4-5 神と竜と女
ライゼによく似た、しかし彼よりも精悍な顔つきの青年がいた。髪は銀、鋭い瞳孔を持つ瞳は金。聞かなくともあれが白竜なのは明白だった。
詰め襟の白い服をきっちりと着込み、黒いマントをなびかせている男はこの格好のようにはっきりとした性格のようだ。寸分狂わぬ歩幅で迅速に白い廊下を進んでいく。
どこかの神殿であるかのような佇いの建物だ。清廉な白の柱が立ち並び整然としている。しかし冷たい印象はなく、張り巡らされた水路には澄んだ水が湛えられ、草は青々と花は瑞々しく、自然と一体化したような開かれた神殿だった。
今のフルゲオクルスの閉鎖的で澱んだ空気とはまるで正反対だ。
「白竜!」
廊下の角を曲がると走ってきたらしい何者かにぶつかった。というよりもがっちりとした体格の竜に何かが抱きついた。
見下ろせばそれは小柄な少女だった。澄んだ水のような水色の髪と青葉のように鮮やかな瞳を持つ、あまりにも無邪気な少女を白竜は困った顔で見下ろしていた。
「神よ、もう少しお気をつけなされよ。俺でなかったらどうするのだ」
「ボクが白竜の気配をわからないとでも思うの? 君は特別なんだよ」
「うむ。だがお気をつけなされよ。俺であってもこのような振る舞いはよろしくない」
「下々に示しがつきませぬ、か。わかってるよ、ぷーう」
まったく懲りていなさそうな女神に竜は元々険しい表情をさらに険しくさせたが、言っても無駄だと思っているらしく口を真一文字に結んで主君に手を差し伸べた。少女は嬉しそうに大きな手を握り締め、白竜と歩き出す。
「それでね、今度は西の砂漠に竜も水浴びできるような綺麗な湖を創ろうかなって思ってるの。いっぱい花も咲いていて果物も採れる森にしてね」
「それはよろしいですね。竜たちも喜ぶことでしょう。あそこは何もなく、乾燥もひどく砂竜ですら近づきません」
「ああ、そっかー。砂竜が気持ちいい砂漠も創らないとね!」
「我らのために尽力して頂き有り難き幸せ。ですが……」
「わかってるよー。人間たちの都にも顔を出すよ。でも都にいく時、白竜ついてきてくれないんだもん。つまんない」
「そのようなことを言われますな。俺は彼らによくは思われていない。神が都におられる間に砂漠に水を張っておきますゆえ、ごゆるりとなさってきて下さい」
女神は素直に頷き「白竜大好き」と竜の頬に口づけた。竜は困った表情を浮かべながらも何も言えることはなかった。
女神が出かけていくのを見届けた竜は宣言した通りに砂漠へ向かう。白銀の身体を陽に輝かせ、立派な翼を羽ばたかせ、雄大に飛んでいく。この時代、空は竜のものだった。それも神の寵愛を受けている白竜の邪魔をするものは誰もいない。
だけどそれは彼の相手をするのは神しかいないと同義だった。
砂漠は空から見ても延々と続く黄金色の砂地でしかなかった。熱が籠り上空にいても眩暈を起こしそうだ。
「これは骨が折れるな」
骨が折れるのはそれだけではない。竜は遥か遠くを見通す。砂漠を超え、海辺の町で竜と人間の小競り合いが起きている。東を向けば丘の上でも竜と人間が揉めていた。
白竜も止めにいったことがある。でも火に油を注ぐことになった。人間たちは竜が気に入らないのだ。
なぜかといえば、考えるだけで頭が痛くなってくる。あの女神が竜のためにばかり力を使うのが反発を呼んでいる。それはそれで仕方がないとも言えるので竜はどうすることもできずに神の言う通りに世界開拓を手伝っていた。
自分で創り出したものに愛着が湧くのは当然だ。いわば竜は人間よりも先に創り出された神の愛情を一身に受けた生き物なのだ。それに人間は神の写し身であり、あの女神は自分で創ったくせに気に入らないとか抜かす。神なのにどこか頼りない印象の彼女は世界の状況をちゃんと把握しているのだろうか。
「はあああ……」
竜は竜で神に愛されし生き物であると自負するあまり人間を見下し始めているし。白竜の悩みは尽きそうもない。
とりあえずは仕事をしようと、神から賜られた神力を封じた珠を噛み砕く。そしてふうっと灼熱の砂漠に息を吹きかける。神力により凄まじい風に乗って水が流れていく。三度ほど同じことをすれば砂漠は清らかな水に満たされ、生き物を育むための大地に変わった。この先は女神の力が必要だ。
ぐるりと砂漠を周って不備がないか確認していく。水に尾を浸して水面ぎりぎりを飛ぶ。ひんやりとして気持ち良いし、飛沫が追って飛んでくるのが面白い。白竜は飛んでいる時が一番心安らいだ。自然に身を置いて戯れるのが好きだった。
だけど竜の耳に何かが聞こえた。甲高い、あれは人間の、悲鳴?
まさかこんなところに人間がいたのだろうか。気づかず流してしまったのなら一大事だ。慌てて周囲を見回して、すぐに水面に小さく揺らめく飛沫を見つけ方向転換した。
「た、助けてっ……!」
溺れている女目掛け竜は水中へと巨大な身体を沈めた。沈みかけた女の下に凄まじい速さで滑り込むように泳いだ竜は、彼女が背に掴まった感触を確かめると今度は水面目指して泳ぐ。すぐに水面に到達し、そのまま飛び出した竜は速度をゆるめ空を飛んで砂漠だった湖をあとにする。背中の女はどうやらぐったりとしていて気を失ったようだ。
「気がついたか」
起き上がった女は神殿を見回し唖然としていてそれどころではないようだ。どこかで休ませようかと思ったのだが、あの辺りはまだ未開拓で神の神殿に戻ったほうが早かったのだ。女神の留守に人間を入れたとなれば叱られるかもしれないが、どちらかと言えば人間に竜が嫌がられるほうが現状では問題だろう。
けれど女は白竜を見つけても顔色を変えなかった。それよりもシーツの中を覗き込んで愕然としていた。
「わたしの服は?」
「外に干してある。濡れたからな」
「あなたが脱がせたの」
「そうだが、何か問題があったか」
「……別に。それよりあんなことをしておいて謝罪はないの」
「あんなこと?」
「いきなり砂漠を水浸しにしたことよ。死ぬところだった」
忘れていた。
「すまない。気がつかなかったのだ。あれは神の開拓の一端で」
「本当に竜というものは神の手足となってこき使われてるのね」
「神を愚弄するか」
「いえ、今のはあなたを馬鹿にしたんだけど」
「うむ。そうか」
「怒らないの」
「特に怒りを覚えることでもない。俺は神のものだ。神の手足とあらば当然のことであろう」
「あなた、思ったよりも馬鹿なのね」
これが黒髪の人間の女、ロルロージュと白竜の出会いだった。
この頃の人間は神の写し身であり、神には遠く及びはしないが神力を宿していた。神のご加護であり、愛されて創られたもうた証でもある。
人間たちはその力を有益に使い、神が開拓した土地をさらに神の望むように手を入れていった。そうやって世界は世界の形を創っていく。まだまだ未熟でその行く先は神にも視えてはいないのだとか。
「はくりゅーう!」
もふっと抱きついてきたのは言わずもがな神である。
「神、それはおやめ下さいと」
「なでなでしてー!」
言われた通りに頭を撫でる。本当は神の御頭を撫でるのは恐れ多いのだが、してやらないと面倒なことになるのだ。
満足げに顔を上げた女神は次の瞬間には不満を噴出させた。
「ロルロージュ! どうして君が白竜の腕に絡みついてるの! やめてよ!」
「あら、どうもすみません。白竜の腕ったらとっても掴みやすくて、つい」
「ついって! ついって、絶対わざと! 白竜もなんで黙ってやられてるの! 君はボクのものなんだから他の人と一緒にいないで」
「……申し訳ありません」
小さくなって頭を下げる竜の腕をロルロージュは離さない。
「そんなふうにして男を縛りつけると愛想を尽かされますよ」
「オトコ!? 白竜は白竜だもん!!」
鼻で笑ったロルロージュに女神がわんわん泣いて大惨事になり白竜の悩みは増えた。
助けてからロルロージュは神殿に居着いた。女神も彼女が居着くことには問題ないようだった。竜にも人間にも等しく神殿は開かれている。ただし気に入りの竜のこととなると話は別で、二人はよく喧嘩をしていた。と言っても戯れにしか見えない程度の。
でもそんな生活は長続きしなかった。
白竜が変わったのだ。ずっと女神しか知らなかった彼がロルロージュの話を聞き、色々な意見を交換できる喜びを知るのにそう時間がかかるわけがなかった。彼女は博識で面白い話をたくさんしてくれたし、白竜の言葉もちゃんと聞いてくれた。
女神の目を盗んで二人は逢うようになる。
「白竜、もうすぐ大きな戦が起きるわ」
「戦? 神はそんなこと一言も……」
「言うわけないじゃない。あなたを戦いに送りたくないのだから」
「それは俺も行かねばならない戦いということか?」
「人間と竜の戦いよ」
「人間と竜が……なぜ、そんな……」
「あなただってわかっているでしょう?」
人間と竜はもはや相容れない生き物となってしまったのだろうか。そんなことはないはずだ。白竜はロルロージュの頬を撫でる。
「神に戦いを止められぬか聞いてみよう」
「止めてくれるかしら」
「きっと。神とてご自分の御霊を注いだものたちが争うのを良しとするはずがない」
ロルロージュは微笑んでみせたけれど、その笑みにどんな意味が込められていたのか竜には伝わらなかった。
神の鉄槌が下る。双方の戦場に押し寄せる濁流は全てを押し流した。降り注ぐ雷と炎が武器や砦を破壊した。
「我が子らよ、争うなかれ。奪うなかれ。我がしもべとしての責を果たしなさい」
天上から鳴り響いた声音に竜はおののき、人間は不満を募らせた。
そして白竜は戦場で死んだ幾千の竜と人間に嘆いた。
「神よ! なぜ皆にあのような仕打ちを! 俺は皆を説得して欲しかっただけなのに!」
「白竜。ボクはみんなのためにいるんじゃないんだよ。みんながボクのためにいるの。悪い子はいらないんだよ。失敗作だ」
「そんな……でも! 彼らの命はどうなるのです!」
「死んで土に還り、また生まれてくる。それの繰り返しだよ。人間はすぐに増える。竜は少し気をつけてやらないとね。強いけどなかなか増やせないんだ」
「神は……俺が死んでも同じように思われるのですか」
人間は人間。竜は竜。でもその中に個体があり、それぞれ人格が備わっている。ひとつ死んだからとひとつ増やせばいいものではないはずだ。
「馬鹿だな。君は特別だよ。ボクが守ってあげるから死んだりするはずないじゃないか」
「それは、俺だけ?」
「そうだよ。君はボクの一番のお気に入りだ。そんなことが心配だったの。可愛い子だね」
ああ。知りすぎてしまったのだ。神がこうして愛でてくれることの不自由さ。そこに何の自由も意思もなかったこと。愛でられ、束縛され――それは支配されているということなのだ。
竜は神の御前に跪く。それを女神は当然のこととして受け入れ、垂れた頭に手を乗せる。
「神よ、お赦しを」
「なあに」
自分の竜の些細なわがままくらいならなんでも聞こうと言いたげな、この無邪気であり恐ろしい女神の怒りを買うことになるのだろうか、と白竜は震えながらも言わずにはいられなかった。




