番外:日常の中にある深淵
庭園のウーアは庭園と繋がっている。
本来はミニアウーアは庭園から全てを視るだけでいい。黒ウーアと称されたウーアの一部はミニアウーアの意識共有体だ。普段はいわゆる省エネモードで各地をうろついている状況とでもいうのか。いつもロルロージュの支配で動いているわけではない。彼女たちは記録された行動原理を元に世界の記録を淡々とこなす。
ただミニアウーアはよくフルゲオクルスに直接下りていた。この国は特別だから、とウーアは言うだろう。
そういう事実からすでにロルロージュの手から離れる兆候にあったのを魔女は知っていたのだろうか。
ある時、フルゲオクルスから戻ったウーアは主人を探していた。
「主様」
「なあに」
呼べばどこからか紅い魔女はやってきた。少し気怠そうにしているから何かひと仕事終えてきたのだろう。
疲労している主人にウーアはフルゲオクルスから持ってきたまんじゅうを渡した。
「疲労回復」
「あら、どうしたのこれ」
「リベロがくれた」
「リベロ? ああ、フルゲオクルスの王ね。最近あの国はどう?」
「安定している。これといった危機はない。一部謀反を企てた人間がいたけどリベロが上手く処理していた」
「ああ、そう。とりあえずそのままでいいわ」
さして興味もなさそうに報告を聞いたロルロージュはまんじゅうをひと囓りだけして、残りをウーアに押し返した。
「もういらない?」
「ええ、美味しかったわ。ありがとう」
ふわあ、と細い指を添えて欠伸をしている。
「主様、お願いがある」
「珍しいわね、何か困ったことでもあったの?」
ぷるぷる首を振ったウーアはまんじゅうを指した。
「これを作れるようになりたい」
「え? これって、このおまんじゅうのこと?」
「うん。リベロに食べさせてあげたい」
さすがにこれにはロルロージュも驚いたようで「え、これを?」ともう一度聞いた。まさかウーアが人間に対して何かを施したいと言うとは思わなかったのだ。
途端に難しい顔をした主人の様子を察したウーアは多少肩を落としたが、彼女に逆らうつもりはないので「無理ならいい」とすぐに撤回して仕事に戻るつもりでいた。
「待ちなさい」
「はい」
「今日は疲れたから明日ね」
「わかりました」
そう言ってロルロージュは固い表情で何かを考え込んだまま庭園を歩いて向こうに消えていった。
ウーアは主人の答えにがっかりしていた。あれは子供に使う大人の都合だ。「また今度」と言いながら忙しさにかまけているうちに約束は流れる。という人間の家庭事情もウーアの中にかなりの量の記録が蓄積されていた。
「王宮で練習したら怒られるかな」
だがウーアの心配は杞憂だった。
次の日、庭園にやってきたウーアの前に広がっていたのはとても立派な小屋が白い花の中にぽつんとある光景だった。
「ミニアウーア、約束通り創っておいたわよ」
小屋の中から出てきたロルロージュはエプロン姿の上、物凄いドヤ顔だった。無表情で立ち尽くすウーアをぐいぐい引っ張り中へと促す。
綺麗で豪華なキッチンである。大理石の大きな調理台が真ん中に。数種類のかまどと調理場があり、深鍋平鍋も大小揃え、王宮の厨房にも劣らない設備だった。見たこともない魔法道具まであるし、食材も調味料もきっちり揃えてある。
「主様すごい!」
「そうでしょう、そうでしょう! さあ、作るわよ」
「はい!」
ウーアはまんじゅうの作り方を知らなかった。成分だけは記録してあるが細かい手順を知らない。なぜならリベロが自分で作ったわけではないからだ。
でもロルロージュに材料を言ったら、意外なことに――間髪を入れず「失礼ね!」と言われたが、なんと手際よくまんじゅうを作ってくれた。ウーアにも丁寧に記録させながら。
「昔はよくこういうの作ったのよ」
そう言った横顔はどこか寂しげだった。
魔女は昔、人間だった。その時の記憶がそうさせるのだけど、この時のウーアには人間の機微を理解するのは難しかった。
「主様も今度から一緒にまんじゅう食べる?」
それでも何となくこの魔女をひとりにしてはいけないと感じたのだろう。色んなことをよく理解しないままこんなことを口走った。
「何言ってるのこの子は。わたしがそんなことするわけないでしょう。お前もあまり人間に心を許してはダメよ、いいわね」
「……はい」
魔女は自分がどんなに歪んでいびつで憎悪と悲哀に満ちていることを時々忘れてしまう。忘れて普通の人間のようになってしまうのではなく、おかしい自分こそが当たり前でいびつさに何の疑問も持たなくなるのだ。
永い間ひとりで居過ぎた。白竜が愛した優しい黒髪のロルロージュはもういない。
それでも彼女は願う。あの幸せだった日々に戻りたいと。
「ほら、包んであげるからいきなさい」
「主様、ありがとう。また一緒にまんじゅう作る」
「だから嫌よ。次からはウーアでも使って自分で作りなさい」
「…………はい」
「何よ、その不満そうな目は。わたしはお前の母親じゃないのよ。お前はひとりで何でもできるでしょう。返事は歯切れよくしなさい」
「はい」
「じゃあね」
ひらひらと手を振った魔女は気まぐれな猫のようにふらりと空間を歪めて消えてしまった。自分で作ったまんじゅうをひとつも食べることもなく。
ウーアはほかほかのまんじゅうをじっと見つめ、言い様のないざわめきを抱くとその感情が理解できずに首を振り、少女もまた小屋を後にした。
「ということで作ってみました」
「君の主は大丈夫なのか」
王はロルロージュが作ったまんじゅうを頬張って間髪を入れずに「美味だ!」と言った。
「主様は大丈夫です」
「わかってないだろう。君の話を聞いていると不安になるよ。もう少し気遣ってやりなさい」
「気遣う」
二つめのまんじゅうを囓りながらリベロはウーアに答えてやろうとして、しかし軽く首を振った。
「機会があれば王宮に連れてくるといい。会ってみたい」
「主様は興味ないと思います」
「仮にも一国の王の誘いなんだがな」
ウーアは何も答えなかった。ロルロージュは白竜にしか興味がない。人間の王になど会う気はないのだ。
「ふうむ。まあいいよ。じゃあ君の主様にもうちょっと生地はふわふわもちもちにしたほうが好みだと伝えておいてくれ」
「王よ。それは命知らずです」
「君みたいに小言でも言うのかい」
「消されます。物理的に」
「…………」
ウーアの真っ黒な瞳に底知れなさが浮かび上がり、まるで冗談に思えず王は苦笑した。
それからミニアウーアは庭園でまんじゅうを作ってリベロに持っていくことを繰り返した。巫女としての役目が忙しい時は庭園の黒ウーアが作り、ミニアウーアの呼び出しに応じ供給された。いつしかまんじゅうはいつでも取り出せるようになった。
「今日は中身を変えてみました」
「ふむふむ。何を入れたのかな」
ウーアが答える前にリベロは躊躇なく囓る。
「虹色鯉の活け作り蜂蜜漬です」
「ぶほっ!!」
「前にあなたが好物だと言っていたのを記録した」
なぜ王がまんじゅうを吹き出したのか理解できずにウーアは首を傾げている。苦々しい表情になってしまったリベロは、それでもこのどこかずれている少女に丁寧に説明してやる。
「活け作りはまんじゅうに入れるものじゃない。生臭さが倍増だ。確かに両方とも好物だけど混ぜるとは……。それに私が好きなのは葡萄の蜂蜜漬だよ。何でもいいわけじゃないんだ。わかるかい」
「理解した。これは失敗です」
「失敗ついでに自分で食べてごらん。作ったものは人に食べさせる前に味見するように」
「了解しました」
リベロの反応を見たにもかかわらず戸惑いもなく頬張った少女の顔が珍しく青ざめたのは言うまでもない。
「……これは、口の中に鯉という鯉を詰め込まれた挙げ句に囓ってしまったが最後……粘着質な生臭い蜂蜜が粘液という粘液を犯していくような……なのにぱさぱさのパンが喉を通すことを許さず……いっそ殺してくれと懇願せざるを得ない……」
「不味さの実況はやめて欲しい」
そうやって時々強烈なものを食べさせたりもしたが、二人は限りある時間をそうとは思わず当たり前のように過ごした。
いつか訪れる別れをウーアは正しく理解していない。それを王はわかっていたけれど、悲しみを教えてやるのは心が痛んで穏やかな日常だけをウーアに与えていた。
そしてウーアは気づかぬままに『楽しい』と記憶している。
魔女はそんなミニアウーアの変化を本当は知っていた。わかっていて放置した。
少女がフルゲオクルスの王を「リベロ」と呼ぶようになってから彼の影響がウーアに与えるものを考えると好ましくないという結論が出ていた。それなのにウーアを『修正』もせず、リベロを消してしまうこともなかった。
「わたしも甘いのかしらね」
ロルロージュが失くしてしまった人間性。それをウーアは人間と接する間に何度も発現させてきた。そのたびに今までは修正していたのだ。
愚かな人間性など不要だ。浅はかな感情は身を滅ぼす原因にしかならない。
なのに何度消し去ってもミニアウーアは人間性を取り戻す。まるでロルロージュの代わりに人間で在ろうとしているように。
そこに感傷など持ちたくなかった。
ロルロージュにこそ感情など必要ない。
だけどミニアウーアの感情を消すのをやめた。他人に施したいという少女に小屋を与えた。少女が人間の王と親しくするのを放置した。
ロルロージュが創った紛い物の竜人が何者になるのか。魔女は自分の片割れが自分とライゼに何をもたらすのか知りたくなった。
不穏分子でしかない。叛逆も裏切りも目に見えている。
なのにミニアウーアを消してしまおうとは思わなくなった。
魔女はきっともう疲れ果てている。壊れたままでいるのは自分で気づかないまま疲弊していくのだ。
壊して欲しい。
この無意味な楽園と果てしない生を。
自分で自分を壊せぬ魔女は、だから不穏分子になり得る存在をライゼの傍に置き続けた。
わたしが殺されたがっている?
まさか。馬鹿なことを言わないで、と魔女は否定する。
彼女は白竜と自分のために生き続けている。そう思うからロルロージュで居続けられる。
認めてしまったら、それはもう破壊を求める魔女でしかなくなる。死にたがりの魔女が愛する竜に殺されるのを待つだけの話。
そうじゃない。そうじゃないの。
白竜、はやく。
叫び出したくなる激情を抑えるために魔女は楽園を焼いた。繰り返される破壊は心を無関心に落ち着かせる。それはよくない薬を少しずつ少しずつ染み込ませ深いところに浸透していく様とよく似ている。
愛しているの。逢いたいの。
そんな感情だけを大事にしまって庭園の魔女は無感情に全てを見下ろしていく。
全ては終わった過去であり、まだ何も始まっていない未来だった。
一旦ここで完結とさせて頂きます。
最後までご覧頂きありがとうございました!




