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3-3 ひとりぼっちは寂しいんだよ



 今日はひとりで石棺にいたウーアは蓋の上に花を並べていた。子供のままごとのように一本一本丁寧に並べていく様は異様であるが、彼女がやっていると神聖な儀式にも見えた。

「わたしはあなたを待っている。でもこれはわたしの意思じゃない?」

 なぜ王を待っているのか。

 ――役目だから。

 それ以上でもそれ以下でもない。待つこともつらくはない。ライゼは必ずやってくるから。この役目が永遠ではないことを少女は知っている。いつか必ず終わりの日がくる。

 ウーアは待つ。

 ライゼは来る。

 記録する。

 それだけのこと。

 それだけのためにウーアは存在している。

 何がいけないのだろう。

 ウーアは懐からまんじゅうを二つ取り出して、ひとつは石棺の上に、もうひとつを頬張った。これは国王が「王にも供えてやろう。私のまんじゅうは美味だからな」とやり始めたことだ。

 本当はウーアはこの中にライゼがいないことを知っていた。石棺は空だ。ライゼは時がくるまではここにはいない。

 でもここで一緒にまんじゅうを食べる習慣がついてからは、こうしているとすぐにでもきてくれるような気になった。石棺は彼へと繋がっている。ウーアが待っていることがきっと伝わる。

 そんな気持ちを処理するのは不可解だ。王が早く現われることはない。ウーアが早く逢いたいと『願う』こともないのにどうしてそんな情報が発信された。自分で自分が理解できなくなる。

「それでいい。人間だって自分の全てを理解できるわけじゃない」と国王は言ってウーアの頭を撫でた。彼の手は傷ひとつなく、情報と照らし合わせると世界のほんの少しも知らないちっぽけなものだ。

 けれどなぜか大きくて温かいのだと彼女は記録した。

「巫女様! 陛下が!」

 呼びにきた神官の蒼白さにウーアはまんじゅうを取り落として走り出した。

 石棺の上の花が風に煽られ世の無常を示すように簡単に散った。



 寝室にウーアが訪ねてきたことで国王は嬉しそうに微笑んだ。その目元には深い皺が刻まれている。

 そうだ。あのまんじゅうを二人で初めて食べた時からもう数十年が経っていた。国王は歳を重ね、今はもう寝台から起き上がることもできない。

 でもウーアは変わらない。綺麗な少女のまま、国王の皺ばかりで骨ばった手を握り締めた。

「ウーア」

「ここにいるよ」

「最後に君に逢えて良かった」

 いつも朗らかに笑っていた男の声はしわがれて聞き取り難い。時々苦しそうに咳き込む。こういう人間を何人も見てきた。死期は近い。たくさんの情報を合わせなくともウーアとてわかった。

 でも今まで何人の人間と別れてもこんな気持ちにはならなかった。不安。不快。いいや、もっと違う。適切な言葉を探していたら彼は微笑んだまま風を撫でるような頼りない声を紡いだ。

「君に、もう私のまんじゅうを持っていってやれないのは残念だな」

「わたしは自分で作れるように記録した。あなたも食べたでしょう?」

「そうか。……そうだったな」

「でもまたあなたのまんじゅうを食べたい」

 国王は乾いた笑いを洩らしてウーアの金の瞳を見つめ返した。

「人間らしい表情をするようになったな」

 彼女が言外に「まだ逝くな」と言ったことに彼は心底安堵していた。昔の彼女にはなかった『感情』だ。この国王にしかわからないくらいの小さな変化。表情だってほとんど変わらない。でも彼には金色が哀しそうに瞬くのが見えていた。

 そのことをウーア自身はまだ理解していない。ただ目の前の男の弱々しい命が不安で仕方なかった。

「ウーア、この国を頼むよ」

「わたしはずっと見守っていく。見守ることしかできないけど、ちゃんと記録する」

「ああ、それが君の仕事だね」

「うん。あなたはあなたの仕事を全うしたとわたしは解釈する。立派な国王だった」

「ありがとう」

 彼は目を閉じた。ゆっくりと深く息を吸い込む。言葉ひとつを紡ぐにも命を削り落としているようで喋ることをやめさせたかった。

 だけど言葉をちゃんと記録してあげたいとも思って、黙って聞いていた。

「ウーア、最後にもうひとつだけ」

「うん」

「私のことをどう思う?」

 以前と同じ問い。ウーアにとって彼は今でもフルゲオクルスの国王だ。それ以上でもそれ以下でも――。

 少女ははっきりとした意思を持って言った。

「あなたはわたしにとってリベロ・フルゲオクルスだ」

 国王であった男は満足そうに口元に笑みを残して、そのまま息を引き取った。

 ウーアは彼が「いなくなった」ことを時間をかけて理解していく。死は死でしかない。生物はいつか死に、大地に還る。それが理で、そこに感情はない。

 だけど彼女は、喪った。

 数多の国王ではなく、たったひとりのリベロを喪ったのだ。

「リベロ?」

 穏やかな瞳は固く閉じられて、もう二度とウーアを見つめ返さない。握った手にも力は入らない。

 当然だ。死をちゃんと理解している。当たり前のことなのだ。ウーアが何かを思う必要はない。

 ぽたりと雫が、握り締めたリベロの手に落ちた。

 どうして水滴が?

 ウーアはぼんやりと天井を見上げる。さらに頬に熱い雫が流れていき、そこで初めて自分が涙を流している事実を知った。

 泣くという行為は感情が昂ぶった人間に見られる現象だ。喜び。怒り。悲しみ。

 ウーアは泣いたことがなかった。

 だけど溢れて止まらない涙に息ができなくなりそうだ。押し寄せる不安感と胸が押し潰されそうになるほどの感情の波。感じたことのない揺らぎに彼女はこのままこの場所にいるのが怖くなって逃げ出した。



 無意識のまま足が向かった先は塔だ。足取りおぼつかないまま石棺の前に座り込む。涙はまだ止まらず、どうしてなのかも処理できずに、ウーアはただの少女のように俯いたまま泣いた。

「わたしは、わたしは……」

 リベロの死によってもたらされたのは、人間の死の歴史の記憶だ。彼女が見てきた多くの死のひとつひとつが、無感情なものではなかった記憶。彼らは時に傍にいるウーアに優しい声をかけたり、最後の願いを託したり、死ぬのは怖いと怯えていた。ウーアはそれを記録していた。ただ記録した。

 なのに記録が記憶になり、彼らの言葉や感情、優しさが一気に流れ込みウーアの心を揺さぶった。

 『心』があった。

 『感情』があった。

 ウーアにも人間と同じように。

 彼女は『悲しみ』を理解したのだ。

 悲しくて、寂しくて。

 石棺に涙が染みを作る。額を押しつけた。誰のぬくもりも感情も感じられない、ただの石の感触に胸が痛い。

「わたしはひとりなんだ」

 ずっとずっと。どんなに周りにたくさんの人間がいても彼らはあっという間にいなくなる。どんどん生まれるけど、どんどん死んでいく。ウーアと一緒にいられる人間は誰もいない。

 だから気づかぬようになっていた。感情は制限され、記録するにとどめられていた。

 でも個体として知性を持って存在しているなら、そんなものはいつか意味がなくなる。人間の傍に長くいるほどにウーアは人間を記録し理解する。人間に近づく。

 そうして理解した。彼女はひとりで在り続けねばならないし、ひとりは『寂しい』ものだと。

「ライゼもひとり?」

 石棺の王を置いて人間は死んでいく。でもウーアだけはずっと彼を待つことができる。

「早く、起きて」

 初めて意思を持って王を求めた。

 彼を待つ。どんなに彼女にとって時があっという間に過ぎ去って人間たちが彼女を置いていっても、ライゼだけは変わらずここで彼女が待つことを許してくれる。先にいってしまうことはない。

 そして彼が目覚めた時にはひとりはふたりになる。ずっと待っていたのだと伝えることができる。きっと寂しくなくなる。

「わたし、あなたを待ってる」

 千年だろうと、あなたに逢えるまでずっと。



 寂しい時。悲しい時には一緒に特別なまんじゅうを食べればいい。

 何年経っても変わらない少女は立場を変え、時に市井に下り、フルゲオクルスを見守った。

 石棺に座っている見習い巫女はまんじゅうを食べていた。

「ウーア!」

 小さな王子が少女を探してこんな塔まで上ってきてしまった。また司祭や侍女に説教されてしまう。見習い巫女という立場は最高位の竜の巫女よりも不便なのだ。誰にもかしずかれないし、与えられた仕事をこなさなければならない。

 けれど人との関わり合いが深くなる。ウーアはこの役職を好んでいた。

「アロ」

 少女は名を呼ぶ。ひとりの人間として。

「お前見習いのくせに竜王の棺に座ったりしちゃいけないんだぞ! 天罰が下ると司祭が言ってた!」

「ライゼはそんなことしないよ」

「ほんとうに?」

「多分」

 曖昧な返事に王太子は小さいながらも不満そうに顔を顰めた。

「僕も座っていい?」

「うん」

 ウーアが抱き上げて隣に座らせてやる。懐からまんじゅうを取り出しアロに分けてやった。二人で並んで食べる。幸せそうに頬張る様子はリベロによく似ていてウーアの心に暖かみを与えた。

「ウーアはどうしていつもこんなところにいるの? 誰もいなくて寂しいだろ」

「寂しくないよ。ここでライゼを待ってるの」

「ふうん。王はもうすぐくる?」

「まだこない」

「なのに待ってるの?」

「うん。ずっと待つの」

「どうして?」

「ライゼが寂しくないように」

「竜の王なのに寂しいの?」

「ひとりぼっちは寂しいんだよ」

 竜はもうどこにもいない。同じものがいないのは寂しい。ひとりぼっちだと知ることは怖い。

 ライゼが目覚めた時にはそれを知るのだ。だからウーアはライゼを待つ。彼が寂しくないように。ウーアも孤独じゃなくなる。

「ウーア、これ美味しいね」

「うん。特別な味。忘れない」

 人間はすぐ死ぬ。それは悲しいけれど、一緒にいられる時間はとても温かいからウーアは悲しみを理解しても共に過ごすことをやめなかった。

 人間に近づきたいと『願って』いたのかもしれない。


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