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4-10 穿つ、銀の閃光



 根源なる珠は竜の全て。それを支配するは竜を意のままに操るがごとし。

「ぐうっ、ぐあああっ」

「ライゼ!」

 心臓を握る魔女はライゼが変化する様を無感情に見守っていた。

 ライゼの意思が白濁としていく。怒り。憎しみ。いいや、もっと違う。ただの破壊衝動。竜が内に隠した血に飢えた本能。

 抑えられない。抵抗しようとするとロルロージュが心臓を握り締める。呪。黒い靄が心臓を取り巻いて締め上げる。死よりもひどい苦痛が竜を襲った。

「ウーア……」

 黒く鋭い爪が少女の肩を強く掴んだ。すがるように。あるいは遺してゆく者に願いを託すように。

 ライゼの金色の瞳がウーアの金色の瞳を見つめる。

 少女は泣き出してしまいそうに大きな瞳を震わせ、首を振った。ライゼに何か言える余裕はもうない。

 心が支配される。自分じゃなくなる。

 彼は襲いくる衝動と次に起こるだろう衝撃に備え、ウーアを突き飛ばした。

「ライゼ!」

 竜は瞳を瞬かせてうっすらと微笑み、そして自分の身体を掻き抱いて咆哮した。

 背中が割れ黒檀の翼がみしみしと音を立てて生えた。勢い良く羽ばたかせたそれは薄く頑丈な皮をしっかりとした骨格が支える翼竜が大切にしていた翼だ。

 変化は翼だけにとどまらない。裂けた服から見える肌はすでに黒く硬い鱗状で、もがき苦しむ彼の身体から尾が生え、振り乱す髪はたてがみに変わった。

 人の姿を捨てた竜は支配されたせいで苦しみながらも肉体を膨張させていく。暴れる尾が地面を叩きつけ、広場には簡単に罅が入った。

 ウーアはライゼがライゼではなくなる様子を哀しみに満ちた目で見ていた。これは彼女が引き止めることができない事態だ。彼の自我はもう魔女に支配され、竜が完全な竜になった時にはライゼの意思はなくなっている。

 薄れていく彼の思考に泣いてしまいそうになる。

 そんな少女などお構いなしに彼は声を轟かせ、この世にただひとりのまごうことなき竜となる。

 巨体を振り回し、彼であったとは思えないほどに暴れ、怒り狂った。

「白竜」

 誰かが呼んだ。もう少女と魔女しかいない。魔女は『それ』を白竜と呼ぶ。

 でもこの竜は美しく神聖だった神に愛されし白銀の竜ではなかった。

 漆黒。“闇”の色。艶やかに黒光りする鱗は美しいと形容できるものの、神に愛でられた白銀とは似ても似つかない。

 珠を奪われた竜の姿だ。命ともいえる珠を失くし、“闇”に染まる。魔女の呪い。

 だから彼の輝く銀髪も夜色に染まり、金色も失くした。

 竜ではあるが、彼は『正しい』竜ではない。

 歪に歪んで呪われ、魔に縛られた憐れな竜。逃れようともがけばもがくほどに苦痛が伴い、心が締めつけられていく。


『建国から千年と一の日。神の加護により豊かな土壌と澄んだ水、戦のない土地に暮らす者たちへの加護が失われる。王は消え、家々は崩れ去り、人々は闇と焔に覆われ、その役目を終えることとなる』


 この国の破滅の預言だ。こんなものもロルロージュの戯れだと覆してやるつもりでライゼはいた。

 だがこの預言こそが彼女が最初から結末を考えていたのだと裏付ける。

 魔女に創られたフルゲオクルスの神はロルロージュだ。王はライゼ。

 そして闇と焔をもたらすのは“闇”でも厄災でもなく、竜だ。

 暗黒の竜に成り果てたライゼはすでに塔を破壊し、城に火を噴いた。

 千年間見守り実験し試行した魔女の箱庭を最後の一日に彼に破壊させる。

 全てが計画通り。全部、全部、魔女の手の内にある。

 ウーアはライゼが大好きだ。同じくらいこの国が好きだった。

 少女は神代も古代フルゲオクルスも与えられた記憶の中でしか知らない。この箱庭の国と同じ速度で育った作り物なのだ。

 でもだからこそフルゲオクルスを誰よりも知っていて『好き』になった。好きとは大切に思うこと。守りたい。失いたくない。

 だからやらねばならない、と覚悟させる気持ち。

 ライゼの竜の瞳が悲しそうに瞬く。声はもう朧にしか聞こえない。支離滅裂な思考に支配されライゼの意識が遠い。

 だけど今度は彼が待っている。

 ウーアは暴れる竜の間を縫って駆ける。崩れかけた塔の端に転がっている剣目掛けて飛ぶように走る。

「身体能力強化」

 走る速度が上がる。

 防御力が強まる。

 彼がくれた竜の力を伴う溢れる神力がウーアを勇気づけた。

「腕力最大強化」

 むちゃくちゃな力の行使に渦巻く神力が彼女に纏わりつき、白い袖を切り裂いた。ウーアは顔を顰める。でも足は止めない。露わになったほっそりとした腕に真っ赤な魔法陣がびっしりと刻まれている。彼女の肉体には過ぎた魔力容量で身体中の筋肉や筋がびしびしと悲鳴を上げるように痛んだ。

 構うものか。

 たとえこの身が力に耐え切れず四散しようと「やる」と決めた。

 黒剣にあと少しで手が届きそうになった時、彼の尾がウーアの目の前に叩きつけられる。少女はくるりと身を翻し、ライゼではなく、宙に浮かんで見下ろしているロルロージュを睨みつけた。

「主様! ライゼを返して!」

「揃いも揃って同じことを言うのね。そろそろ呆れるわ。白竜はそんなにあちこちに手を出すような人じゃなかったのに」

「ライゼは主様の白竜じゃない!」

「お前のライゼでもないのよ。お前がなぜ創られたかよく考えてみなさい」

 ウーアは庭園の記録者。世界を識る者。

 ライゼをこのフルゲオクルスに堕とすための案内者。

 それ以上でもそれ以下でもなかった。

 でもウーアは変質した。人間と同じように人を愛して、竜と同じように世界を視た。

 ロルロージュは間違っている。

 これが主人に対する答えだ。叛逆心はウーアを内から痛めつける。ライゼは主人を裏切るなと言った。信じた者に裏切られる悲しさを知っているからだ。

 ウーアの竜の目でもロルロージュの心は読めない。魔法が介入を遮断する。

 それでも少女には魔女の気持ちがわかる気がした。ずっと一緒だった。一部だった。

「わたしは主様をひとりにしない! 寂しい気持ちはもういらない! 白竜を解放してあげて!」

「ふん。お前も思い上がりが過ぎるわよ。わたしはお前なんかいらない。ただの道具なの。欲しいのは白竜だけよ」

「でもこんなの白竜じゃない! ライゼの意思を奪って、それで満足するの!!」

「馬鹿ね。ここが終着点だとでも? こんなの始まりでしかない」

 白竜の、ライゼの苦痛は終わらない。ロルロージュは終わらせるつもりなど毛頭ない。

 ウーアの精一杯の心はロルロージュには至らぬものだ。裏切りにも値しない小さな抵抗。

 塔の端に引っ掛かり落ちていきそうな剣の元へと飛ぶ。ライゼが焔を吐いてウーアを攻撃するが彼女は障壁を放ち堪えた。

 あんなことを彼にさせてはいけない。優しい竜は心を痛める。何度も何度も悲しんで、それでも立ち上がる竜をウーアは支えることもできずに見ていることしかできなかった。助けたかった。彼がウーアを助けにきてくれた時のように。

 瓦礫に挟まって嵌まっている黒剣を力一杯引き抜く。強化の加減に慣れずに反動と剣の重みで転がるように宙を反転したウーアを竜の尾が捉え、遠慮なく地面に叩きつける。

「っあああ!!」

 いくら肉体強化魔法をかけているといっても塔の最上階から地上までを竜に叩きつけられて無事でいられるほど彼女の魔法は強力ではない。

「ライゼ……ごめんね、待って、いて」

 握り締めた剣は離さなかった。

「だいじょうぶ。わたしはやれる。あなたのために。あなたがいたから」

 どうして大好きになったのだろう。

 永い時を待つ間に焦がれる気持ちが膨れたせい? 白き竜の記憶があまりにも美しかったせい?

 きっと違う。

 ライゼだったから。

 ウーアを好きだと言って、助けると何の疑いもなく言ってしまえる彼だから。

 それは少し危機感がなくてウーアにしてみれば心配で仕方がなかった。手のひらで踊らされて、泣きながら、それでも何かを守りたがる男は純粋すぎる。

 けれど、だからこそウーアが役に立てるはずだ。

「わたしが手伝うと約束した」

 黒竜は焔の雨を降らせ、町をその巨体で薙払っていく。

 ロルロージュは滅びなど早く終わればいいとつまらなそうにしている。

 歪みを正すのはライゼの役目だと思った。彼が全ての始まりだから。

 だけど全てを識るウーアだってきっとやれる。魔女の一部でしかなくともウーアはウーアだった。

 反動をつけて思いきり飛んだ少女の魔法が竜を囲むように展開され、即座に白光に包まれる。轟音を伴う爆発の中心にいる竜は、少し苦しげな声を上げただけでウーアを金色の視界に入れ焔を吐いた。

 直撃したかに見えた。ウーアが焔に包まれた瞬間に中心地が爆発した。だがその爆発によって焔は周囲に飛び散り、中から少女が飛び出した。

 弾丸のように真っ直ぐ竜に向かって飛ぶ。黒い竜滅の剣を掲げ。

(ミニアウーア)

 金の瞳は最後に優しく瞬いたのだ。残虐な本能に塗り潰される前に少女を見つめて『言った』から。

(悪いな、頼むよ)

(いやだ、できない!)

(ごめんな)

 彼は笑って、そうして心は支配者に喰われた。

 大好きなひとを助ける。

 そのために自分も彼も滅びるしかないのだとしてもそれが救いになる。きっと。

 ウーアはロルロージュにそっくりな魂を持って生まれたけれど、ライゼを失っても魔女にはならない。

 だって彼が泣いてしまう。優しい竜が泣くのは一番悲しいことだ。

「ライゼ」

 大きな金の瞳が小さな少女を捉える。鋭い瞳孔が瞬間、丸くなった。

 待っている。

 待ってくれている。

「すぐに終わらせるよ」

 言葉の通り少女は一切の迷いもなく、竜の空っぽの肉体を貫いた。人間でも、竜でもないから決めたことを言葉の通りに実行できる。機械的に試行するよう創られたウーアなのだ。

 でも今はもっと強い感情に突き動かされている。

 人間でも、竜でもあるから。

 心臓のあった場所に剣を突き立て、そのまま力の限りに進む。一筋の銀の光が黒い竜を穿つ。

 彼の咆哮が国中を覆う。黒い血の雨が降り注ぐ。

 真っ黒な血に塗れたウーアは貫いた竜の穴を振り返る。心臓は元々ない。どうなるのかわからなかった。竜滅剣は効いているようには見える。

 苦しんでいる。この剣で貫かれるのはどれほどの苦痛を伴うのだろう。

 謝りたい。治癒してあげたい。

 でもできない。黙ったまま竜の咆哮を聞いた。

 竜は天を仰いだまま動きを止めた。

 堅牢な肉体にぽっかりと空いた穴から空が見えた。

 ロルロージュが空に立っている。

 ゆらりと手を翳す姿がひどくゆっくりと映った。

 主様、やめて。

 声を出そうとした。

 それは叶わなかった。

 眩い光が世界を埋め尽くし、白一色になってしまった視界の中でウーアは必死にライゼを探して――――そこで彼女の記憶は断絶した。


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