4-4 竜の力
ライゼが躊躇しないように、大丈夫なのだと言っている。頭を左手で押さえたまま、右手からは絶え間なく炎が放たれた。
彼女にあんなことを続けさせられない。ライゼが迷っているからウーアがやるしかなくなっている。そんなのダメだ。
腰を落として、息をゆっくりと吐き出した。地を、蹴る。
飛び交い魔法を繰り出すウーアたちに目にも止まらぬ速さで掌波を放ち、また蹴り落とし破壊した。ひとりふたり程度では軽く頭が痛むだけで済んだウーアも、ライゼが何十と破壊すると魔法を放つ余裕はなくなる。
「うああぁぁああああっ!!」
少女の悲鳴に耳を塞ぎたくなる。だがやらねば。
苦渋に満ちた表情を見て上空の紅の魔女は愉しそうに笑っている。
「ロルロージュ……!」
憎いだなんて思ったことはなかった。愛していた。今になって思えば、彼女の言う通り「お坊ちゃん」だったライゼは何もわかっていなかった。彼女の本心も。愛という感情すらも。
今だって彼にしてみればあれから千年も経ってしまったとは思えない世間知らずのままだ。目を閉じれば花が咲き乱れた庭園で彼女の手を取って馬鹿みたいに笑っていた記憶が鮮やかなばかり。
だけど炎に包まれた竜の庭でとても熱いはずなのに、腕の中で熱を失っていく弟の感触も忘れてはいない。それが今のライゼだ。
ふと思う。そのあとは? そのあとライゼはどうなった。思い出そうとしても記憶がない。レガリアの死の先から断絶されてしまったように何も覚えていない。
まだロルロージュは何かを隠している。
少女の絶叫に気を取られ、竜は炎を食らい死角から殴られる。黒いウーアの細腕のどこにそんな力があるのか。ライゼは石棺に叩きつけられた。粉砕された石棺の欠片は完全ではない竜の肉体を傷つける。壊れた瓦礫に埋もれた中で、ふわりと懐かしい花の香りが漂った気がした。
ふらつく頭を押さえ、切れた口内に溜まった血を吐き出す。
広場の中心にうずくまっているウーアはライゼが吹き飛ばされたのを見て、彼を殴った少女に魔法を放ち破壊する。
「ライゼ……」
「ウーア! 頼むから手を出すな! すぐに終わらせる!」
「すぐに終わるかしら?」
魔女の魔力は尽きることはない。軽く腕をひと振りするだけで新たな『ウーア』たちがどこからともなく召喚されていく。
「ミニアウーア、諦めなさい。あなたを創ったのが誰だか忘れたの? あなたがわたしに勝てることはない。わたしの庭園を支配できるわけがないでしょう」
「主様……でも人間は自分を一固体として自らを支配している。何をしても何をさせられてもどんな罪を犯してもそれを全て自分の責として背負っている。ライゼ……そうでしょう?」
『ウーア』が今していることがたとえ自分の意思でなくても彼女がウーアならそれは自分がしたこと。
ライゼもまた同じ。やるつもりはなかった。覚えていなかった。そんなのは言い訳にもならない。
「ああ……ああ、そうだ。俺は罪を背負って生きていかなくちゃならない。それが己の責だ!」
つらくて死んでしまいたかった。消えたかった。消したかった。過去も今も、全て。
でもそれは『逃げる』ことだ。前の自分と同じ。責務から逃げて、玉座から逃げて。結果全て失ったから、今度は自分から逃げる。
そんなの最悪だ。歴代の誇り高き竜の王たちに笑われる。弱い竜だと。父上や弟に合わせる顔がない。
たとえ浅はかで愚かで、残忍に生きるしかない竜でしかなくとも、今は竜の肉体を失っていたとしても、竜の誇りは失ってはいけなかった。
「わたしは『ウーア』。庭園の全ての時計【ウーア】を統べる者。ミニアウーアでなければならない」
ウーアもまた、ウーアであることを自覚する。命じられて機能する個を失った存在ではなく、自らの意思で生きる自分になる。もうずっと前からそう在りたかった。でも理解ができなかった。自分は支配される者だった。だけど自らを支配する者になりたい。
誰かの意思でなく、自分の意思で。
惑わされることなく、自分で決めて背負わねばならない。
未熟な竜と創られた少女には難しいことだった。
でももう。
「はあああああ、あああ!!」
ウーアの神力が空気を震わせ周囲に黄金を纏う。ゆらりと立ち上がった少女の瞳は、まるで竜のごとく鋭く輝き、銀の髪は揺らめいた。
「庭園へお帰り。わたしの『ウーア』たち」
振りかぶったライゼの拳の標的だった『ウーア』のひとりがふいに消えた。周囲を見回す。少女たちは唐突に棒立ちになり、黒かった瞳がウーアと同じような金色に輝いた。そして次々に消えていく。
ミニアウーアの支配が強まる。
ライゼの時計がみしみしと音を立てた。庭園へと繋げていた懐中時計。ウーアは足りなくなるとそこから力を汲み出し使っていた。終わりまで時を刻み、ライゼを記録し、視せる。
本来はウーア自身が時計の役割を担うべきなのだ。魔力も、知識も、支配されるべきものではない。彼女こそが庭園の時を刻み、記録する『ウーア』なのだから。
美しい竜の紋様が描かれた蓋に罅が入る。触れようとした瞬間、弾けて粉々に砕け散った。
それで何がどうなったのか。竜はわからないままウーアを見ている。自分の無力さに腹が立つ。
少女の支配はそう長くは続かなかった。庭園を創ったのはロルロージュで、その全てをしもべでしかないウーアが支配するには何もかもが足りない。
纏う金色は弱まり、膝をついて息を荒げているウーアの元にライゼは駆け寄る。頭上では何も手を下そうとはしない魔女が箱庭で起こる些細な出来事を見守るように笑んでいる。
勝てない。何をしても手の内で踊らされているだけに思える。
「ライゼ、力が、足りない」
何をしてやればいいかわからない。ライゼには何もないのだ。やれることも、溢れる魔力も、かけてやれる言葉さえ。
「わたしは人間にも竜にもなれない半人前。でもそれはきっと人間にも竜にもなれるということ」
金の瞳が瞬く。ライゼをじっと見つめて。彼にはかつて竜だった頃のようには他人の心が覗けない。でもきっとウーアが彼の全てを理解してくれている。
「竜の力を分けて」
「俺には力なんて……」
傷だらけになっても彼女がライゼに向ける目は優しかった。憐れむような悲しみに満ちた視線じゃなくなった。過去を知っても、孤独でも、彼が彼のままで立ち上がったからだ。それにロルロージュのように心を捕らえる目でもない。
ただ優しい。覗かずとも伝わるような。
許容を超えた力を使い震えてしまう指をライゼの唇に沿わせた。切れて血のこびりついた――。そうだ。彼の血には力があった。人を滅ぼす竜の力。
「……いいのか」
「わたしは半分くらいは竜だから平気」
「わかった」
少女は嬉しそうに金の瞳を伏せた。言わずとも何をしようとしているのか知られてしまうのも、視なくとも彼女がそれを求めているとわかってしまうことも、竜には初めてのことで気恥ずかしさに押し潰されそうだ。
でもウーアが大切だと想うことができた。それはまだ、世界にたった二人しかいない同族を見つけた絆のような愛情ではあるけれど。
銀色の髪に指を差し込み頭を支えた。それから小さく吐息の洩れる唇をそうっと塞ぐ。ウーアの唇が戸惑いがちに開かれ、彼を迎え入れた。竜の血の混じる唾液が中で絡み合い、ウーアの中に流れ込んでいく。
ごくり、と音を鳴らして彼女はライゼの力を飲み込んだ。
竜は恐る恐る少女を見守る。
“闇”に変化してしまったら。ウーアを信じないわけではないが、散々見せつけられた記憶は恐怖を植えつけた。
すぐに異変は起こった。支える腕の中でウーアの身体が跳ねて背中を逸らした。呻き声が洩れていく。見開いた目は金色。
ステルラやクヴァールの変異の姿と重なる。
「ウーア!!」
魔女には何が起こるかわかるのだろうか。二人の無駄な足掻きをほくそ笑んでいるのか。空中で足を組んだまま少しばかり退屈そうに眺めている姿に嫌な予感ばかりがよぎる。
「うぅ……ん……あ、ぁあ!」
一度大きく跳ねた身体はぐったりとしてしまった。
「ウーア……?」
変異はせずとも死んでしまう?
「ウーア!」
また殺してしまった。ライゼは力の抜けてしまった人形のような少女を抱き締めてその肩に顔を埋める。大切なものだったのに。やっと見つけたただひとつの。
ぽん。頭に何かが触れた。髪を優しく撫でられていく感触に顔を上げるとウーアが金色を細めて笑っていた。
「ライゼ、平気」
「平気じゃない! 死んだかと思った!」
「わたしは平気」
あれだけ傷だらけだったウーアの傷がなくなっていた。彼女は泣き出しそうなライゼの頬を撫でる。竜の傷も消えた。
それに彼女はそっと、前触れもなくもう一度ライゼの唇に自分の唇を重ねた。
驚く竜に悪戯っ子のように笑った、今は竜の力を強く持った少女はいつもと同じように率直に思ったことを言った。
「竜と生殖行動を取りたい気持ち、ミニアウーアは理解した」
「ウ、ウーア……もう少し言い方が」
「ライゼのことを愛している」
即座に迷いなく言い直せるようになったのは、彼女の中で情報の理解が完了したからなのだろうか。さすがにこれは展開が早すぎて竜も唖然とするしかない。けれど悪い気はしないことは確かだ。
満面の笑みでライゼに頷いてみせたウーアは彼の前へと歩み出る。迎え撃つは未だロルロージュの支配化にある『ウーア』たちだ。半数近くはウーアが竜の力を手に入れると同時に消え去った。
残りは魔女が瞬間的に手を入れたのだろう。黒い靄を纏った少女たちが時計の主を警戒しながら、じわじわと距離を詰める。
でもウーアは負けない。負ける気配などなかった。
竜の瞳を持ち、竜の血を受け入れた人間だ。もうロルロージュの一部ではない。
ウーアが囁く。
「わたしの下へ」
竜は神のもの。神力がさざ波のように広がる。あっという間に広間を覆った力は『ウーア』たちを優しく庭園へと帰した。
庭園へ帰る。すわなちミニアウーアへと還る。全ての情報と記憶を持って。世界の各地に配された『ウーア』たちはそうして情報を集めてきた。
今までと違うのは全てを支配しているのはロルロージュではなくウーアという点だ。庭園へ戻した彼女たちを今はウーアがとどめていて魔女の召喚に応じることはない。
そのことにロルロージュは怒るかと思った。でも彼女はそれすら大したことではないと思っているようだ。二人を見下ろして次は何をするのかと愉しんでさえいる。
「情報開示」
両手を広げたウーアが静かに言って、力を解き放つ。場に満ち満ちている神力にウーアの持つ情報が映し出され始めた。色々な時代、色々な時間、場所も季節も違う世界の様々な記憶。
「ライゼの知りたいこと。真実を視せる」
金色の膜の中に揺らめく紅と白。
ウーアが何をし始めたか、そこで理解したロルロージュはやっとその美しい顔を歪め「やめなさい!」と叫んだ。




