3-2 特別な情報
『好き』を理解しない少女は、けれどとても愛しげに竜に寄り添っている。白銀の竜も獰猛さの欠片もなく、再び瞳を閉じてうっとりとウーアに身を任せているように見えた。
「お、竜が竜にヤキモチ妬いてる」
追いついてきたブルタールがにやにやしながら小脇を小突いた。
「そんなんじゃない。それよりこの竜たちは本物ではないんだろう?」
「本物がいるんならあんたは用無しだな」
「だよな」
ライゼは空を見上げる。飛び交う竜たち。懐かしい、とは思えなかった。ただなんとなく郷愁を誘うような光景だ。
「ライゼ」
竜との抱擁に気が済んだのか、ウーアがふんわりとライゼの前へ降りてきた。
「竜が好きなのか?」
『好き』と聞かれても首を傾げてしまう少女は、今度はライゼに手を伸ばした。宙に浮いたまま、彼の額から黒い髪を撫でつけ蒼の瞳を覗き込んで顔を近づけた。
「ライゼはとても美しい竜だよ」
それは先程の会話の続きなのだろう。竜らしくない竜の王への言葉。
「金色の瞳も持っていないのに?」
「それでもライゼは綺麗な竜。わたしは、識っていることも識らないことも全て……」
じっと見つめていた金の瞳は一瞬だけ哀しみを映し出す。ウーアは時々ライゼをそんな目で見る。何が悲しい。竜を憐れんでいる? いいや、彼女は憐れんでいないと言った。だから理由は違うところにあるのだろう。
瞳がそっと閉じられて彼女と距離が縮まる。彼も目を閉じた。あの白い竜がそうして身を任せたくなるのも理解できた。竜たちに懐かしさを感じられなかったライゼがウーアの温かさは懐かしいと思えたから。
「あなたのために」
鼻先が触れ合って吐息がかかる。ライゼは瞼を震わせ少しばかり身体を固まらせたが、ウーアは彼の頬を両手で包み込んで額と額を合わせただけだった。合わせられた額からはぬくもりの他に何かが伝わるようで落ち着いた。
「ウーア」
頬に添えられた手を握り締め、目を開ける。宙に浮いた彼女は顔を離し、ぎこちなく微笑んだ。
「ライゼ」
「うん。いこうか」
頷いた少女は、すとんと彼の隣に降り立ち、手を握り返した。
「はいはい、じゃあさっさと出発するぞ」
すぐ傍で待っていたブルタールのわざとらしい溜息が零されたのは言うまでもないし、クヴァールはすでに道を探しにいってしまっていた。
森であり、平原であり、果樹園である空間に道という道はなかった。竜の楽園ともいえる場所を彼らは当てもなく彷徨う。潮の香りがしたと思い、海を目指してみても遥か遠くに望める海岸線に近づくことはできない。喉を潤そうと果実に手を伸ばしても、触れた瞬間に幻のように光の粒になり、ほろけて消えた。そもそもライゼはこの空間の食べ物にはもう手を出すつもりはなかった。“闇”を食べてしまうのは二度と勘弁したい。
目的もわからず彷徨うのは今に始まったことではないが、竜が闊歩する間をくぐり抜けていくというのは思ったよりも心理的に負担らしい。たとえ竜がこちらに見向きもせずとも。
人間二人が最初に根を上げた。それもそうだ。試練を開始してから休憩という休憩を取っていない。時間の感覚も麻痺してしまっているし、今までは疲労感よりも精神的負担のほうが大きかった。
けれどこの見目麗しい空間はその緊張感を和らげた。それが良いほうに転がるとは限らない。良い香りの果実は食せるわけでもない。久し振りに浴びる陽の光が幾ら心地良くとも警戒心を解くわけにもいかない。
それなのに空腹を刺激し、眠気を誘った。でも竜や他の敵に警戒しなくてはならない。相反する状態は否応なしに集中力をこそぎ落とした。
まず最初に弱音を吐くのはクヴァールだ。なだめる司祭もなく弟がなだめていたが、今はブルタールも疲弊して言葉を発さない。ライゼは疲れ知らずらしく、一番戦闘で疲労していたはずなのにケロッとしていた。またウーアもなんてことない顔で歩いている。
王は自分が元気だからと強行するつもりはなかった。三人を見回し、進行するか判断を下す。休むのに丁度良い広場を見つけてきて、見張りを買って出た。
「今何時なんだろう」
木を背もたれにし、意味はないとわかっていても時計を開いて逆回りの針を眺めた。
「まだ夜は明けない」
すぐ傍に座っているウーアも少し眠いのだろう。普段から変化のない表情をとろんとさせている。
「眠いなら寝ていいぞ」
少し離れた向かいに視線を投げれば、兄弟は微妙な距離を空けて各自楽な体勢を取って静かに疲れを癒していた。クヴァールなんて今にも眠ってしまいそうだ。
「周囲には気をつけてるから」
何かが動けばライゼはすぐ察知できた。だから彼らを眠らせても平気だろう。
「ライゼ、ちゃんと気をつけて」
「ああ、わかってる」
「ちゃんと……」
そのままウーアは動力が切れた人形のようにライゼの脚の上に落ちてきた。
「おっと」
伸ばした脚に頭を乗せて寝かせてやる。髪と同じ色の睫毛はしっかりと伏せられて金色が隠されている。柔らかい銀糸を撫でて彼は微笑む。
木陰には心地良い風が流れ、小鳥の囀りが子守歌となった。
※
ウーアはライゼをずっと待っていた。気が遠くなるほど永い時を。
白い花がどこまでもどこまでも咲き乱れる庭園。
白い少女はそこに立っている。
ある時はフルゲオクルスの都で少女は竜の巫女として王の傍で国を見守っていた。人間の有様を観察し、記録していく。それが彼女の仕事だった。
「ウーア」
何代目かのフルゲオクルスの王が銀の髪の少女を呼ぶ。ウーアは彼が何代目の王で名前があることもちゃんと記録していたが、彼女にとってはフルゲオクルスの国王でしかなかった。
「またここにいたのか」
「待つのがわたしの仕事」
塔の鐘がある最上階には石棺がある。雨風に曝されても決して風化しない、白くなめらかな石でできた王の棺。
神聖であり、大切に奉られているはずの棺に少女は気安い様子で腰掛けていた。巫女にはあるまじき行為だ。大司祭に見つかれば大目玉を食らうだろう。
でもこの国王は咎めることなく、少し離れたところに立ち少女に微笑みかけた。
「王は我らの時代においでになるだろうか」
「まだこない」
「そうか……君はいつまで待つつもりなんだい」
「王が目覚めるまで」
「目覚めなかったら?」
「ライゼは必ず戻ってくる」
彼は口元に寂しげな笑みを浮かべた。
「ライゼ、ね。竜の王は君の『何』に値するものなんだい」
少女は棺の上に立ち上がり、国王を見下ろした。ふわりと銀の髪が風に浮かび上がる。どこからともなく甘い花の香りが流れてきた。
「すべて」
「王はロルロージュのものなんじゃないのかい」
「そう」
「それで君はいいの? 永遠を待ち続ける。そこには深い愛情を感じられるよ」
ウーアは金の瞳を瞬かせ、国王の寂しげな瞳を覗いた。
「愛という感情はわたしにはない。あなたはわたしを愛しているの?」
「まったく君は。なんでもかんでも覗くんじゃないよ」
困った顔になってしまった彼のために少女は『接続』を弱めた。銀の髪が一瞬のうちに漆黒へと変わり、金の瞳も闇を見つめる色になった。
「わたしを愛するのは無意味」
「君が王のものだから?」
「そうだけど違う。わたしはただの記録媒体。王のために存在しているけど、所有権は王にはない。愛については理解不能説明不可」
「おいで」
差し伸べられた手をウーアは素直に掴み、棺から降りた。彼は彼女の頭を撫でながら棺を見つめていたが、彼女はそこにどんな想いがあるかはわからなかった。
「ウーアはなぜ王を待っているの? いつおいでになるかもわからないのに」
「それが役目」
「そうだね。でも私はね、君にただ役目を全うするだけの存在になって欲しくないんだ」
意味が処理しきれず、首を傾げて彼が意図する情報を探した。
「役目は正しく果たさねばならない」
「君の意思の話だよ」
「意思」
国王は無知な少女に説明するように優しく穏やかに伝えていく。
「君がどうしたいのか。何を求めているのか。王が目覚めて、それで終わりじゃないんだろう? 君が王に逢って何をしたいのか。言われるままに役目を果たして終わりでは人形と同じだ。私は君には人間らしく在って欲しい」
「わたしは人間じゃない」
「君の王も人間じゃないよ。何の意思も持たない人形だったらどうするの」
「ライゼは人形じゃない」
「君も人形ではない」
「わたしは……」
人間らしく在る。意思を持つ。
自分が何をしたいのか。
それはウーアにはとても難しい情報処理だった。人間の感情として理解はできる。膨大な人間たちを観察してきた。多大な情報を『思い出せ』ば、人間ならどうするのか幾通りの答えを導き出せる。
だけどそれはウーアの意思ではない。
「わたしは……」
思考が停止して、答えを出すことを拒絶する。ウーアとはそういうものなのだ。
「少し難しかったかな。では君は私のことをどう思う?」
「フルゲオクルス王」
国王は予想通りだったのか、軽く笑った。
「それ以上でもそれ以下でもない?」
「はい」
「それは寂しいものだな」
ウーアは黒い瞳を瞬かせて彼が望むだろう解答を思索した。
「あなたは過去の国王の平均値よりも優秀な王だと解釈する。わたしの能力を見抜き、傍に置こうとするのは厄介ではあるが、初めてのこと」
「うーん、そういうことではないんだけどなあ。まあいいか。私が初めてだということに免じよう」
ぽんぽんと頭を撫でた青年は年相応の笑みを見せていた。
こうして時々国王はウーアが巫女として働いている時にも付きまとい、少女を困らせた。
「はい、少し休憩したらどうだい」
懐に隠していたらしいまんじゅうを目の前に差し出され、さすがにウーアも眉を寄せる。
「陛下におかれましてはもう少し真面目に執務に取り組んだほうがよろし……むぐ」
白いふかふかのまんじゅうを無理矢理押しつけられ、黙るしかなくなる。仕方なく頬張ったウーアの目の輝きが変わっていくと、彼は満足そうに頷いた。
「どうだ。美味いだろう。私が味見をして作らせたのだ」
「それは味見しかしていないという意味では」
「はっはっは! 料理などしたことがないからな」
朗らかに笑う国王は自分の分のまんじゅうを体裁も取り繕わず囓りついた。歴代の国王の中でも風変わりな王だと彼女は思った。
でもまんじゅうは彼の言う通りに美味で、ウーアは特別な情報として記録した。




