4-8 格好くらいつけてやる
映し出されていた魔女の記憶が揺らいで消えていく。彼女は全てを視られてもライゼとウーアを冷めた目で見下ろしていた。
ライゼのほうが動揺を隠せずにいた。
自分はロルロージュに愛されていた?
あまりにも深く罪深い愛情は誰に向けられていたものだったのか考えると混乱した。ライゼが白竜だったから。白竜とライゼは同一なのか。
違う。どんなにあれがライゼの生まれる前からの過去であってもあれはライゼの人生ではない。ライゼは白竜じゃない。
「ロルロージュ」
「なあに、白竜」
「俺はライゼ・アインザームカイトだ」
「そうね」
「もう俺に固執するのはやめるんだ」
「名前が違うから? 記憶がないから? そんなのどうでもいいの。あなたはわたしの白竜」
「ロルロージュ」
彼は小さく首を振る。
「お前の白竜はもういない。俺はお前の白竜にはなれない。お前だってわかってるんだろ。そうやって固執するのが神と同じだとは思わないのか。縛りつけて、手の内に置いて、それでどうするんだ」
「あの子とは違う。わたしはあなたにもう何と思われても構わないの。憎まれようが、敵対しようが……」
彼女の紅い瞳に熱情が宿る。ライゼはそれを見ると心苦しくなった。
愛している?
愛していた?
もうそんな感情では収まり切らない関係になってしまった。
「レガリアを嵌めたのはお前か」
魔女は答えない。
「何が目的でこの国を創ったんだ。神を憎んだお前がなぜこんな神話を模した国を創る必要があった」
「あなたのため」
「俺のフルゲオクルスを滅ぼす必要があったのか。このフルゲオクルスを滅ぼす意味がどこにある。お前は何をしてるんだ!」
眉を顰めて彼女は泣いてしまいそうに笑んだ。ライゼには見せたことのない顔。
でも白竜を想う時の何かを堪える表情だ。
「全部全部あなたのためよ。理解は必要ない。さあ、わたしを殺したいのなら殺しにきなさい。あなたにできるかしら。無力な子よ」
過去を識ったとてできるのは今のためのものだけだ。過ぎ去りし過去は戻らない。
彼女の白竜も。ライゼの弟も。
後悔と哀しみと憎しみと、深い深い愛情ばかりを積み上げていく。
「ライゼ」
戦意を喪失してしまっていたライゼの手を引くのはウーアだ。
「主様を助けてあげて」
「助ける?」
「主様はもうずっとひとりぼっち。主様の時間は止まったまま。無限の時を生きていくのは人間にはつらいこと」
自分が創ったものにまるで憐れみとも取れる言葉を呈された魔女は声を上げて笑う。
「わたしがつらそうに見える? ミニアウーアも同じでしょう」
「同じじゃない。わたしの存在は主様が消すこともできる。それに自分を壊すことも可能だと解釈している」
ロルロージュはとても優しく笑んでいた。慈愛に溢れる母のように。自壊できる。それはもしかして死ぬことのできぬ彼女なりの優しさなのだろうか。
「ウーア、自分で自分を壊すとか言うな」
「ライゼがいるから壊さない」
「俺がいなくなっても壊すな」
もしライゼが死んだ時に白竜を喪ったロルロージュのようになってしまったらそれは悲しいことだ。なら白竜だってロルロージュがこんなことを続けるのは望まないはずで、それを止めるのは白竜の魂を持つらしい自分の役目なのだろう。
「ライゼは待っていたら戻ってくる」
それはたとえ肉体も記憶も存在も変えても魂は廻ってくるという意味なのか。きっと彼女たちは彼の魂しか残っていなくてもずっとずっと待つのだろう。
「ウーア。いいか、俺が死んでも待つな」
「わたしはあなたを待つのが仕事」
「それはロルロージュに与えられた使命だろ。俺を待つな。魂が同じだとしてもだ。縛られるな。自由に生きろ。ウーアは人間が好きだろう。たくさん好きな人を作るんだ」
「でも」
「いいから。約束してくれ」
彼女らしくはない不満そうな表情でぷるぷると首を振る。
ロルロージュを見上げればウーアの反応は当然だとでも言いたげだ。ウーアはロルロージュの一部からできている。似てしまうのは当たり前なのかもしれない。
「ロルロージュ。もし俺が死んだらウーアのことは頼む」
「いいわよ。反抗期の娘は厳しく躾なくちゃならないし」
そんな約束を取りつけたらウーアがライゼの手をこれでもかと握り潰した。
「痛っ、痛いだろ!」
腕力強化で竜染みた力をぎりぎりと込めてくる金色の瞳を覗けば完全に怒っている。
「負ける気でいると負ける。ライゼは勝って主様を助ける! とてもかっこよく!! そしてウーアと生殖行動する!」
「………………とりあえず始めようか」
とはいえライゼの武器はこの拳のみだ。それも竜の力もなく、中途半端に丈夫な肉体しかない。これでどうロルロージュに勝つというのか。
負けてやる気はなくとも勝機が見えないからこその約束なのだ。ライゼが死んだあとのことにロルロージュが責任を持つとも思えないが、ウーアだけは彼女にとっても特別だろう。
そんなライゼの気持ちを読み取った少女は彼の手を放し、数歩下がって微笑んだ。
「ライゼ。剣を呼んで。わたしは庭園と繋がっている」
壊れた時計の代わりにウーアが鞘となる。
竜滅の剣で魔女を倒せるだろうか。あれはロルロージュがくれたものだ。竜の血で創られた忌まれし黒き刃。竜滅の力は彼女には効かない。あとはライゼの力量でやるしかない。
ロルロージュを救う。
誰かを救う手段が殺すしかないのは嫌なものだ。それが本当に救いになったのかはライゼにはわからないままなのだ。
最期にはみんな「死にたくない」と言って泣きながら死んでゆくのだから。
本当にろくでもない人生だ。ライゼは自分の人生だけでなく、大昔の魂の人生まで背負わされた。知らなければそれで済んでいたのに、知ってしまったから捨ててしまうわけにもいかなくなった。
まあいいさ。
逃げ腰でいた竜は、いざとなればいつも立ち向かっていた。戦場にいかねばならなければ戦果を上げたし、弟を討たねばならなければ手を下した。きっと国が滅びず玉座が転がり込んできたらライゼは王だったのだろう。立派な王かはわからない。でも民を愛することはできた。それでいいんだ。
この国でもそうだった。王にと求められたからここまできた。
逃げたくても逃げない人生だったじゃないか。
「嫌になるな、俺はあの白竜みたいに立派な志しなんかないのに」
それでも誰かが求めている。
格好よく助けろだなんて無茶を言う。
でもウーアはライゼを信じている。
そして多分、ロルロージュも待っている。
だから格好くらいつけてやる。
ウーアに向けて手を差し伸べる。
「闇より出でし王のしもべよ!」
言った途端にウーアが目を輝かせた。こういうのが好きなのは実は彼女なんじゃないか。一体誰の影響なんだ。
「我が血の盟約に従い姿を現せ!」
少女の金色が瞬き輝く。どこか嬉しそうに両手を大きく広げ身体を逸らした。そして腹に手を翳す。黄金色の円形魔法陣が展開される。
黒い剣の柄が魔法陣の中心、少女の腹から現われ、それを彼は掴み取ると一気に引き抜いた。
ウーアは庭園の時計だから心配など不要だ。
でもできるなら懐中時計のほうが安心だと思って苦笑する。毎回これではさすがに心配する。
そんな心配もよそに腹から剣を現出させた少女はライゼが『かっこよく』剣を求めたことに満足したらしく、剣を構えた彼にグッ! と親指を立ててみせた。
自我を確固たるものにしてからおかしさに拍車がかかったかもしれない。
でも彼女が喜ぶのなら格好つけてみるのも悪くはない。
ところがロルロージュはそうではなかった。
前触れもなくライゼの目の前に稲妻が走り、足元を焦がした。
「ちょっと、わたしの目の前でいちゃつくとかいい度胸ね。さっさと殺してあげるから早くきなさい」
指先ひとつで雷を操った魔女は不満そうに二人を見下ろしながら、宙に立ち上がり何かを考えているらしい。
「といっても今のあなたじゃわたしに届くこともできないものね」
高みの見物を続けていた魔女は気が変わったらしく真っ直ぐに降りてきた。ふわりと服の裾に風を孕ませて爪先から降り立つ姿はやはり美しい、とライゼは思ってしまう。
好きだったのだ。
今は――どうだろう。
彼は頭を振って余計な思考を振り飛ばした。考えれば動けなくなる。何が最善か考えろ。
魔女はライゼの迷いすら見透かしているような笑みを浮かべながら、両手を軽く構えた。赤黒い炎が手元に渦巻き、彼女の手の中で形作る。
剣だ。優美な曲線を描いた短刀がふた振り。赤と黒の調和が彼女によく似合う。それに鞘もなくむき出しの刃が鋭いところも。
「おいで。遊んであげるわ」
「俺は遊んでやるつもりは、ない!」
一気に距離を詰め、長剣を叩きつける。双剣はそれを真っ向から受け止めた。
「あなたはいつも真剣だったものね。そういうところが好きよ」
動揺させようとしている。紅い目が熱情を孕んでライゼを見つめる。
「なるほど。お前の白竜はそういう男だったのか?」
言い返してやれば魔女のほうがあからさまに嫌な顔をした。その瞬間にライゼは剣を薙払い、ロルロージュが体勢を崩して後退したところを突いた。
だが彼の剣は届かない。
交差された双剣に重なるように魔法陣が現われ、ライゼに向けて光線が撃ち出される。
「どうしてこう魔法使いってのは真っ当な試合をしてくれないんだ!」
竜はとっさに身体を逸らし、片手を地面について後転して避けた。
「ライゼ! かっこいい!」
なぜかウーアは援護もせずに応援している。
「ああ、ああ! ありがとよ!」
やけくそな竜に魔女は魔法も織り交ぜ、俊敏に剣を左右から繰り出した。
「これは試合ではないもの。ただの殺し合いに卑怯も何もないのよ」
「なら、本気を出せばいいだろうが!」
「まだ本気なんて出せないわ」
遊んでいるから?
竜が弱いから?
死なせたくないから?
どんな理由であれロルロージュはまだライゼを手の内で踊らせているだけだ。
どうすれば油断を誘える。彼女の気を引ける。
消耗戦には持ち込めない。どう考えても分が悪い。
右、左。打ち込む刃を彼女は美しい紅い髪をなびかせながら確実に受け止め、受け流していく。足取りは軽いステップを踏む、踊り子のように。
「お前、昔から剣なんて使えたのか?」
「練習したのよ」
「白竜に習った?」
「いいえ。あなたのために」
「俺の?」
無駄口を叩くなとばかりに短刀が器用に振り回され、ライゼの長剣を絡めて隙あらば弾き飛ばそうとする。竜とてそう何度もやられてやりはしない。
腕が持っていかれそうになる前に空いたほうの手で彼女目掛けて掌底を放つ。ロルロージュに届く前に障壁で遮られてしまうが、ライゼもすぐに体勢を整え次の一手を打つ。
「そうよ。もっともっと強くなりなさい、ライゼ」
包み込んでくれる風のような声音に思わず顔を上げた瞬間に優しい笑みが見えて――彼は爆風に吹き飛ばされた。




