3-9 王となるために
混乱した。自分は何だ。どうして。どうして黒だと思い込んでいた?
そんなことはお構いなしに女は微笑んでライゼの髪に指を通した。
「わたしは思うの。あなたたちは身分による順位を気にするでしょう? でもね、そんなのは無意味よ」
踵の高い靴を大理石の床に鳴らして、赤いドレスを翻した彼女は両手を広げ舞うように回廊の先、庭園へと踏み入れる。
そして白き宮殿を見上げた。白は何よりも貴き竜の色だ。金と白。神に賜れた聖なる色。
「竜は神に愛されし生き物。竜の力は神のもの。一番初めの竜が何色だったか知っている?」
竜の色は様々だ。赤、橙、緑、青、黄。それに白。白銀だ。
「銀と金を持つ竜が一番『彼』の力を色濃く受け継いでいる。先々代も銀竜、その前もそうでしょう」
「だが先代は紅竜だ」
「いつも生まれるとは限らないもの。でも赤はダメ、赤はね。美しくないわ」
「そんなことはない」
彼女の髪をひと房手に取り口づける。
「ライゼ、わたしはあなたが大好きよ。愚かで賢い白竜」
彼女はいつもそう言ってライゼに口づけた。
そうだ。彼は最初からずっと銀の竜だった。今の王族の中にはいない白銀の竜。いつからか神の竜としての意義は薄れ、先々代やもっと前の王たちは優秀で正統な血筋だから王だっただけだ。
ライゼも敬われるわけでもなく、身分を理由にぞんざいに扱われ続けた。そのことに特に不満はない。
「わたしはあなたが王にふさわしいと思うわ」
「そんな理由は馬鹿げてる」
色が銀だから王になれ。そんなのは今の時代には通じない価値観だ。古臭い慣習や伝説は今や随分と薄れ、若い力が芽生えている。
「頑固なんだから。いいわ、面白いもの視せてあげる」
手を伸ばした彼女はライゼの頬を包み込む。身を任せ身体を屈め、すると彼女の額がライゼの額と合わさる。目を閉じてすぐに額に熱が集まる。
焼き切れそうな感覚が一瞬だけして、目の前に映像が広がった。正しくは脳内に直接映写されている、いわゆる情報共有というか。ライゼには上手く説明できないが、彼女の記憶や彼女が得ている情報が視えるのだ。
もちろんこんなことは竜にも普通の人間にもできない。彼女だからできる。そしておそらくそれを知っているのはライゼだけだ。
脳に流れ出したのはレガリアの姿だった。
自室で書簡をしたためている。覗き込むように映し出された書簡の内容は。
まさか。信じられなかった。
敵方へ送られるとしか思えぬ内容。作戦の詳細と部隊の弱点や王たちの居場所が事細かに記されていた。
書き終えたレガリアが書簡を握り潰したことに一瞬だけ安堵する。思い止どまったのだと。
そうではない。握り潰された羊皮紙は手のひらを開くと白い鳩へと変化し、窓の外へと飛び去った。魔法だ。魔法書簡は結界も張られていて、誰を仲介することなく送り先へと届けることができる。密告するには最適な魔法だ。扱える者とてそうはいない。魔力が高く教育を受けている王族くらいなものだ。
なんてことだ。レガリアが国王暗殺を企んでいた? 実の父親なのに。
映像は次から次へとレガリアが今回の件への関わり合いが深いことを示唆していく。偶然を装い赤子の食事に毒を混ぜたり、戦線に赴く兄や弟たちの乗る飛竜が暴走する仕掛けを施したり。やり方はとても巧妙だった。人はなるべく使わないか、自分で何を為したかもわからぬ使用人に用件を頼んだ。
だが何度もそんなことが上手くいくわけがない。次から次に起こる訃報を不審に思った大臣にレガリアが詰め寄られる場面へと変わった。
ライゼの身体は小刻みに震え、いつしか恐怖を堪えるために女の身体を抱き締めた。
月の昇る夜、レガリアは広大な庭園の一画に大臣を呼び出した。人気のない木々が生い茂る、濃厚な花の香りに満たされた庭園に。
国王の一番の側近だった男。王家への忠誠心は誰よりも強い男は、きっとこの裏切りを許せなかったはずだ。歪みを正したかったに違いない。
レガリアはライゼが見たこともないような、悠然とした笑みを湛えていた。罪を突きつけられ、追い詰められているにもかかわらず。
彼にしてみれば追い詰められているとは微塵も思っていなかったのだろう。どちらかといえば追い詰める側だった。獣がひと睨みで子兎を震え上がらせるような。
震え上がらせるだけで済むのなら良かった。
月夜に血飛沫が舞う。
レガリアの指が心臓をひと突きにした。返り血など関係なかった。証拠など残さなければいい。
竜が竜を喰らう。骨の軋む音。肉を裂く。血を舐める。獣の食事よりももっとおぞましい。共喰い。
「ぐっ……!」
ライゼは彼女を突き飛ばし、後ろを向くと胃液を吐き出した。中から血の臭いがせり上がってくるようで、何度もえずいた。
「大丈夫?」
背中をさすってくれる女の声に優しさは多分に含まれているのに冷酷さを感じてしまったのはなぜだろう。
口元を拭ったライゼは女の手を制止しながら立ち上がる。
「あれは……今のは本当にあったことなのか? 幻影では……」
「あら、わたしのことを信じてくれないの?」
「そういうわけじゃない、そうじゃないけど。あれはあまりにも……俺はレガリアがあんな竜だとはやっぱり信じられん」
「でも何もしなければ次に喰われるのはあなた」
力強い断定。彼女の言葉にはどこか強制力がある。そうだと思い込ませられる。
それに喰われるのは嫌だ。竜が竜を喰らうなど禁忌。禁忌を犯した竜を王にしてはならない。罰しなくては。
誰が?
お前しかいない。
誰かがライゼに命じている。そんな気になった。
「兄さん」
弟はいつも通りに人懐こい笑みで兄の様子を窺った。
炎に飲まれゆく宮殿を背に庭園で兄弟は最後になるであろう対面を果たす。
「レガリア」
「やっと思い出してくれたね」
「思い出す……?」
「視たものをそのまま信じる。貴方のそんな馬鹿なところが僕は好きだよ」
「そんなふうに思っていたのか」
ライゼは外面を取り繕うのは苦手だった。王族としての体裁は整えなければならないものだったが、下位として、また低身分で蔑まれてきた身には目立つことをするのは好まれなかった。だから威厳や誇りを振り翳すことなどほとんどなかった。
でも恵まれた生まれのレガリアは生まれながらにして王族の威厳というものを叩き込まれたのだろう。母親が厳格だったのかもしれない。ライゼよりは上位の継承権を持ってはいたが、それでもさらに上には兄が大勢いた。
王で在れ、と育てられてきてしまったのなら歪みが生じても責めることはできないのかもしれない。
威厳に満ちた少年はまるで王にでもなったかのように、マントを仰々しく外し放った。詰め襟の整った正装は多少動きにくい。襟を開けて袖を捲る。その腕には見たこともない紋様がびっしりと描かれていた。
対して普段から簡素な格好しかしないライゼは特に準備は必要なかった。必要だとすれば、それは心のほうだ。
弟を討つ、覚悟。
覚悟などまだなかった。対峙してもなお、レガリアが同族殺しなどと信じられない。
「昔みたいに久し振りに組み手しようよ」
「ああ……」
もう少し幼い頃、レガリアがよく勉強時間を抜け出しては、剣の稽古をひとりでしていたライゼの元にやってきては組み手をせがんだものだ。小さい身体ながらもやっぱり竜であるレガリアは強かった。すぐにライゼなど追い越すだろうと予想できた。
その通りだった。
繰り出される拳はもう目で追えるものではない。身体の動きや視線で見切って避けてはいたが、避けきれずに打たれることが増えた。身体が鈍い。動きが遅い。自分の肉体の重さに奥歯を噛み締めた。
「兄さん、寝過ぎて鈍ったんだっけ。それとも元々こんなに弱かったのかな」
軽く繰り出された拳はライゼのみぞおちに入り、貫くような重い衝撃ののちに後方へと吹き飛ばされる。圧された内臓が傷つき、血を吐いた。
違う。何か違和感がある。レガリアはこんなことをしたか?
いや、『今』起こっていることだ。知るわけがない。
矛盾が一気に押し寄せる。
ライゼはどこにいる。何をしていた。今はいつだ。
朦朧とする頭を振って考えを纏めようとしているのに、レガリアの腕の紋様が赤に光り氷の刃が襲う。無意識に手を翳して同じように魔法を使おうとして、けれど何も起こせず刃に貫かれた。
「うああああああっ!」
揺らぐ視界の中でレガリアが赤い髪をなびかせながら、次の一手を繰り出そうとしていた。
血に塗れた身体を起こす。寸分の差で先程いた場所にいかずちが落とされる。
「レガリア! こんな組み手があるか!」
「だって組み手なんかじゃないもの」
「どうして……、どうしてなんだ!」
こんな破滅の道を進む必要などなかった。なぜ平和だった日常が急に壊れてしまったかわからない。
「兄さんは僕が父上を殺したと思ってるの?」
「父上のことは……わからない。しかし大臣を、お前は……!」
「僕が本当にそんなことをしたと思ってるの?」
話している間もライゼを狙って数多の魔法が撃ち込まれる。何回かは掠め、追いやられる兎のように逃げ回った。
「何もしていないというならなぜ俺を殺そうとする!」
隙を見計らう。ライゼとてやられるばかりではない。異様な勘の鈍りはあるものの武術は心得ている。
レガリアに向かって直進する。撃ち出す瞬間を見極める。左右に避ける。多少の着弾は堪えた。
そうして懐を捉える。でも弟を殴り飛ばした時に既視感を覚えて、傷などないはずの肩に痛みが走った。
何かがおかしい。何度もそう思った。もっとちゃんと頭を働かせなければ。ぼんやりする思考を必死に動かそうとする。
「レガリア……」
宮殿の美しかった庭園は今や見る影もない。竜二人が暴れたらそうもなる。それに火の手は早く、この城はもう手遅れだ。
倒れている弟に近づこうとしたが、僅かに動いたせいで足を止めた。
怖いわけじゃない。
否、怖いのだ。真実を視せられるのが。識ってしまう、いいや、思い出してしまうのが。
「どうして兄さんを殺したいかだって?」
立ち上がった赤髪の男は金色の瞳の中の瞳孔をぎゅっと細めて笑った。
「そんなの決まってる。貴方が僕を殺したからだよ」




