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4-9 さようなら



 ライゼが広場の反対側の柱に激突して破壊してもウーアが金切声を上げることも助けにくることもなかった。

 竜はこれしきのことで倒れたりはしないが、いかんせんライゼは中途半端だ。せっかくウーアが治した身体ももう傷だらけだ。

「くっそ……」

 瓦礫の中から身体を起こしすぐに体勢を整えようとする。追撃が即座にくると思ったのだ。

 だが砂埃の合間から見えた紅い衣は佇んでいるだけだった。

 ロルロージュは本気を出さない。

「なんでだよ……」

 確かに今の状態で本気を出されては勝ち目はなくなる。魔女はライゼなど瞬殺できるのだ。

 それをしない理由がどうしても脳裏をよぎる。

“愛しているわ、白竜”

「くそ! くそ、くそが!!」

 視界が晴れる前に煙に身を隠し、彼がくるのを待ち構えているロルロージュの背後に突撃する。

「だから、あなたのよくないところはすぐに頭に血が上るところよ」

 左手を翳した魔女は飛びかかろうとするライゼを魔法で弾き返す。

「もっと上手く気配を隠しなさい」

 反撃を予想しなかったわけじゃない。身を翻し着地するとすぐさま攻撃に移る。

 薙払われた剣を頭上すれすれでかわし、滑り込むようにして彼女の足元を斬りつけた。魔女は声は上げなかったものの膝をついて、ライゼはその背に向けて剣を振り翳す。

「ライゼ……」

 絞り出された悲しそうな声に、躊躇した。してしまった。

 瞬間、障壁に剣は弾かれ、ライゼ自身も魔法で吹き飛ばされる。

「情けを捨てなさい。愛なんて忘れなさい」

「ロルロージュ! これは何の茶番だ! 殺したいのなら本気を出せ! 殺したくないのならもうやめよう!」

「わたしはあなたを待っている」

「待つ? どういう意味だ!」

 彼女は愛しいものを愛でるような視線を向けながら、天上へ手を掲げ躊躇なく振り下ろした。電流を帯びた槍が無数に降り注ぐ。

 とっさに剣に力を込め振り払う。すると今までにない斬撃の波動が稲妻を弾き掻き消した。

「いい子ね、あなたは強くなくてはならない」

「お前を殺すためか!」

「あなたは甘い。そんな優しさはいらない。冷徹に生きなさい」

「そんなこと言われても、知るか! 俺は俺だ! 何を思おうとお前が口を出すことじゃない」

「そう」

 魔女の瞳にはもう微塵も慈愛の光などない。飛ぶようにライゼの懐に入ってきたと思ったら交互に双剣を振るい、防御が追いつかぬ竜の肉体は斬り刻まれていく。

 しかもこれは、竜滅の剣だ。

 一気に力が奪われ膝をつきそうになる。それでも踏ん張って黒剣を魔女に突き立てようとする。

 一分の隙もなく魔法でかわされ、剣技をお見舞いされた。

「甘いことを考えているから痛い目を見るのよ。痛いのは嫌でしょう? 死にたくないでしょう?」

「っ、ロルロージュ……!」

 竜が呻くと魔女は憐憫を滲ませ、後ろに飛んで攻撃の手を休めた。

 また手加減されているのだ。

 と思ったが、彼女は顔を逸らして覆った。

「あなた……なんていうかずるいわね」

「何がだ……」

 ふらふらと立ち上がって顔を濡らした血を乱暴に拭う。

「その目よ、その目! 竜の目じゃないくせになんて目をするのよ。あの子たちが抉りたいって言った気持ちがわかっちゃったじゃない!」

「……またそれか。意味わかんないんだよ、それ。気分悪い」

 しかも竜の目がないのは誰のせいだとも言いたくなる。

「その加虐性を煽る感じ! やめなさいよ!」

「加虐性……? お前たち揃いも揃って変態すぎるんだよ」

「あなたがそうさせてるんじゃない」

「俺のせいかよ」

 なら存分にその加虐性とやらを発揮すればいいじゃないか。ライゼは何度吹き飛ばされても剣を突き立てられようとも諦めることなく魔女に向かう。

 なんとなくではあるが彼女の攻撃のパターンも読めてきた。剣はあまり得意ではないらしくとっさに出るのは魔法だ。防御は特に苦手なようでそれが顕著だ。

 だからといって剣技に隙があるかと言えばそうでもないのが問題だ。双剣が厄介だった。ライゼの大振りの剣では不可能な小回りを利かせてくる。

 それでも二人の動きは剣を交えるほどに洗練されていった。ライゼにロルロージュが合わせていると踏まえると彼の動きが良くなってきているのだ。


 そしてとうとうその時がきた。

 ライゼの剣が魔女を捉える。

 彼に伸ばされた左腕。魔力が集中して魔法陣が展開される。

 だが魔法は発動されなかった。

 目の前に細い腕が舞う。二の腕から切断された腕の返り血が頬に飛び散る。魔女の血も赤いのだな、と遠くで思った。

 滴る血液が白い地面を濡らす。

「ふふ……」

 腕を押さえたロルロージュはふらつきながら後退る。だけど笑みが浮かんでいて追撃できないでいる。

「ライゼ!!」

 それを一喝したのはウーアだった。傍観を決めるつもりでいるのかと思った彼女はそうではなかった。準備していた。待っていた。

 ロルロージュの腕から滴り落ちる血が地面に染み込む。

 否、金色の魔法陣が足元を支配している。魔女の血を含み、力が強化される。彼女自身の力を縛る。

 魔法陣を紅い光がなぞっていき、血の槍が地面から勢いよく生えロルロージュの肢体を貫いた。膝をついて、身動きできない魔女は目の前に立つライゼを見上げ、それでもやっぱり彼を愛しげに見つめ微笑んでいた。

 待っている。殺されるのを。

 ライゼは彼女を殺さなければならないという事実に囚われていた。

「ロルロージュ、何か言うことはあるか」

「そういう甘さを捨てなさいって言ってるのに、わからない子ね」

「俺は多分……そんなやつにはなれないよ」

「まだまだダメね。いいわ、おいで」

 美しい魔女は腕を失くしても、身体を貫かれても泣き言ひとつも言わずに覚悟をした。

 だからライゼも覚悟する。ここにきてから何度も『救うため』と人々を滅してきた。

 同じだろう。同じだ。

 そう思わなければやれない。考えたら迷う。いや、考えなくとも迷っていた。

 だからそれ以上迷わないように目を閉じて息を深く吸って吐き出した。

 目を開けた時に視界を支配した紅い瞳を見つめたまま、ロルロージュの躯を黒剣で貫いた。

 鈍い感触。身体が跳ねて、血を吐いて、瞳に生気がなくなっていく。そして人は死ぬ。


「わたし死なないのよ」


 想像していた光景とはまるで違った。

 ロルロージュは黒剣で貫かれたまま、少しだけ眉を下げて微笑を浮かべた。

「俺ならお前を殺せるんじゃないのか……?」

「思い上がらないで。わたしがあなたに殺されたがっているとでも思ったの?」

「違う、のか?」

「当たり前じゃない」

「じゃあ、なんで……」

 ライゼは足元をふらつかせ、ロルロージュの肉を貫通させている剣を抜こうと腕を引く。こんな、普通じゃない状況でいたくなかった。

 だがそれは許されなかった。

 彼女が剣身を握り締めている。

「愛しているわ、ライゼ」

 名を呼ばれることに既視感を覚えた。

 炎に包まれた月夜に魔女は紅い髪を揺らめかせ、傷ついて泣く竜の王子を慰めようと優しい言葉をかけた。

 まるで今のように。

 そして。

「さようなら、わたしの王」 

 自由を奪ったと思っていた、思わされていた右手があの日のように、そう、あの時と同じようにライゼの心臓がある場所を貫いた。

 白い腕が赤く染まる。

 それは異様な光景だった。魔女の腕が自分を貫いている。でも見下ろす彼女の身体も剣に貫かれていた。

 ライゼは反射的に身体を震わせ、怯え、剣を手放し、自分の胸を押さえた。痛みはある。血も溢れて耳鳴りがする。

 竜は二歩ほど後ろによろめき膝をついた。そのままロルロージュは手を抜いて、刺さったままの剣も自分で抜いて地面に捨てた。魔女は自分の腹をひと撫ですると傷をいとも簡単に消してしまう。

 何が起こったのか理解できないままに彼女を見上げている竜を放ったらかして、切断された腕を取りにいき、何でもないことのように切断面にあてがうと元通りにくっつけた。

「ライゼ!」

 ウーアの魔法拘束など結局魔女に敵わないのだ。事の次第に茫然としてしまっていた少女は我に返ると悲鳴にも似た声を上げて竜に寄り添った。

「主様……どうして」

「どうもこうもないわよ。思い出した?」

「あ……ああ……」

 彼は自分の胸にぽっかりと空いた穴を気味悪く思った。滴る血はとめどないのに、痛みはあるのに、一向に死ぬ気配のない肉体。

『不滅なる肉体を持つ、滅びし竜の国の王』

 こんな預言は今となってはロルロージュが創った紛い物だとわかる。竜は決して不滅の肉体などではない。だから白竜は死んだのだし、ライゼとて。

「俺の心臓をどうした」

「あら、だんだん理解が早くなってきたわね」

「ふざけるな」

 思い出したくもない。レガリアを殺した夜。ライゼもまた『死んだ』と思っていた。

 この目の前の女に詰め寄って今と同じように心臓をひと突きにされ殺されたのだ。

 だからそこから記憶がなかった。

 あの夜は全ての竜が死に絶え、フルゲオクルスは竜の国ではなくなった。

 あそこでライゼは『終わった』はずだった。

 なのに生きている?

 いや、この状態は果たして生きているなどと言えるのか。

「ここまでね。あなたはまだまだ可愛い甘ちゃんよ。それではダメ。わたしを刺したくらいで油断するなんて本当にダメ」

「ロルロージュ!」

 振り向いた彼女はライゼを貫いた指で今度は自分の身体に指を沈み込ませる。

 驚きはしない。彼女はもうライゼの知るロルロージュではないただの気が狂った魔女だ。

 魔女の指は何かを掴むとするりと指を抜いた。握られているのは彼女の拳よりも少しばかり大きな――心臓。脈打つ心臓はシャオムの手の中にあった王女のものを想起させたが、これは紛れもない竜珠だ。

 黄金にも紅にもうっすらと輝く生きた珠。あれが竜の心臓で、竜の全て。

「俺の心臓か」

「そうよ。これがないからあなたの竜の力は中途半端なの。珠は竜の全て。あなたの全てはわたしが握っている」

 禍々しく唇を歪ませた女は握っている心臓に少しだけ力を込める。

「っ……!?」

 穴が空いた肉体が痛むよりも激しい痛みが胸に襲う。息ができない。逃れようと掻き毟りいっそ殺してくれとまで思う苦痛にライゼは呻いた。まるで獣だ。

「ライゼ……?」

 答えられない竜はウーアの心配そうに瞬いた金色の瞳をじっと見つめる。みるみる少女は泣き出してしまいそうになる。

「わたしが全てを握っている、という意味がわかったでしょう。最初からあなたに勝ち目なんかないの。何もかもを終わらせたいのなら、この珠を取り返せるくらい強くなりなさい。ライゼ」

 魔女は宙に浮かび上がり、珠に力をさらに込める。

「主様、やめて!!」

「ミニアウーア、あなたがどんなにライゼを好きでもこれはわたしのものなのよ。手を出したいなら出せばいいけど、結局何の意味もない」

「そんなこと、ない!」

「そう? でもほら、ごらんなさい」

 ウーアの隣にいるライゼは獣のように喉を鳴らし、いつの間にか伸びた黒い竜の爪で自分の身体を掻き毟り、少女を睨みつけた瞳は冷たい光を帯びた金色だった。


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