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3-1 処理できない感情



 王であった。

 それは今この時になりやっと漠然と、けれど確かなものとしてライゼの中にあった。自分は『フルゲオクルス』という国の王だ。どういう国のどういう王だったのかは思い出せないけれど。

「俺は王だった」

 『門』をくぐり、今のところは城の廊下とよく似た空間を歩いていた。誰もが黙り込み、重々しい雰囲気の中でライゼはふいに自問し、半ば自分で噛み締めるように答えを呟いた。

 隣にいるウーアは当たり前だというように頷く。

「ライゼは王だ」

 だが後ろの兄弟二人はライゼ自身も曖昧にしていたことを唐突に認めたことに釈然としなさを味わった。

「お前、さっき頭でも打ったか? それとも怪我でおかしくなったか」

 ゆるゆると王は首を振る。思い出したというのにすっきりとしない。ずっと昔にライゼは王だった。竜の王。

「俺がどんな王だったか知っているか?」

 頷くかと思われたウーアは首を左右に振った。

「ロルロージュが知ってる」

「ロルロージュ」

 彼女を呼べば胸が痛む気がして、ライゼは自分の胸を押さえた。思い出すには進むしかないし、全てを識るには彼女に会わねばならない。

「お前たちはやはり城に戻ったほうがいいんじゃないか」

 全てがライゼのせいであり、ライゼのためであるなら、巻き込みたくはない。彼らの国の問題ではあれど、ここは得体が知れなすぎる。死地へ向かっていると言ってもいいくらい危険に溢れている。

 王の提案に兄弟の二人共が不満を露わにした。だろうな、とは予想していた。

「今さら戻れるか。それにお前ひとりじゃ不安すぎる。毎回毎回精神攻撃食らいやがって。身体が丈夫でも、やられてたら意味ない」

「ブルタールだって取り乱してたじゃないか」

「なんだと?」

「……いや」

 睨んでくるブルタールから視線を外す代わりにクヴァールを視界に入れれば、彼はライゼとは目も合わさずにそっぽを向いた。非常に嫌われている。ブルタールのそれは国を想う実直さからきているとわかるが、クヴァールはどうなのか。

「昔のことは昔のことだ。この国の王になるつもりはないから安心してくれ」

 国を支え守るのは王でなくともできる。クヴァールの王位を脅かすつもりはない。そういう意味で言ったつもりだった。彼は何も答えず、三人を追い越していってしまった。

「で、あんたはどこの国の王だったんだ? まともに執政できてたのかよ。なんか頼りないんだよなあ」

「昔のフルゲオクルスだ。あとは覚えていない」

「はあ?」

「ライゼの記憶は封印されている。詮索無用」

 訝しむブルタールを諫めたのはウーアだった。ほとんど会話に割り込まない彼女が珍しく、おそらくライゼを庇うために前へ出たのだ。なんとなく嬉しくなって笑ったのを見られ、ブルタールが舌打ちした。

「なら、このお嬢ちゃんの正体を聞こうじゃないか。銀の髪、金の瞳。ライゼよりよっぽど竜だ。……まさかあんたの隠し子か?」

 まさか、と思ったが、いかんせん何も覚えていない。ライゼもまじまじとウーアを見つめてしまう。

「わたしはライゼの子ではない」

「じゃあ何だ。竜の子か」

「違う」

「だから『何』だって聞いている!」

 声を荒げるブルタールにライゼは慌てて間に入る。

「そう怒鳴ってやるな。別に彼女が何であっても問題ないだろう。味方だ、なあ?」

「わたしはライゼのもの」

「……それはなんだか語弊があるな」

「ライゼのための存在」

「うん、まあ、それでいいか」

 ウーアが何であろうと彼女だけは最初からライゼの傍にいて一貫している。それは心細く残酷な世界では彼の支えになり得た。ライゼは少女の柔らかな髪を撫で、目元を優しげに細めた。

「ああなんだ、いちゃつきやがって! お前は甘いんだよ。正体不明の女なんか傍に置いた王の末路は大抵クソみたいなことにしかならない。シャオムだってお前に媚びていた理由があれなんだぞ。少しは懲りろ!」

「俺を心配してくれているんだな。ありがとう」

「はああああ!?」

 叫んだ王子殿下はぶち切れて文句と説教を散々ぶちまける。ライゼがそれを真面目に聞いて「うんうん」と穏やかに笑っているせいで、ますます彼のこめかみに血管が浮かんでいた。

「ライゼは竜の中では賢いけど、歴代の人間の王よりも馬鹿」

 またもや唐突に割り込んだウーアは今度は王を庇うどころかブルタールに賛同した。それにはさすがのライゼもうろたえる。

「馬鹿って、どうして……」

「警戒心が足りない。人間はもっと疑り深くて狡猾。竜も本来は狡猾。ライゼは人を信じすぎる。それでは生き残れない。もっと疑って。もっと警戒して」

「とは言ってもな。ウーアは俺を騙すのか? ブルタールは俺が嫌いなだけだろう? クヴァールはお前の兄貴だしな。それに俺はお前たちが好きだぞ。人間らしくて」

「この! 馬鹿が!!」

 思い切り罵倒したブルタールはわかりやすく激怒していってしまった。笑っていると、ウーアが困惑気味に固まっているのに気づいた。またまずいことを言ったかと、気遣わしげに少女を呼んでみた。

 すると彼女は金色を見開いてじっとライゼを見つめた。

「どうした?」

「ライゼはわたしが、好き」

「ああ、好きだよ」

「でもわたしは人間じゃないよ」

「竜?」

「ライゼとは違う」

「なんでもいいさ。ウーアは俺のために頑張ってくれてるだろ。怪我も治してくれる。そういうのに種族は関係ない。それに……」

 なんだか懐かしい感じがする、と思ったがよくわからないことだったので口に出すのはやめた。ウーアは目をぱちくりしながら首を傾げた。

「それだけで、好き?」

「ああ、何かおかしいかな」

「竜の思考回路情報が少ないから理解不能。王子に聞いてみる」

「え? 何を……」

 止める前にウーアは前方を歩くブルタールの元へいってしまい、何やら話している。それでウーアが振り返ったと思ったらブルタールが物凄い勢いでライゼに詰め寄り、胸倉を掴んで拳を握っている。

「お前はなんでいきなり女を口説いてるんだ! 時と場合を考えろ! 恥を知れ!」

「ウ、ウーア……なんて言ったんだ」

「わたしは『好き』という感情を処理できない。一般的に人間が好意を伝える場合は愛情という感情が伴う。また愛情を感じたということは人間の本能に則ると生殖行動を為したいという意味であり、人間の生殖本能はまだわたしには理解不能領域。竜の場合はさらに不明なので、ライゼの真意が不明。ライゼは頑張ったウーアが好きだから生殖したい? それを人間である王子はどう思うかと聞いた」

「待て待て待てブルタール! 誤解だ!」

「何が誤解か! せっ、生殖……不埒な竜め!!」

「違う! そんな意味はない! ウーア! もう少し話し合おう!」

「貴様と話すことなどない! 彼女はお前の気持ちが理解不能だと言ってる! 諦めろ!」

「ウーア!」

 助けを求めたライゼに反応して少女は二人共を魔法で吹き飛ばした。



「お前のせいで無駄な体力を使った!」

「すまない……でもあれはお前が」

「なんだ?」

 これ以上問答してまたウーアに吹き飛ばされては敵わない。ライゼはぶんぶん首を振って口を閉ざした。

 そしてブルタールといえばウーアに興味津津のようだ。ずっとライゼの傍にいた少女が「王子」と彼を認識していたことが判明したからだ。というか黒ウーアはブルタールのことも兄弟の確執も国家のことも理解していたのだから当然のことだ。

 黒ウーアは単に巫女としての擬装だったのだろうか、という疑問が浮かんだが今はブルタールの手前面倒なことになりそうで聞くのはやめた。

「それであの馬鹿竜は俺のことまで好きだとか抜かした。お前はそれをどう処理したんだ」

 ウーアの変わった理念が面白いのだろう。おかしな質問をしている。懲りないのはどっちだ。どうせろくなことを言われないに決まっている。今では二人の後ろをとぼとぼ歩くライゼはそう思った。

「同性種同士は疑似生殖行動が可能であると解釈している。種を残す本能とは別種のものである。どういう意味があるかはわたしには理解不能」

 くるりと振り向いたウーアが「ライゼには理解可能?」と真顔で聞いてきて王は真剣に悩んだ。

「俺も理解不能だな。ブルタールは?」

「オレに聞くな!」

「お前が始めた話だろうが……」

 そうこうしていると、閉ざされているはずの廊下に風を感じた。青々しい草木の香りにライゼは大きく息を吸う。その様子をブルタールは不思議そうに見ていたが、じきに廊下の向こうから光が洩れ出しているのを見つけ外の空気に気がついた。

 開け放たれた扉では先に着いていたクヴァールが外を眺めていた。彼にしては珍しく茫然と自失している。弟は訝しがり、すぐに入口に駆け寄り外を見上げ、やはり言葉を失う。

「竜だ……」

 そこはまるで楽園。生い茂る樹々と鮮やかな花々、実る果実はどれも程よく熟れて甘い香りをどこかしこに振りまいている。風は暖かく、柔らかな陽の光の下で色とりどりの鳥が謳い、小さな生き物は駆け回って遊んだ。

 だが彼らの視線を奪って仕方がないのは、天空を高く舞う竜の姿だった。大きな翼を悠々と羽ばたかせ、長い尾をなびかせる。大小、色もさまざまな翼竜がこの世は己の楽園だとでもいうように空を、地上を、海を支配していた。

「竜だ」

 二度目にブルタールが呟いた時、彼は振り向きライゼに向かった。

「お前、本当に竜なのか」

「…………お前は本当に意地が悪いな。俺も今同じことを思っていた」

 城にある竜を象った彫刻や紋章は全てがあのような竜らしい竜である。人間と同じ姿のものはひとつとして見掛けない。なのにライゼは竜だと誰もが言う。人間たちがそう言う根拠は何もないのだ。石棺から出てきたから。それだけ。

 確かにライゼは自分が人間とは違うと思うし、竜の王であると思い出した。

 でも自分があの大きな翼竜と同じとはどうしても思えなかった。

「ライゼは竜だよ」

「とてもそうは見えない」

 ブルタールの言う通りだと肯定する。

 するとウーアは外へと飛び出していってしまった。言葉の通りに宙を飛んで。

「ウーア! 気をつけろ!」

「平気」

 慌ててライゼも後を追う。彼は地面を駆ける。彼女が一直線に飛んでいくのを心配そうに見上げながら。

 ウーアは丘の上で丸くなっていた一際大きな竜を見つけた。鼻先に浮かび手を伸ばす。そっと小さな手が触れると竜が軽く息をした。それだけで暴風ともいえる鼻息が通り抜ける。ウーアの存在に気がついた金の瞳の瞳孔が、彼女をよく見ようとしているみたいに収縮した。

「竜はとても美しい生き物」

 少女は普段とは違って優しい雰囲気を纏い、竜の鼻先に顔を寄せて寄り添った。

 白い少女と白銀の竜。彼らの邂逅はまるで一枚の絵画のように奇跡的な繊細さをもたらしていた。


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