塔に囚われたウーアを何度も呼んでくれたから。
諦めないでいてくれた。
ひとりぼっちにしないでくれた。
「ライゼ!!」
風が、通り抜けた。花の甘い香りを孕んで銀の髪を梳いた。
白い花の丘に彼はいた。
少女を呼んではくれない。彼の目は固く閉じられていて眠っている。
ウーアは転がるように駆け、時折足をつまずかせ転びそうになりながら、息を切らせても足を止めずに一目散に彼の傍を目指した。
「ライゼ……」
人の形をした竜の王。銀の髪を白い花に埋めて眠っている。身体に傷はない。少女が空けた穴はもうなかった。
そっと彼の胸に手を置いて傷がないことに安堵して、頭を胸に寄せた。温かい。
でも少女は眉を寄せて涙をこらえた。
心臓の音がしない。
彼は魔女に囚われたままだ。この庭園にいるのだから当然だ。
ここで彼は傷ついた肉体を癒す。
一度目は心臓を魔女に奪われた時だった。竜の珠は魔女によって厳重に保管されたから彼は死なないけれど、肉体は消耗する。穴の空いた身体と失くした心臓を埋めるようにロルロージュが手を施した。いつか目覚める彼のために記憶も弄って。
永い永い、束の間の休息だ。千年かけて肉体を修復し、たった一日の過酷な運命を生きるために彼は目覚めさせられた。
ウーアはその一日のために彼を待っていた。
そしてまた彼は壊された。
死にはしない。魔女は大事に彼の命を守っている。
だが守られているのはあの魂だけだ。
彼の精神は疲弊して、次に目覚めた時には苦痛に心を歪めてしまうのではないか。そうならないために魔女は再び記憶を改竄してしまうのだろうか。
忘れても思い出させて、また苦痛を与えるくせに。
彼を守らなければ。
庭園から連れ出すことができるだろうか。
無理だ。ここから出て彼の肉体が無事でいられる保証はない。修復は当分終わらないのだ。
「ライゼ、起きて」
早く早く。石棺で待っていた時よりも切実に。
石棺へ呼びかけるよりも確かなはずなのに遠い気がした。呼んでもどこにもいないんじゃないか。そんな不安が押し寄せる。
「ライゼ、ひとりにしないで」
少女は彼の銀の髪に指を通して額にかかった髪を払った。ここでは本来の姿でいられる。
でもそれはきっと魔女の願望だ。
白銀の竜を愛でるための。
眠る竜の髪を梳いて、聞いていない彼のために唄を歌い、優しく話しかける。
そんなの嫌だ。
ウーアはライゼとちゃんと話したかった。手を繋いで歩きたかった。彼の目を見つめたかった。
誰も答えを返してくれない石棺に問いかけ続けるのはもう嫌なのだ。
「早く起きて」
全部終わったら二人で一緒にいられるだけで良かったのに。
(ミニアウーア)
そう呼んでくれる優しい声が聞きたかった。
「そうだ」
少女は竜の乾いた唇をなぞる。どこかの記録にあった口づけで目覚めるお姫様の物語を思い出したのだ。
愛の力があれば目覚めるのだという。
少女は戸惑いもせず彼の唇に自分の唇を押しつけた。柔らかくて竜の匂いがする。血の味しかしなかった口づけとは違う。
でも彼は目覚めなかった。
「どうして」
「馬鹿ね」
頭上に降り注ぐような声音に反射的にライゼの身体を庇うように腕を広げた。
「身の程を知りなさいと言ってるのがわからないの」
ぱちんと指を弾かれた瞬間にウーアは見えない力に弾き飛ばされ後方に転がった。
「主様……」
「そうよ。わたしはお前の主人なの。逆らっても無駄だし、あんまりライゼに触れないでくれるかしら」
「いやだ! ライゼは、ライゼはウーアと一緒にいる! 主様はウーアをいらないと言った。ならわたしもご主人など不要だ!」
「本当に馬鹿な子。どうしてこうなったのかしら。少し記録を洗い出さないといけないわね」
まったく面倒、そんなことをぶつぶつ言いながらロルロージュはライゼの傍に腰を下ろす。柔らかい彼の髪を撫で、頬をなぞり、瞼に触れる。
「これは全部わたしのもの」
魔女は竜に口づける。見せつけるような行為に、ウーアの何にも動じないでいられる心に罅が入るような揺らぎが起こる。
執着。嫉妬。羨望。
彼はウーアのものにはならない?
違う。モノだなんてやり取りすることを彼は一番嫌う。なのに沸き起こる執着心を怒りとしてぶつけそうになる。
「ライゼに触らないで!!」
神力が吹き荒ぶ風となって花を散らし、ロルロージュに向かう。
「どうしてみんな竜を欲しがるのかしらね」
溜息を吐いた魔女は少女の力など簡単に捩じ伏せ、倍にして弾き返した。軽い身体は花びらのように舞って地面に叩きつけられた。
「わたしはね、ライゼに強く在って欲しいの。お前もわかるでしょう。白竜は優しい。強いのに優しすぎたから殺された。ライゼも同じ。愛なんて気持ちにほだされてこんなにも簡単に手の内に堕ちてきてしまった。一度ならず二度もね」
ロルロージュはゆっくりと近づいてきて、動けずにいる少女の額に手を置いた。
「どうすれば彼は強くなると思う?」
主はとても優しく微笑んでいる。愛する者を守るために当然のことをしているのだと信じている。
「強くなるためには試練を与えるのがいいわ。人は困難に遭遇した時に思いがけない力を発揮する。そうでしょう?」
ウーアは人間に対して色々な試行を施した。王を窮地に貶めたこともある。そういう時に有能な人間は力を発揮し苦難を乗り越える。
そうしてひとつ強くなる。
「だからライゼにあんなことをしたの?」
「あれくらいでへこたれるようではまだまだ足りない。それに頼まれたくらいで流されるような子にはなって欲しくないの。どうしてあの人はすぐに人のために動くのかしら。どうして他人なんかを『助けたい』と思うのかしら。もっと冷たく己の生にだけ貪欲で在って欲しいのに。そうしたら他人のために死んだりしないでしょう。どうしたらいいかしら?」
「主様はライゼをライゼじゃないモノにしたいの?」
「何を言っているのかしら。白竜の魂は永遠に白竜でしょう」
「白竜とライゼは違うよ」
「何が?」
ロルロージュは無邪気な少女のように邪気もなく首を傾げた。本当にライゼと白竜が同一であると認識しているのだ。その上でどんなにライゼの性格や思考を変えてしまっても同一視できるから、自分の手で好きなようにしようとしている。
「ライゼは主様が好き勝手にしていい存在じゃない」
「わたしが全てを握っているのに? わたしがいなくてはすぐに死んでしまうのに? お前だって白竜の命が真っ当に尽きてしまえばすぐに逢えなくなるのよ」
竜は永遠の命を持っていない。生きて死ぬ、神に賜られた生き物だ。呪われた魔女とも創られた少女とも違う。
「でもそれでも」
「寂しい気持ちを忘れたの?」
ずっとずっとひとりでいるのは寂しかった。ライゼがいるから待っていられた。いなくなったらウーアはひとりだ。ロルロージュはもっとひとりだ。
彼を知ってしまった今では堪えられるかわからなかった。
「ライゼと一緒にいたい……」
「共に在りたい存在を守るのは当然のことよ。二度と逢えない悲しみを知っているもの」
「でも、じゃあライゼを苦しめないで」
「ライゼは竜の王になるの。全てを統べる世界の王よ。強くなくてはならない。いくら楽園を築こうとも人は汚いから強き王がいなくては。だから鍛えているのよ」
「そんなのいらない! ここで幸せに暮らせばいい!」
「こんな何もない、牢獄のような場所で?」
美しい景観とは裏腹にここはロルロージュの怒りを閉じ込めるために創り出された庭だ。憎悪に満ちて、ともすれば魔女はすぐにでも焼き尽くしてしまう。彼がいるから美しく保っていられる優しい幻影のような場所。
白竜には見せられない昔とは変わってしまった現実だ。
「主様……」
憐れみを滲ませる少女に魔女は優美に微笑む。
「大丈夫よ」
ぱちん、と魔女は軽く指を弾く。
するとウーアの思考が微睡み、何も考えられなくなる。ロルロージュの指が優しく優しくウーアの髪を撫でていく。
「お前はただの道具。ライゼはあげない。白竜はわたしのものよ。ちゃんと覚えておきなさい」
そんなのいやだと訴えたいのに言葉も出ずに眠りのような無に押しやられる。
――ライゼ。わたしはずっと待ってる。あなたが再び目覚める時に、きっとわたしも。
魔女は白き庭園で幸せそうに竜の銀の髪を撫でて優しい唄を聴かせている。
※
荒野だった。砂埃と乾いた暑さ、それに全裸。
こんなところに放り出したロルロージュを呪ってやると思ったライゼは、しかし今度は全ての記憶を持っていることに安堵した。いや、『全て』かどうかはまだわからない。
だが魔女のことも自分のことも覚えている。
だから目覚めたことがまた新たな試練の始まりだろうという予想はできたのだが、いかんせん前回と展開が違う。
荒野のど真ん中に全裸で放置され誰もいない。周囲に町や城がある様子もない。
「だから俺にどうしろっていうんだ」
それとももう魔女は解放してくれたのだろうか。
ライゼは自分の胸を撫でた。傷はない。綺麗なものだ。
だが心臓の音はしなかった。そう簡単にあの女が解放してくれるわけはないか。
彼女は無事だろうか。竜は剣で貫いてくれた少女のこともちゃんと覚えていたことを嬉しく思った。
でも彼らがしようとしたことは結局意味を為さなかった。ロルロージュに打ち勝てなかった。
「とりあえずの目的は打倒魔女か。嫌になるな」
それにウーアを探さなければ。待つなと教えた少女はきっとライゼが死んだわけではないから待っているのだろう。
仕方ないな、と思う反面やはり嬉しい。
「ん? 待て。彼女がいないと俺はまた丸腰か。今はそれ以前の問題だけど!」
心底嫌になる。
「おい! ロルロージュ! どうせ視てるんだろ! 回りくどいことしないで出てこい! 叩きのめしてやる!」
「今のあなたではお出来になりませんので主様はいらっしゃいません」
後ろに忽然と現われた気配を確認するまでもなくライゼは振り向き駆け寄り、喜びのあまり抱き締めた。
「ウーア!」
吹き飛ばされた。
「いてえ! な、なんで!?」
「紳士たるもの淑女に全裸でいきなり抱きつくのは礼節に欠けるかと」
「それはそうだけど……」
よく見れば彼女は黒いウーアだ。髪も瞳も服も真っ黒で、それに気がつくとライゼは警戒した。黒いほう、しかも中身がライゼのウーアじゃない。ロルロージュの手先だ。
「ミニアウーアを出せ!」
「今回も短気を起こすとろくなことになりませんよ」
「いいからミニアウーアはどうした!」
黒ウーアはぽいと何かを放り投げた。
受け取ると金の懐中時計だった。竜の紋章の描かれた逆回りしかしない庭園の時計。
嫌な予感がした。 庭園の時計の役目はウーアがこなすものだ。
なのにどうして。 彼女は時計を見つめて動かない竜の顔面に服も投げつけた。
「ちょっと乱暴すぎないか!?」
人が考え事をしている時に、と頭に被ったシャツを毟り取り怒鳴りつける。
目の前に白い裾が広がった。
銀の髪がふわりと風に靡いて、まんまるの金色の瞳が細められた。
「いこう」
少女は微笑んで手を差し伸べる。
竜は迷うことなく手を取る。
「いっしょに」
魔女は千年かけて箱庭を創る。期限つきの試行のための作品。その中で何を試そうとも、どんな事態になろうとも魔女の気分次第だ。
様々な人間の生き死にがあって、時に争いと滅びを繰り返して、それでも人間は図太く生き残っていく。
『強く在りなさい』
それは竜にだけ向けられた願い。
そして竜は庭園を目指す。
再び困難を仕組まれようとも彼は進まねばならない。
魔女はいつか彼が庭園へ自ら訪れる時を待っていた。
『愛しているわ、白竜』
永遠に変わらぬ愛を抱いて。
その時には有限性を失くした罪深き彼らの罪は償われるのだと信じている。
<第一譚完>




